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甘くないパンケーキに逆恨みした救急車事件

(お食事中の方は、後でお読みくださると幸いです)

あれは、2年前の6月半ばのことだった。

ちょっと曇り空だったけど、風が涼しくて、爽やかな朝だった。
「朝ごはん食べに行かない?」
ベッドの中から、部屋で寝ている娘にLINEする。
「どこに?」
「こないだできたカフェの朝ごはんどう?」
「いいよー」
「じゃあ、起きようか」
「オッケー」

こんなやりとりをして、近所に出来たばかりのカフェに向かった。
その店は書店が経営しているブックカフェ。
壁面には、ずらっとその書店がおすすめする本が展示されていて、好きに手にとって読むことができる。本のラインナップもときどき変わっているみたい。
来るのは2回目。
前回は、平日の夜に来たので、次はモーニングが食べてみたいと思っていた。

お店のオープンテラスのソファに座った。
2人でゆったり座れる大きさのラタンのソファにふかふかのクッション。テラスから臨む庭には、背丈を越える観葉植物の鉢植えがいくつか置かれていて、南国感と開放感。
梅雨の6月の空は少し曇っているけど、そよ吹く風は涼しくて、気持ちが良かった。

雑誌やネットの前情報によると、この店の売りはパンケーキらしい。
モーニングメニューのパンケーキとセットのコーヒーを注文した。

しばらくして、パンケーキが到着した。
大きめのお皿に載ったパンケーキ3枚に、半熟に焼けた目玉焼き、カリカリに焼かれたベーコン、レタスのサラダが載っていた。パンケーキには、マヨネーズがベースのソースがかかっていた。
実をいうと、生クリームやジャムの付いていないパンケーキを食べるのは、これが初めて。どんな味なのか、ワクワクしながら一口目を入れた。

「甘くない!」
ベーコンや目玉焼きの塩気やマヨネーズソースの塩気を感じる。サンドイッチやハンバーガーのような感覚だけど、パンケーキのふわふわ感とほんのりとした甘み。
しょっぱ甘い。面白い。
メープルシロップが添えてある。
目玉焼きとベーコンを半分食べ終わってから、今度はそれをかけて食べてみる。
今度は甘しょっぱい。なかなか美味しい。
あっという間に完食した。
少食の娘もペロリと平らげた。
生クリームがたっぷり乗ったカフェラテ、娘はココアをすすりながら、しばしオープンテラスで風にふかれながらまったりし、ふたりとも満腹になって機嫌よく帰った。

その日は土曜日だったので、午前中はピアノのレッスンに行った。先生にさきほど食べたパンケーキの朝ごはんが美味しかったと力説した。

「あまりお腹が空いてないなぁ」
お昼前に帰って来て、しばらくして気がついた。
朝ごはんにパンケーキを3枚も食べたせいかな。そういえば、昨日の晩御飯は近所のとんかつ屋でロースカツ定食にサラダバーまで食べたんだった。
ちょっと食べすぎてるよな。
ランチは軽めしよう。

午後になって、ソファでゴロゴロしていると、お腹のあたりがムズムズしてきた。
あれ、これ、何?

じっとしていると、お腹がゴロゴロと大きな音を立てている。
腸がすごく動いているような音。
食べすぎた分、頑張って消化しているのかな……そんなことを思いながらソファで昼寝した。

数時間後、お腹が張っていることに気がついて目が覚めた。
お腹は相変わらずゴロゴロといっている。
おならが、ばふっと出ればスッキリするような、お腹の張り。なのに、おならは出ない。

トイレに行ってみるが、私の体は無反応。

それから、1時間もしないうちに、お腹が痛くなってきた。
まるで陣痛のように、数十分おきに痛くなる。差し込むような痛み。
あ、これは下痢をしたときの痛みかもしれない。
お腹がゴロゴロゴロと雷のような音を立てるたびに、下腹部に差し込むような痛みがくる。自然と体がくの字に曲がる。
いたたたた……いてーよ!!
なのに、便がでる気配は全くない。
体は悪いものを出そう必死で頑張っているのに、出口に大きな栓がされていて、出るものをせき止めているようだ。

「早く出せ!!」
「そうはさせるか!」
と体の中で戦争しているみたい。
いや、はよ、出してよ。

痛みはどんどん増して来る。
さっきまで、お腹のあたりの痛みだったものが、もう今じゃ体全体の痛みに感じる。この痛み、尋常じゃない。
もしかして、下痢じゃないの!? 盲腸? それとも腹膜炎? お腹のどこかが破裂したんじゃ!?

