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轍のゆくえ

 妖狐_狐が妖になった姿。人を誑かしたり、人に化けたりする。

 人を誑かして、楽しんだあと

 じっくりと楽しんで気持ちの高ぶりが最高潮になったとき

それを喰らふ_


狐と好々爺


 「クソ狐!またやりやがったな!」

花見月は文を握り締めて言った。顔には青筋を浮かべ、怒りをあらわにしている。まったく朝から騒がしいヤツだ。

「何の話だ。俺は何もしちゃいない」
「嘘つくなよ!ならなぜこんな文が届くんだよ!」

花見月は、乱暴に手に持っていたそれを俺にグイッと突きつけた。俺はやれやれとあきれながら、読んでいたマガジンを見ていた目をチラリと動かして流し見をした。…なんというか、面倒臭さがあふれ出た様子である。いや、面倒臭さしか感じない。
 その文には恋心が綴られていた。


 _貴方に恋をしました。人生でこれほど恋したことはありません。貴方を見た瞬間、時間が止まってしまったかのように感じました。綺麗な黄金の髪に、整った顔立ちが素敵です。それに声が素晴らしくて好きになれずにはいられませんでした。
 お返事は今度伺ったときに聞かせてほしいです_

以上である。
 目の付け所は素晴らしい。俺ほど見目麗しい存在はいないと冗談で花見月に言うことはあるが、他人からそう評価されると気持ちがいいものだ。もっと評価するべきだろう…されていいと思う。
 しかし俺が感心している一方で、花見月はその手紙をマジマジと見ていた。まるで何かを調べるように、じっくりと。何かあったのだろうか。首を傾げていると、花見月は言った。

「…これ自作自演か?」
「あぁ?」

思わす低い声が出た。自分に恋文が来ないからといって、俺の魅力に嫉妬するとは。他人のふりをしながら、手紙を書くのにどれだけの労力がかかると思ってるんだ。それだけの労力をかけるぐらいなら、マガジンを買いに行くわ。そんなことを思いながら、どや顔をしながら羨ましいのかと挑発する。すると花見月はあっさりと乗ってきて見事に喧嘩となった。


 軽い小突き合いという名前の殴り合いをしていると、玄関で女性らしい優しい声がした。騒がしくしていたというのに、その声はしっかりと耳に届いた。俺と花見月はピタリと動きを止める。するともう一度「すみません」と尋ねる声が聞こえた。記憶を遡ったが、この声は聞いたことがない。チラリと花見月に目をやると、花見月も首を傾げていた。どうやら知り合いではないらしい。


 …もしかすると、と花見月の手に握られている文を見た。その可能性が浮かび上がった瞬間、俺たちは声のする方へ駆け出した。


 
「はいよ。何か御用か」

短距離走に打ち勝ったのは俺の方であった。首を出すと、一人の女性と目が合う。女性は黒いセーラー服に身を包み、赤いリボンを胸元で結んでいた。何度か見たことのある制服である。確か、参拝者の子供が中学に進学するとかで、厄除けを頼まれたときにその子供が着ていたものに酷似している。女性と制服は見事にマッチしており、見た感じは現役女子中学生である。女性は見た目に騙されると痛い目に合うと経験上しているので、驚かないように心の準備だけはしておく。
 俺の目の前に姿を現した少女は口を開き言った。

「おお、お主じゃな。ここの神とは」

最近の流行はギャップと聞くが、これもその一種ということなのだろうか。まだ若々しい少女から、老婆のような口調が飛び出してきたのだが。覚悟はしていたが、どうリアクションしてあげるべきなのだろうか。いや、そっとして置いてあげるべきなのだろう。そう思い、変な間が開けながらスルーすることにした。できるだけ口調に触れないように話し、且つ、個人をさすように話さなければ。そうなれば、身体的特徴か。いや、それも地雷の可能性が否めない。なら、服装から予測できることから情報を集めるんだ。
 このときの俺には、二人称でお前などと呼ぶ方法は思いつかなかった。後から考えれば、疲れていたのかも知れない。

