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社会は複雑すぎて、私には容量オーバーだった。

私の両親の口癖は「あなたの人生なんだからあなたが決めなさい」でした。

なので勉強しなさいとも言われたことはなかったですし、自分で決めたことなら高校も行かなくてもいいと言われて育ちました。

ただしあなたがやろうとすることはできる限り応援するよとのことで、私がやりたいといったものは常に応援してくれました。

そんな私でしたから小学生の頃から自然と自分の将来像をよく考えるようになっていました。

「何のためにこれをやるのか」「これによって何を得たいのか」

中学生の進路相談のときには「どんな企業でどんな仕事をしたいのか決まってないので、大学も選べないし、高校も判断が付きません」と相談したら、「そこまで考えなくていいよ」とのことで一旦ある程度絞っていた候補の高校へ進学しました。

そんな私ですから常に高校進学のときも、大学の進学のときも「そこで何を得たいのか」を明確にしなければ意思決定出来ない人間でした。

そして私はついに人生においても大事な意思決定のタイミングである企業への就職を考えるタイミングがやってきました。

大学入学当初は生命科学の研究者を考えていましたが、実際の話しを聞いてみると自分の性格では続きそうもなかったので、薬科大学であったこともあり大手製薬会社の営業職への就職を検討していました。

しかしこちらも実際に話しを聞いてみると、そもそも10年後20年後には大きく縮小傾向になる可能性が大きくあったことと、もし転職するにしても汎用性が低い業種であったため断念しました。

ここから私は初めて「社会」という捉えようもない大きな海へと飛び込むことになりました。

今までの意思決定ではある程度、選択肢が絞られていたんですが、この意思決定は今までとは全く次元の違うものでした。

そもそも大手リクルートサイトにある企業だけでも莫大な数があり、さらにはそこに掲載されていない企業も尋常ではない数がある。

しかも意思決定をする判断基準がものすごい数があり、「市場」「業種」「職種」「理念・価値観」「社風」「経営状況」「従業員数」「年収」「福利厚生」「働いてる人の雰囲気」「ワークライフバランス」「教育制度」「将来性」「評価制度」「裁量権」「転職のしやすさ」・・・・etc

それだけではなく、そもそもそれら会社の状況が自分にとって適正なのかも判断しなければならず自分自身の「将来設計」「価値観」「得意なこと」「好きなこと」「活かせること」…なども考えなければなりませんでした。

それに加えて、私たちの世代は好景気ではありませんでしたので、実際の「社会情勢」についても理解を深めなければ、いくら素晴らしく自分にマッチした企業に就職したとしても没落・埋没してしまう可能性が大いにありました。ですから、「現在の社会情勢」「これまでの社会情勢」「これからの社会情勢」も必要でした。

そんなこれまで学校で先生が授業してくれたことをこなすだけで評価してもらえた学生生活とは全く異なり、まさに生き残りをかけた激しい競争のはじまりでした。

いろいろな企業に触れ、いろいろな情報に触れ、初めては「社会ってこうなってるんだ」「こういう人達がいるんだ」という感じで、とても楽しかったです。そしてこうやっていろいろな情報に触れればいつか社会の全体像を捉え、企業の全体像を捉え、自身の全体像を捉えられるものとばかり思っていました。

