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別の世界があると思いながら生きている

私が本当の世界だと考えるのは、カネも電気もないような世界である。

紀元前の世であっても、都市があり、国があり、国や都市の間で交易があり、国を治める人たちもいただろう。対照的に、ほんの少し前の世界でも、都から遠く離れ、人の少ない土地に住み、自給自足のような暮らしを送っていた人たちがいただろう。私の考える本当の世界とは、後者のような生き方をしている世界である。

私はとにかく大きな活動が嫌いだ。大きな経済にあこがれることはない。スタジアムに群衆を集めて熱狂する様子を見ても、人間ならではの不自然さを感じるだけである。

私が本当の世界だと考えるのは、人の影響をあまり受けていない自然が暮らしのすぐそばにあって、日々の暮らしを囲んでいるような世界である。先日、「夕焼け小焼け」を作詞した中村雨紅氏のインタビュー記事を目にする機会があった。その中で、雨紅氏が車ばかりが大きな顔をするようになり、夕焼け小焼けの歌詞のような世界が失われていくことを嘆き、良いことであるとは思えないというような発言をされていた。私もまったく同感である。

車も電気もカネも、私たちに大きな恩恵を与えてくれるではないかと考えるのが常識的な態度なのかもしれない。けれど、私には、そんな世界は偽物にしか思えないのだ。

現実の世界では、自由に使えるカネも時間も少なく、平凡以下であろう日々をただ多忙に過ごす中で馬齢を重ねるばかりなのだが、私の頭の中には、常に、本当の生き方をしている自分が存在し続け、山を歩き、澄んだ水を泳ぐ魚を覗き込み、カエルの声やキツネの姿を楽しんでいる。もしも、たくさんの人が、そんな世界を常に思い描きながら生きるようになったなら、世界は本当の状態に戻ってくれると思う。

無意識に触れる情報に踊らされたり、避けることの難しいストレスフルな生活にただ流されたりするのではなく、夕焼け小焼けの歌を口ずさみながら、絶対になくしてはいけない本当の世界のことを常に意識して、生きていこうではありませんか。

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