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不正を憎む心はこうして生まれる

割引あり

体が進化の産物であるように、心も進化の産物です。心は、肉体を維持して子孫を残していく命という存在が作り出した物です。命をつなげていくことにつながるように心はできあがっています。

たとえば、怒りの感情が沸き上がるのは、怒ることで自分を守らないと、命をつなげていくことが難しいような場面だからだと考えられます。むやみに怒ることはいけないでしょうが、適切に怒らないと不当な浸食を受けることになります。

命をつなぐためには、同じ種類の生物の異性と性交する必要があります。なので、それを後押しするための感情の動きが組み込まれています。人は人の、犬は犬の、鳥は鳥の異性と結ばれます。けれど、その基準は厳密なものではなく、犬が飼い主に発情したりするようにときどきは誤作動する程度の精度のものであると思われます。動物園での様子を見ていると、ライオンとトラは互いに仲間として認識し合うようです。犬が、人の股間の匂いをかぎたがったりするのも、同類とみなしているからかもしれません。

子どもを可愛いと感じる心も進化の産物でしょう。ライオンの群れは、メスが狩りをして、オスが先に食べ、その間メスは待ちぼうけを食いますが、子ライオンたちは、オスと一緒に食べても怒られません。犬や猫でも、子犬や子猫が横から餌を食べようとすると、大人の個体は譲ったりします。必ずとは言いませんが、ある程度は子を保護し、優先させる心が進化の中で作られてきたのではないかと思います。

カラスはエサを見つけると鳴き声を上げて仲間を呼び寄せるようです。そういう習慣を身に着けることが、種の存続のために役立つからでしょう。カラスは思考してそのように行動しているわけではなく、そうさせる気持ちが肉体に埋め込まれているのだと思います。

人や動物を撫ぜたり撫ぜらたりすることは気持ちの良いものです。オキシトシンが分泌されるからです。心の動きの裏には、こうした物質の仕組みが存在しています。

さて、表題についてです。

集団で暮らすタイプの生物に乱暴な個体がいるとします。この個体がいることで、集団の平安は乱され、危害を受けたり、無駄に消耗することになったりしてしまいます。それは生存に不利益をもたらします。なので、心は乱暴さを嫌うように進化しました。こうして、乱暴な個体はうとまれていくことになります。

不正についても根本は同じでしょう。不当な手段で何らかの利益を得ようとする個体があれば、他の個体は、その分、生きて子孫を残すという命の本分を果たしにくくなります。たとえば、どの社会にもある程度の決め事がありますが、その決め事を守らないことは一種の不正になります。不正を働く側は得をするように見えても、結局は不正をとがめられたり、衝突を繰り替えりたりして、集団全体に不利益を与えることになるでしょう。だから、遠い昔から集団を作って生きてきた私たち人類は不正を嫌うように心が進化したのだと私は考えます。

以下、蛇足です。

ただし、今の社会は少し様子が違います。カネという道具ができたことにより、カネを得ることが命をつなぐためのウェイトを大きく占めるようになりました。不正がどうこうよりも、カネを得て子孫を残せるかどうかのほうが、ずっと大きな意味をもつ環境が生まれています。

今の社会では、個人の力は弱く、身近な集団の持つ意味も薄れて、巨大なシステムの中でカネを得ることができるかどうかが大きなウェイトを持つため、巨大なシステムの中の不正に怒ることよりも、気づかないふりをしてやりすごすほうが得策になっているように私には思えます。



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