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ライフ

 一体何が舞里の心をそんなに不快感で満たしているのか、照乃には分からなかった。
 思い返せば、午後三時を過ぎた教室で初めて舞里と言葉を交わした時も、
照乃が目の前に立っているにも関わらず、舞里は赤い髪留めを何度も触りながら、じっと黒板を睨みつけていた。舞里によれば、学校に来ている教師は全員ゴミクズで、そのゴミクズたちに授業をしてもらっている私たちもまた、ゴミクズなのだそうだ。
 照乃はすっかりその言葉に怯えていたものの、舞里が少しだけ笑ったので、それで安心することにした。あれから何年も経って、舞里はやはり駅のホームで遠くにある金融会社の看板を睨みつけていた。

「私、明日は暇なんだ。」

 照乃はあと五分後に来る電車を待っていた。舞里は八分後に反対側に来る電車を待っている。

「舞里ちゃんは、明日も仕事?」
「休みだよ。」
「そっか…。」

 照乃は迷っていた。このまま舞里を誘って映画に行くこと、明日の朝にまた何処かで待ち合わせすること。駅の近くに出来た可愛い喫茶店に入って、一緒にケーキを食べること。

「ねえ、会社の中も、ゴミクズばかりでしょ。」
「…良い人もいるよ。」
「ふぅん。いいね。」
「あのね、明日、」
「電車、来たよ。」

 照乃はもう何も言えなくなって、それでも、本当は今すぐ舞里の腕を掴んでフランス映画を観に行きたかった。

「…じゃあ、またね。」

 照乃が小さく手を降ると、舞里はあの頃と同じように、少しだけ笑った。

 昼の12時に起きた照乃が携帯電話を見ると、舞里から通知が来ていた。
寝ぼけた目でメッセージを確認する。

『私ね、一日に三回までしか"ゴミクズ"って言っちゃいけないんだ。』

 それは10年越しの真実。照乃は突然告げられた告白にふふふ、と肩を揺らしていた。

『それ以上言うと、どうなると思う?』
『分からないか。じゃあ、見てて。』
『ゴミクズ』
『ゴミクズ』
『はい、これで三回。さようなら、ゴミクズ。』

 そして、どうなったのだろう。照乃は静まり返った部屋の中で舞里の言葉を待っていた。

「ねえ、喫茶店、行かない?」

 沈黙はあの日の教室のように2人の間を満たし、世界はそんな2人を、そ知らぬ顔で、いつまでも、いつまでも転がしていた。照乃は目を閉じた。明日が来れば、またきっと舞里は「ゴミクズ」を手に入れているはずだから。


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