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【創作大賞応募用再掲】スモール・アワーズ・オブ・モーニング(1)

あらすじ・目次
連載全5章 脱力系バンド結成物語か、国際化時代の日本人の在り方を問う問題作か? 熱い湿気が覆う島シンガポールで多国籍メンバーのバンドが奏でるブルースが流れていく中で展開する人間ドラマ。
第一章  みんな愛する人が必要
第二章  ソウルマン
第三章  よく考えたほうがいいわ
第四章  ちょっと愛をください
最終章  収監


第一章  みんな愛する人が必要

「シンちゃん、今度のボーカルいいね。英語うまいわ。あ、当たり前か、外人だから。なんか俺たち、かなりいい感じのブルースバンドになってきたじゃん。メンツまだ全然足りないけどね」

白髪の鼻ひげをたくわえた、もう初老といった年のおやじが、ベースを外しながらつぶやく。

「やっぱ、洋楽のボーカルは外人ですよね。今度のオーストラリア人のブルースは誰の知り合いでしたっけ。マルさんの?」

もうひとりの50代らしいほうが、汗だくになったサックス・ストラップをはずしながら聞く。

「掲示板、ネットの。出しといたら向こうから連絡来たんだよ。ブルース唄いたいって」

「へえ、blues 大好きの Bruce か。日本人にしかわからんダジャレだけど」

「はい、座布団没収~」リズム・ギターのヒロシが、ニタニタしながら会話に加わる。「でも先週来たアメリカの海兵隊の黒人シンガーは唄ヘタでしたね」

「そうそう、見た瞬間はオーティス・レディングかと思ったけど、あれはカール・ルイスが日テレだかの娯楽番組で唄ったレベルのはずしかた(笑)」

「え、アン・ルイス?」

「ちゃうちゃう。あ、そっか。30代のヒロシはあの9秒台の黒人の秒速男は知らないか。カール・ルイスといえば、80年代、90年代に金メダルとりまくりよ。いま風に言えばウサイン・ボルツ」

「でも、唄はおそろしくヘタだった」とシンイチが解説する。「バラエティ番組で唄ったのを聞いた当時の日本人は、黒人でもリズム感ゼロで音痴な人もいるんだと初めて知った。昭和の記録」。「六本木心中アン・ルイスも、かなり昭和だけどね」

30階の、ペントハウスとは名ばかりのマルの自宅の屋上の仮設リハ用ステージには、赤道近い北緯1度の灼熱の太陽が照りつけている。水道を開いて水を流しておかないと、裸足の足の裏が焦げる。

常夏の島シンガポール。旧正月明けの2月から5月くらいは、本当に暑い。日中、外にいると照りつける太陽で皮膚が焦げそうになる。体感気温は40度を越えて、頭がくらくらしてくる。それで、すぐ、冷たいビールを飲みたくなる。

「(ヘイ、ガイズ。なに盛り上がってんの。仲間入れてよ)」と、リード・ギターのダニーがビールを片手に会話に加わってくる。

ダニーは、オーストラリア育ちのポーランド系ユダヤ人。昼間はウェブの会社でマーケティングの仕事をしているが、根っからのブルースマン。週末は3人の子育て以外の時間はすべてブルースに捧げている。愛機は年季のはいったフェンダーのテレキャスターで、それを重そうにしていつも持ってくる真空管のギター・アンプにつないで、それはそれは重たい音をかき鳴らす。

「(ブルースのボーカルなかなかいいね、と言ってたんよ)」とマル。

「(BluesはやっぱりBruceが歌わないとね)」

ダニーはそのダジャレになっていないダジャレには無反応で、「(まあ、俺たちブルース・ブラザーズのコピーバンドだから、ボーカルは2人いないとね。それにホーンとかキーボードとかまだまだ足りないし。)」

「(そうそう、ミッション・フロム・ザ・ガッドよ。バンドメンバー探せっていう神様からのミッションよ。まずはメンバー探さないとね)」

下の階のリビングでだべっていた、ボーカルのブルースと、ドラムのトシが、らせん階段登って戻ってきて、また練習が始まる。

「おい、ハマダ!おまえ、またリズム走ったよ。まったくぅ、40年近くもいっしょにバンドやってるのに毎回このベースの俺を困らせて」、マルが日本語で軽口をたたくと、シンイチとヒロシが笑う。

ペントハウスの日陰で練習をみていたマネージャー?のナガトが笑いながら、「(また、マルとトシの二人のバディ・トークよ。リズム走ったって)」と通訳する。「アイ・ノウ、アイ・ノウ」とダニーが笑う。

ナガトは、マルと同じ滋賀県出身で、シンガポール滋賀県人会で会長のマルを補佐して早5年。奥さんがタイ人の在シンガポールもう20年越えの定住組である。楽器はやらないのだが、バンド活動を面白がって、カメラマンやマネージャー役を買って出ている。

