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QuestReading[7] マインドフルネス最前線

「マインド(Mind)」+「フルネス(fullness)」という組み合わせから、この言葉は『幸福感』という意味だと思い込んでいた。しかし、実際には「注意深さ」という意味だとわかり驚きだった。
ここは先入観を捨てて、マインドフルネスについての対談集をQuestReading。

書名:マインドフルネス最前線-瞑想する哲学者、仏教僧、宗教人類学者、医師を訪ねて探る、マインドフルネスとは何か?
著者:香山リカ
出版社:サンガ
出版年:2015年

著者の香山さんは、テレビで見かけることが多い精神科の女医さん。精神科医がテレビで話すというのは、香山さんがパイオニアだったのではないか。

この本の中で筆者は対談の形で、仏教長老・宗教人類学者・心療内科医と「マインドフルネスとは何か」について議論している。
精神科の療法も、過去の経験に基づき患者を励ますスタイルから、情報のとらえ方・受け取り方、つまり認知方法を改めることで対症するスタイルに変わっているそうだ。

では、この「マインドフルネス」という<認知の注意深さ>を、どのように実践していくのか。

まず、「ありのままに実況中継」することが最初の目標となる。
マインドフルネスは、座禅をして、瞑想をしながら実践することが多い。その態勢の中で、ありのままの実況中継を行う。

この「ありのまま」というのが大きなポイントになる。実況中継に、意図や目的をもってはいけない。
例えば、雨の音がすれば、その雨、いや、雨と認識してもダメで、単に水がそこにあると中継する。今度は、別の場所から足音がすれば、その足音が誰とも考えない、さらには人とも考えない、単にスッスッという音がするととらえる。
そうすることで、複雑な意味連関から解放され、モノの実在を深くとらえることができるという実践である。
意味連関について哲学的には、自我(私)があることで、それぞれの意味が生まれてしまうと考えられる。つまり、実況中継を突き詰めると、自分と周辺の関係を断ち切り、私ですら、何かの場所のようにとらえられてくるそうだ。

「ありのまま実況中継」ができるようになると、今度は、自分自身の「ねつ造の仕方が科学的に観察」できるようになる。

なぜ、単なる水を「悲しい雨」と思うのか。なぜ、足音が「監視する僧侶の見回る音」に思えるのか。

それは、自分が今まで繰り返されてきた思考や行動・経験から染みついた、認知スタイルの影響がでてしまっていると考えられる。
本の中で紹介されている、床の上にこぼれた水を見て、これは飲めないと言ったら犬が笑うというエピソードが秀逸に見える。

何か目の前に現れたとき、それを自分の都合にねつ造していることは実に多い。
自身の仕事を振り返れば、お客さんの発言は、正しいことで、大事なことと考え始める。また、新しくて話題の技術があれば、これが未来を変えるかもと強迫的に取り入れようと動いてしまう。

そうならないために、ありのままを実況中継し、自分がねつ造する姿を観察することが、「マインドフルネス」の実践なのだ。

なるほど、現代はデジタル化の波で情報が溢れ、様々なことで感情が入り混じり、何度も同じ言葉が繰り返され、どこでも似たような経験が積み重なる。
このような世の中では正しい認知をするのは確かに難しい。だからこそ、注意深い認知のための「マインドフルネス」という方法が、これだけ流行っているのだろう。

マインドフルネスには、座禅+瞑想というイメージがあるかもしれないが、別に目を閉じなくても実践できる。
私は、眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんに)に入るデータをそのまま受け取り、まずは1つ1つ指差し確認して、行動するようでありたい。

免責:
本を精読しているわけではありませんので、すべての内容が正確とは限りません。詳細は、実際の本でご確認ください。


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