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発電所

「馬鹿言うなよ、あれはただの発電所だろ。」

 ついさっき屋台で買ったソーセージトーストのパンくずをシャツの一面にこぼしながら、少年は言った。何故自分にはこんな者しか友達がいないのだろうと思って、彼は大いに落ち込んだが、それは街のせいであり、決して自分のせいではないのだと言い聞かせ、もう一度少年に訴えた。

「だけど僕は見たよ。真夜中にあそこから光る鳥が出てくるんだ。」
「馬鹿が。発電所だからだろ。」
「そうじゃない、あれは絶対に…」

 彼は言葉を切った。少年の後ろからふらふらと大人たちが近付いてきていたからだ。街の大人たちは、子供たちだけで話し合うのを極端に嫌っていた。細かい理由は分からないが、くだらないことで笑い合ったり、ありもしない妄想で嘆かれたりするのが億劫なのだろう。彼の母は実際にそういったことを彼に浴びせかけたことがある。だから、大人はまんべんなくそういう気持ちを持っているに違いない。
 少年は大人の軍団の中に自分の父親を見つけ、嬉しそうに連れ立って去っていった。彼はソーセージトーストが羨ましかった。だが、どうやって母にその願望を伝えるべきなのか、彼には見当がつかない。背後ではいつものように発電所が唸り声を上げていた。

「ただいま。」

 仕方なく彼が家に帰ってみると、母と少年の父が不自然に隣り合って立っていた。母は彼を見つけるなり不自然に微笑みを浮かべると、髪の毛や服の裾を触りながら、ちらちらと少年の父を見比べている。彼は何かを言おうと口を開いた。しかしそれよりも前に母が言った。

「お腹減ってるでしょう? ソーセージトーストが来ていたわよ。」
「でも…」
「いいわよ、行ってきなさい。」

 母は彼にコインをいくつか渡すと、半ば強制的に彼を追い出した。ドアを出て振り返ると、窓の中で二人の影かまた近付くのが見えた。彼はそれも仕方のないことだと思っていた。母はずっと一人きりだったのだ。もしかしたらあの二人は結婚するのかもしれない。家に帰ると、毎日あの二人がいて、
それに、たった一人の街の友達である彼奴も。

「…1つください。」

 ソーセージトーストを売る店の青年は、今にも泣き出しそうな顔でトーストを待つ彼を憐れんで、いつもより多くソーセージを挟んだ。街に住む子供は、彼ともう一人の卑しい子供しかいない。たったそれだけしかいない子供たちなのだから等しく愛情を注がれるべきと青年は思っていたが、なかなか人の心は上手く流れていかないものだ。発電所ができてからこの街はおかしくなった。子供が産まれなくなったのも、大人たちが仕事を捨てたのも、
全てはあの発電所のせいだ。青年は彼に笑いかけた。彼は、それで少しだけ元気を取り戻したようだった。

 ソーセージが二つ入ったトーストを公園のベンチで食べながら、彼は足元に寄ってくるハトを数えていた。全部で十五羽集まっていた。ハトたちは少し身じろぎすると一斉に飛び立ってしまうが、またすぐに戻ってきた。普段ハトたちは一体どこに住んでいるのだろう。死んだ父はその昔ハトを撃っていたという噂があったが、あれは本当だろうか。

 だんだんと日が暮れて、手持ち無沙汰になった彼は家路に着くことにした。大人たちがふらふらと歩いている間をすり抜けて、彼は発電所を振り返った。例の唸り声は聞こえなくなっていた。きっと夜になると、また光る鳥が飛び立つに違いない。

「母さん。」
「あら、もう戻ったの。」

 彼はお釣りを母に渡し、家の中から少年の父親がいなくなっているのを確かめた。目をこらすと、ソファの上にトーストのくずが落ちていた。それが少年についていたパンくずなのか、もしくは母と二人で食べた分のパンくずなのか、彼はじっとその来歴を辿ろうとした。すると、ソファに座らない彼を訝しんで、母が近付いた。

「何してるのよ。」
「トーストが落ちてるんだ。」
「アンタが落としたんでしょ。きちんと綺麗にしておくのよ。」
「…母さんは、発電所の鳥を見たことがある?」
「鳥なんてそこら中にいるじゃない。」

 それ以上何かを言うべきではないと、彼には分かっていた。彼は黙ってパンくずを拾い集めながら、慎重にゴミ箱に捨てた。


 その夜、少年はベッドを抜け出して、窓辺に立っていた。遠くに見える発電所の屋根の上から、光る鳥が飛び立った。鳥は夜空を高く昇り、星の隙間を悠々と飛んでいる。彼は一度目を閉じて、もう一度ゆっくりと開けた。光る鳥は、変わらず空にいる。


「馬鹿言うなよ。あれはただの発電所だろ。」

 次の日も、少年はソーセージトーストを食べながら彼に吐き捨てた。彼は、相変わらず光る鳥のことを考えている。

「僕、行ってみるよ。」
「やめとけよ、大人たちに捕まるぞ。」

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