しかし実情は全く異なるものでした。

どれだけ知っても、ただ知ってる量が増えるだけで一向に全体像に届きそうもありません。いくら理解しようとしても一向に全体の流れを捉えることは出来ません。

「私が頭が悪いからなのか」「情報量が足りないからなのか」「情報の内容が違っているのか」

なぜ自分がそのような状況に陥ってしまっているのか。自分がいまどんな状況にいるのかすらだんだんと分からなくなっていきました。

他の同級生たちはこんがらがってしまっている私を横目に1つひとつ着実に意思決定していきます。

「やっぱり私がおかしいのか・・・」「何をどこからどのように考えたらいいのか・・・」

そんな考えばかりが頭を巡りました。

「社会は今どんな状況にあるのか」
「社会はこれからどこに向かうのか」
「自分とはどんな人間なのか」
「どんな仕事をすれば自分が最も活かされるのか」

必ず、必ずどこかに答えがあるはず。

学校の勉強だって、スポーツだって、いつだってそんな複雑を制圧するシンプルがいつもありました。そしてそんなシンプルはいつだって産みの苦しみの先にありました。

これまでの人生の中でも最大級の難関でした。誰に聞いたってあなり相手にしてくれません。

「悩み過ぎじゃない?」
「働いてみればわかるよ」
「頑張ってるね」

そんな返答ばかり。もし回答があったとしても全く納得の行く答えはありませんでした。

その答えはいつだってその人の経験論。その人の視点から見たとても部分的な社会観、人生観、人間観でしかありません。よくそんな情報で自身を持って答えられるなというものも正直たくさんありました。

私が欲しかったのはそんな情報ではなく、全てをシンプルに整理することができるもっと汎用的なシンプルな何か・シンプルな視点でした。

期限が迫ってきても答えを獲得することは出来ず、大学を休学。何をどこから考えればいいかも分からないままに、とにかく視点を変えるために、海外へ滞在。たくさんの本を読み、たくさんの人と出会い、たくさんの挫折も味わう。

そんな時に出会ったものが、令和哲学であり、令和哲学者のノジェスさんでした。

そこで初めて私は、全ての存在・すべての現象・全ての物事を成り立たせる究極にシンプルな概念を獲得し、やっと産みの苦しみから開放されました。

「だから現代社会はこんな状況だったのか」
「だから日本社会はこんな状況だったのか」
「だからこれからは必ずこれが必要になるね」

無限大の確信のもとそんな内容がどんどん整理されていき、歓喜で心の中が溢れかえりました。

そして更にこれまで理解したくてもしきれなかった自分自身に対してもとてもシンプルに整理され、自分の進むべき道が明確になりました。これまで全く経験したことのないほどの開放感でした。

現代社会はあまりに複雑になってしまっています。それだけではなく物凄い速度で変わっていってしまいます。

そんな中でも自身を持って意思決定できる人もいるかもしれません。しかし多くの人は悩み、迷い、不安の中にあるのではないでしょうか。実際に私自身が不安で不安でたまりませんでした。

そんな悩みの根源にはきっと「何をどこから考えたらいいのかわからない」というものがあると思います。なぜなら私達は学校教育で一切意思決定の仕方は教わってないですから。私達が教わってきたことは答えの暗記であり、言われたことを忠実のこなす訓練です。

しかし大量生産・大量消費の時代は終わりました。ただ皆が機械のように同じことだけを繰り返していればいいだけの時代は終わりました。それだけでは国も、企業も、個人の生き残ることが出来ない時代に突入してしまいました。

そして現代社会はそんな時代の変化に全く対応できていないように感じます。自力で生き残れる人だけが生き残り、対応できない人は淘汰されていく。そんな状況にある気がします。

しかし私はそれは違うと思います。そうではなくしっかりと社会全体でこの時代の変化に対応し、この危機を好機に反転させ、より人類全体のバージョンアップに務めるべきであると思います。

そして更にそれを国に任せる時代でもないと思っています。なぜなら国家は大きすぎるからです。国家の意思決定の速度、質では全く追いつくことが出来ない状況になってしまっているからです。

ですから民間からです。個人個人からです。誰もが意思決定能力を身に着け、変化に対応し、自分自身で問題を発見し、解決し、チームプレーしていく共同体になる必要があります。

私はそんな新しい共同体モデルを、世界で最も未来のないこの日本から作っていきたいと思っていますし、日本なら必ず実現できると確信しています。

そして私はここまで確信を持つことが出来たのは令和哲学のおかげであり、韓国人でありながら26年間、日本の可能性を訴え続けてくれたNoh Jesuさんのおかげでもあります。

ですからぜひ、今の社会に希望が持てない。未来が不安。そんな状況をなんとかしたい。そんな思いを持たれている方を無限大バックアップしたいと思っていますし、ともに日本からモデル共同体を作っていきたいと思っています。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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