トシもマルと同じ60代。美大での同級生。美大の同期に荒井由実がいたというのが自慢。でもすでにユーミンが在学時代からメジャー・デビューしまって、サークルでアマチュア・バンドをやっていた二人とは別世界の住人のような存在だったらしいが。

マルは、美大出身のイラストレーターくずれの広告宣伝マン。広告代理店勤務で滞在したメルボルンでブロンドの奥さんと出会い、いろいろあって、会社を独立。流れ着いたシンガポールで、奥さんと始めた小さな広告代理店は最初は客もつかず鳴かず飛ばすだったが、アジア危機の後、2000年代にはいってから、日系企業でシンガポールで事業展開したいクライエントを捉えて、ビジネスは上向きに。奥さんロシェルが書く英語のコピーライトにマルのイラストがけっこう受けて、商売は繁盛した。

トシは、美大時代は彫刻家を目指していたが、すぐに彫刻では食っていけないと建築のほうに進路を舵取り、卒業後いくつかの設計事務所を経て、80年代から海外の建築プロジェクトの設計の仕事にどっぷりつかり、ネパールやケニアに10年以上、そしていまはシンガポールの名の知られた設計事務所に籍をおいている。ネパールで知り合ったアメリカ人の奥さんとの間に1男1女、離婚した後にオーストラリア人の建築家との間に1女を授かっている。いまはいろいろあってシンガポールで一人で暮らしている。

「ガハハハハハ」と、トシがいつものようにマルにいじられて、脳のてっぺんからカラリと響いてくる仙人のようなすがすがしい声で笑う。すると、すうっと、どこかから熱帯のよどんだ熱い空気の中に涼しめの風が吹きこんできたのを、皆が感じる。

それは、別にトシがさわやかなナイスガイだからというわけではなくて(天然で明るいのはそうなんだが)、涼しめの風は、実は、不吉な熱帯性スコールの前兆。湿気を帯びているが雨のお陰で温度は低めのそよ風。遠くを見ると、どす黒い雲がその真下に雨を降らせているのが見える。風はその雲のあたりから吹いてきている。

「オー、シット。レイン・アゲイン」とブルースがボーカル・マイクを通してつぶやく。実は、2時間前にもひと雨あった。折角ドラムセットを並べて、アンプとスピーカーをつなげてこれから練習と思ったら、急に雨が来た。感電したり、機材が壊れては大変なので、あわててみんなで機材を屋根の下に移す。そこへ、ざーっと容赦ない大粒の熱帯のスコールが襲ってきた。10分くらいしたら、また強烈な熱い日差しがもどってきた。

シンイチこと森信一が、いい年してなぜこのバンド活動に関わったかと言うと、あれはかれこれ、、、たった20日前、息子の草野球の練習を手伝っていたときのこと。「森さん、森さんって名前は演歌歌手みたいだけど、たしかなんか楽器やってましたよね。トランペット?」と野球チームのコーチが聞く。

シンイチは、実は大学時代ジャズ研にいて、へたなんだが趣味でサックスを吹いていた。ある時、シンガポールの日本人会という建物の宴会場で出し物があって、音楽好きのベース弾きの知り合いが「太陽に吠えろ」のテーマをやりたいというので、それだけ参加して吹いたことがあった。それをコーチは覚えていたようだ。

「ラッパじゃなくてこういう縦の朝顔のやつなんですけど、昔吹いてましたが」とシンイチがいうと、「知り合いが、ブルースブラザーズのコピーバンドを始めようとしているんですよ、それでメンツが必要と。僕は音楽できないので、ダンサーとして参加しようかなと思って。マルさんっていって、むちゃくちゃおもろいおやじですよ、企画してるの。そうそう、一度、対抗試合で女の子数名いれないとだめということで助っ人ででてくれた、マリサっていうハーフの子、マルさんの娘なんですよ」

シンイチは、おもしろそうだなと思い楽器持って話を聞きに行って、それで、すぐ参加を決めた。30階のペントハウスでの音出しが最高に気持ち良かった。それが理由みたいなものだった。

シンイチは、20年くらいのゼネコン勤務の後、駐在員してるときにいろいろあって辞めて、10年くらい前からここシンガポールで社員2人の教育とかのコンサル会社をほそぼそやっていた。留学を支援したりとか、シンガポールのインターナショナル・スクールに入学するのをフィーとってアレンジしたりとか。日本人の奥さんと2人の子供、最近5、6年は子どもの育児でばたばた。その2人もやっとティーン・エイジになった。そういえば、音楽、ずっとやってなかった、と思う。20代に住んだアメリカでは独身だったしジャズのバンドとかやったりしたが、思えば、ここ10年は人前で演奏したのは「たらちゃ~ん」みたいに聞こえる「太陽に吠えろ」のテーマだけだった。


