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障がいを笑い飛ばす

5年前に生まれた娘は痙攣がきっかけで生後数日後に救急車で大学病院のNICUに運ばれ、そこから数ヶ月ほどNICU→小児科に入院することになった。

出産に立ちあった。20時間を越える難産の結末は、よくドラマでみるような涙・感動の対面!ではなく、おまたからぬるりと出てきたものをみて「あ、あれ?もしかして生まれた?」とあっけなくその瞬間を迎えてしまったのだった。 

タオルに包んでくれた赤子をそばに連れてきてくれて、五体満足のチェックし、頭や胸、手足のサイズなどをメジャーで測るその事務的な作業を横目に、ふつふつと生命の誕生を感じ、嫁の顔をみたその瞬間に、ぐっと涙が溢れてきたその情景を今でもリアルに覚えている。

新しい人生の幕開けだ───よし、がんばろう。

と前向きな決意を心のなかでした翌々日に崖から突き落とされることになったのはこちらのとおりである。はぁ。

そこから今日までほぼ毎年入退院が続いた。薬はあわず、何度も新しい薬を試して、調整して、辞めて、を繰り返した。治験もした。難治性の言葉は今もなおともにいる。成長は周りと比べると遥かにおそく、主治医には流れ作業のように脳性麻痺と肢体不自由の書類が手渡され、あれよあれよと言う間に重度の障害者手帳が2枚も手に入った。早すぎる展開に全くついていけなかったが、家には娘の装具や道具、車椅子などが障がい者グッズが着実に増えていった。

嫁は大変だ。初めての子育て。ママ友に共感してくれる相手はいない。掛かりつけの医者はいくつもある。療育もある。コロナで介助と仕事の両立ができなくなり、会社とは半ばケンカ別れのような形でやめざるを得なかった。

娘の病院や療育に最適な選択をし続けた結果、気がつけばこの5年で2度引越し、3件目の家に住むことになった。環境の変化は楽しめる性分なのでそれはそれで楽しいのだけれど。

娘の障がいは時間をかけて表面化してきた。普通に成長するかも、という期待の一方で、ちょっと異常かも、という不安な気持ちを行き来し、一時は意味もなく涙がとまらず不安定な日々を送った。将来の不安について、夫婦間でも面と向かって話す事ができず、その話題はいつも先送りにしてきた。「まだ首が座らないね」「大丈夫、そのうちだよ」「まだおすわりができないね」「大丈夫、大丈夫」。不安が蓄積されて押し潰されているのだけど、現実を認めたくない。そんな日が続く。ある時、ふと、そんな重い現実を蹴散らすような娘の障がいをネタにしたギャグがふと出た。この思いや経験を共有している夫婦間でしかできないものだ。(内容は想像におまかせする)。そこから少しづつだが、夫婦間のタブーのようになっていた障がいを笑い飛ばせるようになってきたようにおもう。

これまでの人生で全く経験してこなかった日々に自分も嫁も心配や不安はつきない。今もその不安は真っ只中にある。けれど、5年という時間をかけて、日々毎日を過ごす中で今起きている状況や、今後起きるであろう不安や心配に対して、向き合う覚悟ができてきて、それを受け入れることが少しずつできるようになってきた。

最近また娘の状態が良くなくなってきた。発作が増えてきたのだ。そのたびにこの苦しい状況を一刻も早く回復してあげたい。薬の調整はこの5年間続けているが今なお良くなっていない。いつまでま続くのか、いつまで娘は苦しむのか、治らないのではないか、一生続くのか。どんな時も諦めないと決めている。けど、いつまでこの状況が続くのか、娘が10歳、20歳、30歳、50歳になっても続いているのか、将来の不安はまだまだ続く。

それでも、障がい笑い飛ばすスキルを身につけた僕ら夫婦はこの先も不安を和らいで毎日を送ることができるだろう。

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