とりあえず、なんとか出るものを出さねば、この戦いは終わらないと、トイレにこもってみる。便器に腰掛けると、次の痛みが襲って来た。
いたーーーーーーっ。お腹を刺された時ってこれくらい痛いんだろうかと思うくらい痛い。
顔面は蒼白になり、血の気が引いて行くのがわかる。
強い吐き気まで襲ってきた。
トイレの便器に顔を突っ込み、吐く体制になる。
すると今度は、お腹の痛みがくる。漏らしてはまずい。上も下も大騒動。ああ、どうしよう。
目の前で、白と黒のモザイク模様がチカチカと点滅して見える。やばい、脳貧血の症状だ。トイレの床に、あられもない格好でうずくまる。
お腹はゴロゴロゴロゴロと止まることなく音を立て、痛みを連れてくる。

「痛いーーー。 死ぬぅーーー」
トイレのドアの向こうで、様子を伺っていた夫に、いつもの100分の1くらいの弱々しい声で助けを呼んだ。
ドアを開けて夫が入って来た。

「なんちゅう格好でいるんだよー」
呆れたというか哀れみの声で夫がつぶやく。
「動けないんだもん……」
泣きつくように夫に言うと、
「病院行こうよ」
「いや、動けないからムリ」
「動けないって、死にそうじゃん」
「ただの下痢だから」
「ただの下痢で、こんな格好にならないから!」
「でも動けない……あ、また痛くなって来たから、出てって」
夫を追い出し、便器に座るが、一向に出る気配はなく、またしても、吐き気とめまいに襲われる。マジで死にそう……

「救急車呼ぶよ!」
夫がトイレのドアの向こうで言う。
「え、でも……」
ためらっていると、
「動けない、痛いって、もう救急車しかないよ」
と言う声を聞きながら、またしても腹痛と吐き気とめまいに襲われた。もうだめだ。

「救急車、呼んでください……」

なんだろう、この敗北感。
出るのをせき止めてた方に負けたのか。

夫がスマホから、119番通報してくれた。
救急車は数分で来てくれた。
あっという間に、近くの総合病院へ運ばれた。

いろいろな検査を痛みをこらえながら受けた結果、
「便秘ですね」
耳を疑った。
ええ!? ただの、便秘!?

「ここ見てください」
先生が指差した、私の腹のなかの写真には、大量のう◯こがびっしりと腸を埋め尽くすように溜まっていた。
そして、朝ごはんに食べたパンケーキは、消化もできず、胃に残ったままだった。

「よく、ここまで溜めましたね」
先生は、呆れ顔の苦笑い。お金をためず、こんなもん、ためてどうすんだ、自分。
でも、昨日、便は出たはずだけど。
「それは、ちょっと出ただけですよ。もっとずっと溜まってるんでしょう」
との、先生の説。

「とにかく、全部出しましょう」
看護師さんに恥ずかしながら浣腸をされ、先生に処方された大量の下剤を飲んだら、あっけなく便秘は解消され、お腹の痛みもスッと消えた。
あの地獄の苦しみほどこへやら。

トイレで戦った数時間は本当に辛かった。
もう死んでもおかしくないと思った。その原因が、便秘だったなんて。

もともと相当な便秘症だという自覚はある。
何日もでないことなんてザラにある。でもここまで溜まってしまっていたとは、正直びっくりを通り越して、怖い。
便が詰まって、本当に死んでしまう人もいると聞いたことがある。
自分がその一人になる可能性もあるということだ。

実をいうと、今だに年に1回くらい同じようなことが起きる。
さすがに救急車を呼ぶほどひどくはなってない。というのも、浣腸することを覚えたからだ。
救急車で運ばれた時に、浣腸すると、すぐに出て、痛みが治ることを知ったからだ。あれから、我が家の救急箱には、イチヂク浣腸が常備されている。

それから、救急車はこりごりだ。
けたたましい音を響かせてやってくる救急車は、近所の目もあるし(理由が便秘って言えない)、ガタガタ揺れて乗り心地も良くない(便秘で乗るには)

近所のカフェのモーニングのパンケーキのしょっぱ甘い味を思い出すと、同じ日に起こった「便秘で救急車事件」を思い出す。
甘くないパンケーキをテレビや雑誌で見ると、あの日の地獄の苦しみを思い出して、口の中が苦くなる。また、甘くないパンケーキを食べたら、お腹が痛くなるかもしれないなんて、思ったりしてしまう。

今はまだ、甘くないパンケーキが食べたくない。
パンケーキに対する完全な逆恨みだ。甘くないパンケーキに罪はないんだが。

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