まだその時はバンドは構想段階とも言えて、ベースのマルと、ドラムのトシ、ギターのオーストラリア人と寿司職人のヒロシがいるだけだった。そこへシンイチのサックスが加わることになる。

ヒロシは30台、寿司職人としてシンガポールの料亭みたいなところで働いている。ラブラブのガールフレンドがいて、いつもバンドの練習につれてくる。話をしたら、インドネシア系でシンガポール国籍を持っているという。スレンダーでショートカットの髪を明るいブロンドに染めている美人。小声で静かに話す。ヒロシに、美人だしいい子じゃん、と言うと、「結婚してもいいとおもってるんすよ。でも、ムスリムなんで、いろいろあるんですよね」とヒロシ。「もう一緒に住んでるんですけど、一緒のときは豚とか食べないようにしてるんで、週に1回はこっそり外でトンカツ食ったりしてますよ、ははは」

今回初登場のボーカルのブルースは、オランダ系オーストラリア人。180センチを越える大柄で、ダニーと違って、もはやオランダのアイデンティティはなくて、気さくなオージーという感じ。米系大手ネット会社でストレージの営業担当で、中華系アメリカ人の奥さんとの間に2人の赤ん坊がいるという。唄は、オールド・ロックからジャズからなんでも唄ってきたというが、とくに60年代のリズムアンドブルースが大好きだという。


「(このバンド練習の後のビール、最高だな!)」

ブルースがクーラーボックスから取り出した、キンキンに冷えたタイガー・ビールをくっと飲んで、唸る。

「(練習中から既にぐびぐび飲んでたけどな)」とマルがつっこむ。
午後6時すぎになって、この30階屋上に強烈に照りつけていた南国の太陽も若干ゆるくなる。どこからかそよ風も吹いてくる。

ここ、シンガポールは何十年前に政治経済上の判断なんだか、時計を中国と同時間にしたので、日本からは1時間遅れ。不思議なことにシンガポールより東のベトナムが日本から2時間遅れなので、たぶんシンガポールの時計設定にちょっと無理がある。朝は7時すぎまで暗く、日本だと午後2時くらいの暑さのピークが午後4時くらいに。うだる暑さが若干和らいでくるのが午後6時すぎくらいである。

バンドの練習は、遅くても午後7時くらいには終わる。夜遅いと、以前、近隣から苦情がきて、パトカーも来たことが何回かあったという。

「音って、上とか下にはそんなに行かないはずなんだが」とトシが言う。建築家だけあって、雑なドラム演奏とはうらはらに、言うことは理論的。「音の性質として横に行くから、屋上でやっているのは下には迷惑はかけないが、そうか、風に乗っていくと近隣のところまで音が運ばれるのか」と一人つぶやいている。

「トシさん、それって程度問題。これだけアンプかませたギターの音とか、ガンガンのドラムとか、管楽器がやったら、それはかなりうるさい」とシンイチがつっこむ。

「でも、この屋上でオープンスペースでの音出し、最高ですね。地下室のスタジオとか籠もってやってると、管楽器は酸欠になりますわ」

そこへ、マルの奥さんのロシェルと娘のマリサが、差し入れを持って登場する。ロシェルはオーストラリア人。娘のマリサは日本語も流暢に話す。その2人を追うように、真っ黒のゴールデンレトリーバー犬「しょうゆ」も階段をあがってくる。しょうゆ、とはなんともぴったりな名前。濃口醤油みたいな漆黒のまっくろな大型犬である。とても人懐こい。

差し入れの、マンゴーやパパイヤやメロンやスイカなどのカット・フルーツは、ビールのつまみとしてはあまり合わないが、暑さで脱水した体にはありがたい。トロピカル・フルーツで水分補給しては、また飲むビールで脱水だが。


ギターを片付けたヒロシがちょっと真面目な顔をして聞く。「ずっとロックばかりやってたんですけど、やっぱブルースって簡単そうで難しいですね。リズムのノリ方が違うっていうか」

「そういう話は、「教授」に聞くべし」と、マルがダニーのほうを向かって言う。

「(プロフェッサー、ブルース初心者に講義してやってよ)」

ダニーがモジャモジャにカールした茶色い頭をちょっと掻いて、はははと笑う。

そしておもむろに講義を始める。

「(まず、1980年リリースのアメリカ映画『ブルース・ブラザーズ』は必見。まあ我々がやる曲のメインはあの映画からだし、映画から派生したバンドでその後演奏された曲を演奏していく予定だし)」

