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違和感を超えて、続けるしかない

どんなに過去からの実績を眺めても、人から励ましを受けても、自分の「できる」を肯定できなくなる時がある。

誰に何かを言われたわけでも、大きな失敗をした訳でもなく、昨日と同じように書いていても、突然、はしかのように自己肯定できないときに出くわす。

自分の書いた文章や自分の発信した言葉、どれも相手にちゃんと伝わっていないんじゃないかと不安になる。今までに発信した言葉を全部消して、自分もこの舞台から降りてしまおうか、消えてしまおうかと考え始める。

大学生になった時、ピアスの穴を開けた。
勉強一筋だった高校時代の私には、おしゃれの「お」の字もなかった。
ぽっちゃり体型で(今もそうだ)、気に入った洋服がよりどりみどりにできなかった。でも、ピアスなら体型を気にせず、好きなデザインをつけられると思ったから、思い切って自分で開けた。
だけど、次の日から、嬉しいどころか、ピアスをした自分に違和感しか感じなかった。

おしゃれなんて全くできない自分が、おしゃれ上級者のようにピアスをつけることが、とても場違いな気がした。体型も洋服も相変わらずで、おしゃれじゃないままなのに、ピアスだけがきらめいているギャップに耐えられなかった。
ピアスをしているほかの友達は、みんなおしゃれで、綺麗で、きらきらしていた。それなのに、自分は全然綺麗でもおしゃれでもない。劣等感を感じた。
周りから「ピアスの穴開けたんだね」と言われるたびに、「洋服はちっともおしゃれじゃないのに、ピアスなんかして、おしゃれな人ぶって」と思われているような気がした。

結局、数週間後にピアスを外した。穴はすぐに塞がって使えなくなった。

すっきりした。もう「おしゃれじゃないのに、おしゃれぶって」と言われなくなると思うとほっとした。また、いつもの、全然おしゃれじゃない自分に戻った。

でも、周りの友達がどんどん綺麗になって、ピアスも開け、洋服のおしゃれを楽しむ姿を見るたびに「自分も綺麗になっておしゃれしたかった」という気持ちがわいてきて、ピアスを外してしまったことを後悔した。

「おしゃれぶって」
なんて、誰も本当は言ってなかった。
「ピアス開けたんだね」の次に出てくるのは「痛くなかった?」「次はどんなピアスを買うの?」「自分でやったの?」というの言葉。
単に、新しいことにチャレンジした人に対する興味や関心で聞いただけだったのに。
「おしゃれぶって」と自分に思っていたのは、自分だけだったのに。
綺麗におしゃれになりたい気持ちより、今までの「おしゃれじゃない自分」でいるほうを選んだのは自分だ。
「おしゃれじゃない自分」でいたくないと思っているのに、今のままでいいと思う矛盾。そこにいるのは、変化を恐れる自分。

あの時、ピアスを開けたままにしていれば、本当に「ピアスを開けておしゃれぶって」と言われて嫌な思いをしたかもしれない。
綺麗な友達と比べて、繰り返し劣等感を感じたかもしれない。
でも、ピアスを選ぶ楽しみからおしゃれが楽しくなって、ダイエットも頑張れたかもしれないし、ぽっちゃり体型のままでも、おしゃれを楽しむ方法を見つけていたかもしれない。新しい「おしゃれな自分」を発見できたかもしれない。
でも、私はそれを選ばなかった。

どんなに今が自分にとって不満足な環境でも、自分が変わるときの違和感や変わるための努力の面倒くささより、今までの不満足な環境でいるほうが楽。
自分を変えることで、今までの関係が崩れたり、先が見通せなくなることが嫌なのだ。おしゃれじゃない自分を選択すれば、付き合う友達は変わらないし、未来永劫「おしゃれじゃない自分」でいることは変わらない。
私にとって「変わらないこと=安心」だ。
だから不満足な環境のままでいたがる。

今、突然やってくる「書いてる自分を肯定できない」という感覚は、大学時代のピアスを開けた自分への違和感に似ている。

書くことをはじめてから「書く自分」という新たな自分の一面ができた。それに、時々激しく違和感を感じる。書けないのに無理して「書ける自分」を演じているのではないか。「大したことも書けないのに、書ける人ぶって」と思われているんじゃないか。書いていても自分は何も変わらないんじゃないか、書いても何の役にも立たないんじゃないか。すばらしいことを書ける人と同じフィールドに立っているのは場違いなんじゃないか。やっぱり私はダメなんじゃないか。

でも、本当の気持ちは「書いていたい」だ。
下手で、伝わらないことがあっても、書けなくて「あー、書けない!」と叫びたい時があっても、「ここは本当に私の居場所でいいのか」と不安に思うことがあっても、書き続けなければ、「書く人」にはなれないんだろうなと思う。

大学時代に開けたピアスの穴はふさがってしまった。
でもその数年後に知り合った友人に勧められてもう一度ピアスの穴を開けた。
やっぱりその時も違和感はあって、やっぱり「もうはずそうか」と思うこともあった。でも、友人からピアスの良さを教えてもらい、「もうちょっと!」と励まされ、ピアスホールは完成した。
もう10年以上が経つが、その穴は今もちゃんとある。
毎日、ピアスのおしゃれを楽しませてくれている。
もう体の一部になっていて、違和感など微塵もない。

違和感がなくなるまで、続けること。

もうダメだ、やめようかなと思うことは、これからもある。
本当は、向いてないかもしれない。
でも、書くことに違和感がなくなるまで続けることしか「書く人」になる道はないのだ。

だから、書いたものは消さないし、とりあえず、この舞台からも降りないでいようと思う。

サポートいただけると、明日への励みなります。