見出し画像

ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートとともに生きる私たち

先日、北欧雑貨店でロイヤルコペンハーゲンのお皿を見つけた。
ロイヤルコペンハーゲンは、デンマークの食器メーカーで、毎年、イヤープレートと呼ばれるその年の限定のお皿を販売している。

「そういえば、お義母さんの形見のイヤープレート、どこにあるのかなあ」
北欧雑貨店に陳列されたイヤープレートを見ながら、夫に尋ねてみた。

以前、義母から趣味でロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートを買い集めているという話を聞いたことがあった。
数年後、義母が病気で亡くなって、遺品の中から義母が家事のあれこれを書き残したメモが出てきた。その中に、
「私のロイヤルコペンハーゲンのお皿は、〇〇(私の夫)に譲る」
という記載があった。
しかし、義母が亡くなったばかりの頃、モノがあふれんばかりに詰まった実家の収納から、ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートを見つけることはできず、数年に1度「そういえば、あのお皿どこにあるんだろうね」と夫と話すことはあったが、義父に対する遠慮もあって、あえて探したりはしなかった。

今日、夫の実家に年始のあいさつに行った。

「お皿、あったでよ」
と言いながら、義父が部屋の隅の黄ばんだ発砲スチロールの箱を指さした。
発砲スチロールのふたを開けると、そこには、ロイヤルコペンハーゲンの青い箱が整然と並んで詰められていた。

夫が義父にイヤープレートを見つけてくれるように頼んでくれていたらしい。

義父は義母が亡くなってから約10年間、コツコツと実家の整理している。義母や祖母が残した大量の洋服や遺品を処分し、一人住まいでも使いやすいように家を改築している。
夫は、整理が進んだ今ならお皿を見つけだせるかもしれないと思ったそうだ。

お皿の入った箱は10個ほどある。
一番上に収められていたお皿だけ箱に入っておらず、プチプチで包んで置かれていた。プチプチを開いてみると、青いお皿が出てきた。よく見ると、冬の日常の一コマが白と青の2色で描かれていた。お皿のふちに西暦が描かれている。なるほど、ここで買った年が分かるのか。

「そういえば、ここにもあるでよ」
と、義父が玄関にある飾り棚から1枚のプレートを持ってきた。

お皿に描かれた年は、1974年。
「それ、僕の生まれた年やな」と夫。

「まだあるでよ」
と、義父がリビングのテレビボードの棚の奥に手を伸ばし、2枚のお皿を出してきた。

2002年と2004年。
夫と義父が口をそろえて、「何の年だろ?」と言う。

私にはすぐにわかった。
それは、うちの子供たちの生まれ年だ。義母にとっては孫の生まれ年。

「これも全部持って帰っていいぞ」
と、義父が言ってくれたけれど、1974年のお皿は、義母が大事に玄関に飾っておいたものだから、そのままにしておくことにして、子供たちの生まれ年のお皿は、ありがたく頂いて帰ることにした。

帰宅し、箱を開けて、1枚1枚確認した。
1989年
1990年
1991年
1992年



2000年

2002年
2004年

それから1970年と、実家に置いてきた1974年。

並べて、しばらく眺めて、分かった。

どうやら義母は節目、節目にイヤープレートを買っていたようだ。

始まりは、1970年。義母が結婚した年。
そして、息子(私の夫)が生まれた1974年。

1989年。ここから2000年まで続けてイヤープレートが揃っていた。
1989年は、私の夫が高校生になった年。多分子育てに一段落し、この時期が一番自分のために時間やお金を使えた時期だったのではないだろうか。
そして、プレートの毎年の購入は2000年で終わっている。
2000年は、息子が結婚した年。ここでいったん終わっているのは、親の役目が終わったと感じたからだろうか。
2002年に初孫が生まれ、2004年にはもう一人孫が増えた。

イヤープレートは、義母の喜びの記憶だった。

「限定のお皿だから、売ったらそれなりに値段がつくかもしれません」と義母の遺したメモには書いてあった。
一応、フリーマーケットサイトで金額を見てみたが、義母の大切な気持ちを手放してまで得る金額ではなかった。

使おう。

お皿を引き継いだ私たち家族が、しっかり使おうと思った。

実を言えば、買い替えることのできないお皿を普段使いにするのはとても怖い。割れてしまったらもう取り返しがつかないと思うと、使うのをためらう。(夫も「せめて僕のいないところで割れてくれ」と言う)
義母の思い出の詰まったお皿が割れてなくなったら、義母の思い出も壊してしまったようで、義母に申し訳ない。

でも、使えるものを使わずにとっておくのは、逆にそのモノを大事にしていないと言えるのではないか。外に出たいと思う人を家の中に閉じ込めておくのと同じではないか。
モノを押し入れの奥で眠らせておくより、たとえ、いつか壊れてなくしてしまっても、今、次代へ引き継いだほうがいい。

2002年のイヤープレートは、その生まれ年を持つ息子へ、2004年のプレートは、ほかのお皿数枚と一緒に下の娘に引き継いだ。
私たち夫婦の結婚した年、2000年のプレートは私たち夫婦の手元に残し、義母と義父の結婚した年、1970年のプレートは義父の元へ返すことにした。残ったお皿は食洗機でよく洗って、さっそく今夜から使い始めた。和のおせちを載せても、とても様になった。すばらしいお皿は、和洋関係ないようだ。

「お母ちゃんの分まで見届けなあかんと思ってな」
今日、ほろ酔いで饒舌になった義父がぽつりと言った。
数年前、生死をさまよう病気を患って以来、逆にそれがストレスになるんじゃないかと思うほど過剰に健康に気を付ける義父を、夫と半ばあきれて見ていたが、それには理由があったらしい。
67歳で亡くなった義母。孫の成長をもっともっと見ていたかったはず。義父がその義母の分まで健康に長生きして、義母に代わって孫の成長を見届ようとしていたのだ。10年たってはじめて、義父の本心を聞いた。

お義母さん、素敵なお皿を残してくれてありがとう。
毎日、お皿と向き合いながら、未来に向かって生きていきますよ。




サポートいただけると、明日への励みなります。