「(あの映画が画期的だったのは、当時でもまだマイナーな存在で、黒人中心に流行っていただけとも言えたブルースやR&Bを、アメリカでメジャーな存在にしたこと)」

「(映画自体は、カーチェイスありドタバタお笑いありの、はちゃめちゃなストーリーのコメディだけど、当時のブルースやR&Bの錚々たるメンバーが出演して唄っている)」

「(ジェームス・ブラウン、キャブ・キャロウェイ、 レイ・チャールズ、 ジョン・リー・フッカー、アレサ・フランクリン、チャカ・カーン...)」

「(映画自体は、当時アメリカで毎週土曜の深夜にやっていたサタディ・ナイト・ライブという番組での二人のコメディアンが作り出したキャラクターから発展した企画。当時の番組のレギューらも総出演。おもしろいところでは、スター・ウォーズのキャリー・フィッシャーやスティーブン・スピルバーグも友情出演している)」

教授の講義は続く。

「(コメディアンのダン・エイクロイドはカナダ人なんだが、根っからのブルース好きで、バンドでブルース・ハープ(ハーモニカ)を吹いたりしていた。彼が番組のレギュラー仲間の怪優ジョン・ベルーシと作り上げたキャラが、黒い背広に帽子にサングラスの二人組、ブルース・ブラザーズ、ブルース兄弟。これがテレビでうけちゃって、毎週土曜のレギュラーみたいになった)」

「(実はこのスーツ姿の格好には悲しい歴史的背景もあって、黒人のミュージシャン達はカジュアルな格好をして街を歩いていると警官にいらぬ嫌がらせをされたりしたので、なるべく真面目なビジネスマンみたいな背広姿でいるようになった。そんな人種差別の過去が背景にあった)」

教授に冷えたビールを渡しながら、シンイチが付け加える。

「(ちょうど1980年は、僕も高校の交換留学でアメリカの片田舎に居た。その人口3万人くらいの農業が中心の街でも、高校生たちは土曜の夜零時にはテレビの前に集合、”Live from New York! It's Saturday Night!”の掛け声で始まるSNLに釘付けだった。田舎の、白人中心のどちらかというと平和で退屈な町の若者にとって、この週末のニューヨークからのコメディと音楽のライブ番組は、大都会の猥雑な怪しさが満載で、刺激的で、とても格好良かった。僕はブルース・ブラザーズのジェイクのほうのジョン・ベルーシが大好きで、彼が演るサムライ・フタバというキャラも最高だった)」

「(キィエーイ!ハッ。ワックスイン、ワックスアウト!)」マルがサムライ・フタバのマネをしながらボケる。

「(それ、後半はカラテ・キッドのミスター・ミヤギ)」とダニーが鋭く訂正を入れる。みんな笑う。正確に言うと80年代を知らないヒロシとブルースは、つられて笑う。「(ダニエルさん、ソリー、ソリー)」とマルはミスター・ミヤギのマネで言う。白くなってきた鼻髭が、そういえばミスター・ミヤギに似ている。

香ばしい匂いのチキン・ウィングがどっさり載った皿を持ってきたロシェルが、「(フィンガー・フード・タイム!)」と、ダニー教授の講義を一瞬中断させるが、引き続き講義は続いた。

「(この二人のコメディアンは、黒人音楽に傾倒し、ミュージシャンを尊敬して、おもしろおかしいコメディショーの中で、けっこう本格的なブルース曲を演奏していた)」

「(SNLのスタジオがニューヨークだったこともあって管楽器隊にニューヨークのジャズ・ミュージシャンがいて、ブルースでの従来のホーンの役割は決まったシンプルなフレーズの繰り返しのバック演奏だったのに対して、彼らのアドリブソロの部分では、もう当時最先端のジャズだったりした。コードの上部構造を踏まえたテンション音のフレーズとか、アウト感を持ちこんだり、良質なブルースにかなりな近代的なジャズが加わった感じがあった)」

テンション音とかいうあたりで、ヒロシの「わからないですわ私」テンションも極限に達してきていたが、ダニーはこう続けた。「(と、音楽的に解説するとそうなるが、なんといってもブルース・ブラザーズ・バンドが流行ったのは、演奏がご機嫌にハッピーで楽しかったこと。ふとっちょジョン・ベルーシがバク転したりして、それは盛り上がるコンサートだった。今日初めて練習した、Everybody needs somebody to loveなんて、最高に楽しいよね)」

ここで、映画『ブルース・ブラザーズ』のあらすじをおさらいしておきましょうかと、語り部の心の中の声。この熱帯での脱力感あふれるバンド結成ドラマも、どうやら一部そのあらすじを追いかけながら進行していくようなので。安易にウィキペディアなどを参照しながら。

映画あらすじ(Wikipediaより抜粋)
「ジョリエット・ジェイクは強盗を働き、3年の刑期を終えてシカゴ郊外の刑務所(ジョリエット刑務所)を出所し(仮出所、判決は懲役5年)、弟のエルウッドが彼を迎えに来た。兄弟はかつて育ててくれたカトリック系の孤児院に出所の挨拶に行くが、そこで、孤児院が5,000ドルの固定資産税を払えないため立ち退きの瀬戸際にあることを知る。孤児院の危機を救うため援助を申し出る二人だが、犯罪で得た汚れた金は要らないと逆に女性院長に追い払われてしまう。
何とか孤児院を救いたい二人はかつて孤児院で世話を焼いてくれたカーティスに相談すると、ジェイムズ・クリオウファス牧師の移動礼拝に出席することを勧められる。気乗りのしないジェイクをエルウッドがプロテスタントの教会(トリプルロック教会)での礼拝に無理矢理連れてくると、クリオウファス牧師の説話を聞いていたジェイクは突然神の啓示を受ける。「汝 光を見たか?」「そうだ!バンドだ!」
こうしてふたりは、昔のバンド仲間を探し出しあの手この手でバンドに引き入れ、音楽で金を稼いで孤児院を救う「神からの任務」に立ち上がったのだが、行く手にはイリノイやシカゴの警官、州兵、マッチョなカントリー・ミュージック・バンド、ネオナチ極右団体、そしてジェイクの命を付けねらう謎の女が待ち受ける。
あらゆる伝手を使い、孤児院の子ども達も宣伝に動員した結果、満席となった会場で“凱旋コンサート”を催し、舞台裏でレコード会社の契約を受けた二人はレコーディングの前払金として現金10,000ドルを受け取る。孤児院存続に十分な資金を得た二人はブルース・モービルに乗って、警察やネオナチの追手を振り切りシカゴ市本庁舎に到着、クック郡を担当する窓口で期限前に納税を済ませるも、州警察や軍隊の総動員によって身柄を拘束され刑務所に収監される。
ラストシーンでは、刑務所の食堂施設でバンド一同とブルース兄弟がエルヴィス・プレスリーの“監獄ロック”を演奏する。」


神からの任務、Mission from Godとなった兄弟の出身の孤児院救済にバンド再結成するという話が、アクション・コメディとして展開していく中で、ブルースの名曲が次々と演奏される。バンド面子集めのブルース・ミュージカル、みたいな仕立ての映画。

クライマックスのコンサートのシーンで歌われるのが、Everybody needs somebody to loveと Soulman 。ジェイクとエリオットが、いまは食堂で働くギタリストをバンド再結成に誘うシーンで、アレサ・フランクリン扮する奥さんが激怒して歌うのが Think。カントリーウエスタンのバンドのギグを騙して横どったときに演るのがロック調のGimme some lovin。

バンド結成だとか馬鹿なこといってないで働きなさいよと、アレサ・フランクリンにパワフルに歌われちゃうと、なかなか辛い。それを、これはMission from Godなんだからと押し切ってしまうジョン・ベルーシにはなんだか笑ってしまうが、たぶん生活からのプレッシャーの中で音楽とか絵とか演劇とかやっていた人には、身につまされる話でもある。実は永遠の芸術への謳歌のような不思議なストーリー。

「(ラッパ吹きがひとり見つかったかも知れない)」とマルがみんなに言う。

「シティホールの楽器屋のおやじが知っている音楽学校卒の二十歳のシンガポール人。シンガポール人の男が全員2年やらないといけない兵役開始までの半年とか9ヶ月とかふらふらしているらしいんで、来週来てくれそうだ)」

「(それと、ミュージシャンじゃないけど、ブルース・ブラザースの2人の片割れのエルウッド役としてちょっとハーモニカ吹く振りしながら踊ってもらう「ダンサー」みたいな面子も正式採用決定!」とマル。

シンイチに日本語で言う。「シンちゃんも知ってる竹原だよ、野球の監督の。彼はあの映画が大好きで、音楽はできないんだが、ずっとこれやりたがってたんだよね」

まだまだ足りないが、映画みたいに、一人一人と、だんだんとバンド面子が集まってきた。

「(ブルースバーのオーナーのマイクっているシンガポール人のギタリストが知り合いなんだが、バンド結成したっていったらおもしろがって、今度、日曜夜のジャムセッションの時に2、3曲やっていいってよ)」


2週間ほどした土曜の昼下がり、ベーシストのマルが、ペントハウスに集まってきたメンバーに宣言する。

「(え!?ライブ?今日はじめて練習参加で、自分はクラッシックしかやったことないんだけど)」。童顔の中華系シンガポール人のジョーが早口で驚いた声で言う。

「(いいのいいの、君ならできる。トランペットは適当に。ホーン・セクションは、このサックスのシンと相談して盛り上げてね)」。無責任に、マルが答える。

Crazy Horseといえば、シンガポール川の逆バンジージャンプ施設(ゴムで座席を下から上へとぶちあげるやつ)の横にある、観光名所クラークキーの老舗ライブハウス。毎晩、ロックやブルースのライブでにぎわっている。

夜になると観光客も繰り出す場所で、毎晩すごく活気がある地域。日本では考えられないが、その地域のバーでライブ音楽をやるところは扉が河にむかって開放されてて、夜になるとライブの音が外までがんがん聞こえてくる。
シンガポール河にそって歩くと、ディズニーランドの乗り物さながらに、その前をとおりすぎるたびに、いろんなバーの音楽が耳に飛び込んでくる。

ロック、レゲエ、ブルース、どんよりと湿った熱帯の空気を震わせる生の音楽の音が、酒の力を借りて陽気になった店内の客の大声の会話とともに聞こえてくる。スポーツバーでサッカーの試合で盛り上がっている店もある。
シンガポールの夜は、基本は温まった陸へと海から涼しめの風が吹いてたりするのだが、時折その潮風が止まると、河からただよう湿った空気が重たくのしかかってくる。

それは、ブルースの本場ミシシッピ・デルタみたいで、案外、ブルース演奏はこのアジアの南国の風土に合っているかもしれない。

Crazy Horseのそんな雰囲気を思い出しながらシンイチがマルに言う。「マルさん、我々、結成1ヶ月で、デビューがCrazy Horseですか!凄すぎ、ちょっと話ができすぎですね。まあ、リズム隊とシンガー2人にホーン2本が揃って最小限の面子は揃いましたけどね、人に見せるには早い気も」。

マルが、ひそひそ答える、「教授がOKならだけどね。けっこう音楽の完成度にうるさいからね。バンドとしてのモチベーションも大事だし。ダメ出しされたら延期だけどな」

気難しい教授ことリード・ギターのダニーも、2曲だけ、みっちり仕上げて、1ヶ月後にお披露目ならいいんじゃないかと賛同する。その代わり、リズム隊のベース、ギター2本、ドラムは特訓だけどな、と釘を刺す。

曲は、映画ブルースブラザーズ・バンドのコンサートシーンのオープニング曲"Everybody needs somebody to love" と、定番の "Soulman"の2曲を演ることにする。

Everybodyは、陽気で楽しい曲。誰しも、愛する人が必要。アイ・ニード・ユー、ユー、ユーと、歌手のブルースがみんなを指差しながら唄う。ブルースは根っからのショーマン、こういうので盛り上げるのうまい。

ホーン隊の間奏も、エブリバディーのメロディのところをハモって楽しく盛り上げる。練習で合わせながら、「ああ、トランペットとサックス1本だけじゃなくて、重みが欲しいな。低音。追加で、トロンボーンと、サックスもあと1本できればバリトンがいるといいなあ」と、シンイチは思う。アイ・ニード・ユー、ホーンプレイヤーズ。

トランペットのジョーはさすが音大卒。楽譜初見、かつ、楽譜がない曲でも曲の調性にあわせて適当に吹くんだが、これがぴたっと合う。聞くと、中学生のころからシンガポール地元の学校の吹奏楽にいて、短大で2年トランペット科だったという。どこの国にも才能あるやつはいるもんだ。

当地シンガポールでは、男子はすべて2年間の兵役義務がある。高校卒業で兵役2年やってから大学へと行くパターンと、ジョーのようにジュニア・カレッジとかを2年やって兵役やってからあと2年大学に編入するとか、2年のジュニア・カレッジの学歴で社会にでるとかいろいろパターンがある。もちろん、日本より大学は狭き門で、大学進学率は3割くらいで、中学か高校卒業して兵役2年の後に働く子もたくさんいる。

シンイチはシンガポールで永住権をとったので、日本人なんだが、息子が18歳になると同じように息子に兵役義務がある。まだ何年かそれまで余裕があったが、近年の自分の一大関心事となっていて、ビールを飲みながらジョーにいろいろ兵役について聞いた。

シンガポールでは永住権を持った外国人が人口6百万人のたぶん1割くらいいて、その息子たちは、頭を坊主刈りにしてシンガポール人の若者に混じって、アーミーや警察消防で訓練を積む。2年は長いが、特に深刻な国境紛争もないこの国では、体育会でしごかれるような感じなのであろうか。

兵役は、アジアだと、韓国、台湾あたりも同じか。まあ、北朝鮮も当然兵役制だろうけれど。男はつらいよ、である兵役。たしかイスラエルとかは女性にも兵役あるというが。グリーンカードのような永住権者も兵役対象というのは世界の常識。アメリカでもたくさんのグリーンカードホルダーがベトナム戦争に従軍した。

ジョーは、ジュニアカレッジを12月に終えて、たぶん秋口に徴兵がかかるまで半年以上を「ギャップ・イヤー」と称して、ふらふらしてるんだという。金がないからあんまり旅行できないが、夏には、日本にいってみたいという。アニメ、食べ物、音楽、すべて好きだと言う。お世辞でなく。

そういえば、ギャップ・イヤーって聞いたこと有るな、とシンイチは思った。昔、学生時代に海外にあこがれて、貧乏バックパッキング旅行をしたときに、なんだかんだ3ヶ月くらい南米を旅したのだが、ヨーロッパのやつらがたしかギャップ・イヤーだから1年近く旅するんだとか言っていた。凄いやつらだなと思ったが、そういう学期のずれとかがあるからか、となるほどと思う。

日頃、仕事の教育コンサル、というか、シンガポールで子供に英語での教育を受けさせたいと願う日本人親御さん相手に留学サポートの商売をやっているのだが、日本人は熱心すぎて考えがガチガチ、心の余裕がないなあなんて思うことがある。遅れが出ると就職に不利だとかなんとか。半年くらいギャップ・イヤーでフラフラできる社会っていうのがあってもいいと思うのだが。

シンイチのコンサル会社、といってもシンイチと、マサシというアラサーのスタッフと2人の会社だが、日本からシンガポールやマレーシアへの英語留学をアレンジしたりしている。

マサシがよくつぶやく。「シンイチさん、日本のお金持ちの親御さんって、えらく熱心ですよね。留学先のインターのランキングみたいな情報集めてたりして、細かく学校比較してみたり、卒業生の進学先大学リスト見たがったり。でも、結局、その学校でうまくいくかなんて、その子供がたまたまいい先生とか同級生に出会えるかとかが大きいんですけどね。なんだか日本のお受験アプローチを持ち込んできているみたいですよねえ」

「文句は言わない。その熱心さがあるから、我々にコンサル料払ってくれてるんだから」とシンイチが返す。「まあ、親の仕事の都合で世界中連れ回されて仕方なくこの国でインター行ってる子供たちとなんかちょっと違うよね。なんだか、親から自分ができなかった国際的な日本人になる!ていうことを背負わされている感じもあるよね」「日本人が言う、国際的な人材って、なんなんだろうねえ」

マサシがうなずいて言う。

「そうなんですよね、国連デーで浴衣着て折り紙折って国際人日本代表!って、親の幻想というか、親が喜ぶコスプレみたいなもんかもしれないですよね。国際人コスプレ。

そういえば、それに比べると、こないだの飲み会来てた、シンさんのバンドのあの親父、ぶっ飛んでますよね。初対面の僕に、海外へなんできたの?自分は若い頃に金髪の女性にあこがれて国を出て、それでずっと海外で、もう還暦すぎたんだが、君は?とかきかれましたよ。まあ、図星で、俺も動機は似たようなもんなんですけど」

「ああ、マルさんね」、苦笑いしてシンイチが答える。「まあ、英語身につけて将来は国連で国際的にばりばり働きたいとか言う中学生より、動機が不純でお馬鹿だよね。下半身が原動力の国際化みたいな。でもね、あれで、不思議なキャラで、まわりの外人がマル、マルって慕って寄ってくるんだよね。白人の奴らも、中華の奴らも、マレーの奴らも、一目置いてるオモロいオッさん。ある意味、すごい国際人かもしれない。不思議に、バンドメンバーも集まってきているよ。いろんな国の音楽好きが」


「リズムが走ってる」「ベースがもたってる」「リズム・ギターはベースをよく聴いて」。スパルタ教授ダニーの厳しいダメ出し連発を経て、だんだんと演奏がまとまってきた。

2人だけのホーン・セクションも、なかなかいい感じのハモリになってきた。音大出身ジョーにあわせるようにして、よく自分のパートを間違えるシンイチもちゃんと合わせられるようになってきた。

20歳か。俺は今年54歳だから34のときに子供つくってたら今こんな息子がいることになってたわけだと、ジョーに演奏を指導されながらシンイチは思う。ときどき厳しい指摘。たぶん、日本だったら、おやじみたいな世代の人間にここまできつく言わんがなとは思うが、笑顔で教えを請う。

Crazy Horseでの出番を翌週末に控えた土曜日、ダンサー?の竹原もリハに参加した。気合いがはいっていて、上から下まで黒できめている。帽子、サングラス、背広上下、黒いベルトに黒い革靴。ジョン・ベルーシ日本人版みたいな。初対面のシンガーのブルースとも、「ヘイ、ブラザー」とかいってハグしあって不思議に盛り上がっている。

「衣装だが」ビールを飲んで休憩しているときにマルが言う。「フロントの2人は当然ブルース・ブラザーズの黒装束スーツだが、バンドは70年代サイケデリックで行こう!」

まったく意味を理解していないという顔のジョーが「(70年代ってなにがあったんだ?なんなんだ?)」と聞く。

「(ヒッピーだよ。ラブ・アンド・ピース。長髪に、ヒゲ、ベルボトム・ジーンズにフラワー飾り。そういう世界観)」マルが解説する。それでも当惑した顔のジョーに、「(トア・パヨのパーティ貸し衣装屋にいけばなんかあるよ。それで集合ね)」。

「(シン、ホーン隊はどうする?サイケといわれてもなあ)」ジョーが言う。シンイチは笑って、「(こういうのは任せてくれ。おれ、70年代も知っているしな。まあ、うちにかなり派手なアロハシャツが何枚かあるから、貸し衣装いかなくてもそれでやってしまおう。それにパナマ帽にサングラスな。まあ、セブンティーズというより、キューバン・ボーイズみたいになるけど)」



マルが練習が終わって、機材をみなで片付けているときに言う。

「(大事なことを言うのを忘れていた。バンドの名前、決めた)」

みんなふと手を止める。マルがもったいぶってゆっくりと言う。

「ザ・ブラザーズ・イン・ブルー」

「(語順を変えただけだけど。まあ、カッコいいだろ~)」

なぜか、その時、ちょうど強い風がぴゅっと吹いてきて、シンイチの手書きの楽譜の一枚がペントハウスのテーブルから吹き飛ばされる。それは、手摺りを越えて、30階の外へと飛んでいった。

熱帯の午後の昼下がりの、遠くの景色が湿気で霞んでいる空へ、その楽譜は舞い上がって行く。かろうじて目で追っていると、道路を挟んだ向かいの20階くらいのコンドミニアムの上を越えて、さらに先の用水路のような川のほうに、消えていった。


そして、本番がやって来た。

店は日曜の夜の9時なのに、なぜか店は満席。我らバンドメンバーが家族や友人を呼んだから。教授のユダヤ系の奥さんとか、ヒロシのムスリムの彼女とか、ブルースの妊娠5ヶ月の中国系アメリカ人の奥さんも来ていた。みんな家族は初対面。既にジャム・セッションが進行中だったので、とりあえずみんなで飲み始める。Crazy Horseのオーナーでギタリストのマイクは店が満席なので嬉しそうである。

2曲演奏といったが、じつは3曲。オープニングの曲として、”Can't Turn You Loose"という、もりあげて幕を開ける音楽というか、コミカルなブルースのインスツルメンタルな曲を演奏。

"Ladies and gentlemen, boys and girls! We are glad to be here at this legendary Crazy Horse to play tonight. We are Brothers in Blue!"

その導入テーマの最後に、ダニーがマイクに向かって叫ぶ。それに乗って、店の奥から、サングラスに黒背広のブルースと竹原が登場。

シンイチは後ろでみていて笑ってしまった。2人は芸が細かく、手錠でつなげたアタッシュケースをもってきていて、音楽にあわせて出てきておもむろにアタッシュを開けると、なかにはハーモニカが。

そして、”Everybody needs somebody to love"が始まる。

ギターとベースのアンプの音が大きすぎて、シンイチたちのホーンの音がなかなか客席に届かないが、客席は大盛りあがり。まあ、観客はバンドの知り合いの集まりなので、盛り上がらないはずはないんだが、10人くらいは前にでてきて踊りだしたり、ビールジョッキを片手に立ち見で楽しそうに音楽にあわせて体を動かしていたり。

続いての曲、そして3曲めにしてその夜最後の曲 "Soulman"は、皆が聞いたことのある、これぞブルース・ブラザーズという曲。これも盛り上がらないはずはなく、ちょっと引き伸ばして長めに演奏したが、酔った客たちはアンコールを要求。

マルが日本語で、「ごめん、これしか練習してないんだよ。これにて、おひらき!」というと爆笑。わからなかった人には、日本人が "Oh they have no more songs practiced!" と説明して、大笑いしている。みんなかなり酔っていた。


「シンちゃん、このバンド、けっこういけるかもしれんな。多国籍ブルース・バンド。Probably the only Blues Brothers copy band in Singapore!」、酔ったマルが嬉しそうに言う。

汗だくになったパナマ帽をぬぎながらシンイチが答える。「えへへ。いい感じ。でも、キーボードとホーンもあと2本ほしーい!」

そこへ、"I love you, Brothers!" と酔っ払ったブルースがきて、マルとシンイチの肩をばしんと叩いてハグして笑う。

まだまだ不十分だが、何かが始まった、そんな予感をもたせてくれた夜だった。

日曜夜遅くになにやってんだろうとは思いながらも、Mission from Godだからな、と自分をなっとくさせたブラザーズたちは、その夜、心地よい余韻とともに眠りについた。

(第二章へと続く)


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この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとはこれっぽっちも関係ありません。

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