「…嗚呼。一応神様だが。何者んだ?チビッ」
「ほう?チビ?」
「…ちびりそうな位綺麗な空だなって言っただけだ気にすんな」

地雷だったらしい。女性の後ろから、鬼婆が一瞬だけ覗き込んできた気がした。もし俺が口をつぐまなければどうなっていたことか。一度怒らせると女は怖いと、公園に住むこと三年の参拝者が言っていた。いい加減帰ればいいのにと言うと、青い顔をして包丁で刺されると震えあがっていたのを思い出す。それほどの恐怖体験を華奢な女達が刻み込む方法なんて想像するだけでもぞっとする。女性が顔に青筋を浮かべて、眉間に皺を寄せているだけだというのに、なぜか背後に鬼婆がいるように見えた。
 少女は、自身を青木と名乗った。自称“華の”女子高生なのだそう。やけに”華の”の部分を強調していた。大事なところらしいのだが、正直胡散臭さ以外感じない。
 その青木サンは、神社の中に上がり込んで、呑気に茶を味わっていた。

「それで話ってなんだ」
「まあまあ、どうしてそんなに急くのだ。時間ならたっぷりあるじゃろう」

こんな神社に来るなら何か用事があるに違いない。さっさと終わらせよう。そう踏んで話をしようとするも、ゆっくりしようと言い出して話を振り出しに戻されるばかり。いいか加減にしてほしいものだ。俺だって暇じゃないんだ。今月のマガジンを買いに行かなければならない。

 「はっきり言わねぇってなら、さっさと帰れ。ここは休憩所じゃねぇ」

しびれを切らした俺が立ち上がりかけると、青木サンは少し焦りだした。今さっきまでゆっくりしようとかほざいていたというのに。何かぼそぼそと言うと、軽い咳払いをしてどうか座るように俺を促す。無視していってもよかったが、仕方なく言うことを聞いてやることにした。これこそ大人の対応である。

「儂も話をしたいと思う…いや、させてください」
「掌クルクル裏返したな…しかも自分を儂呼びか」
「少女の見た目に、年齢を感じる人称…バカ狐、これぞギャップ萌えじゃない!実際に見たのは初めてだけど。やっぱりギャップはいいよね」

見た目とのギャップ萌えで済ませていいのか。追加の茶菓子を持ってきた花水木が何やら楽しそうに話し始めた。俺には理解できないが、これがじぇねれーしょんぎゃっぷというヤツなのか。そういえば花見月はギャップが大好きなヲタクのようで、週に一度イベントがどうとか言っていたのを思い出した。イベントで知り合いが出来たりするとか。何だか相なれないような気がしている。それにしても俺はすっかり現代に馴染んだつもりでいたが、感覚的なものは未だ差があるらしい。
 そんな話はそこそこにしておきたかったが、花見月が青木サンと意気投合してしまった。身近な話やら現代の諸問題やらの話題に花を咲かせている。盛り上がる二人とは対称的に、俺はひたすら置いてけぼり状態で。新聞はたまに見ているのだが、マニアックな話題までは知らないし興味を持てなかった。俺とはそんな話をしないからか、心なしか生き生きとしている気がする。


 話を流し聞きながら、茶を啜っていると満足したらしく二人は茶を一口含んだ。茶の風味が広がって、渋みが口の中に残る。さっきまでは湯気を上げていた茶はもう冷めてしまっていた。仕方ないと名残惜しそうに茶を新たに沸かしに行く花見月を見送りながら、俺は話を切り出した。

「…もうそろそろ、いいか?」
「ん?…ああ、そうじゃったな」

自分から訪ねてきておきながら…。少し、否、かなりムカついた。そう思いつつも、俺は大人だから見逃してやることにした。寛大な心で。
 煎餅をかじりながら、青木サンは言う。

「お主のことを新聞にさせてほしい」
「断る」
「即決か。少しぐらい悩んでくれてもいいと思うんじゃが」

面倒ごとには首を突っ込まないと決めてるんだ。俺がそう言うと、青木サンは食い下がる。やいやいと言い合っていたら。いつの間にか戻ってきた花見月が仲介役となって話を一旦聞くことになった。
 青木サンはやはりこの辺りに住む中学生で、部活は帰宅部。趣味が写真撮影で、その延長線で新聞部と協力し合い、”スクープ”なる雑誌を作っているらしい。今月号のネタは神話、もしくはそれに準ずる話。インターネットで調べたところ、この神社に神が存在して実際に会うこともできることを探り当てたそうだ。半信半疑で来たが、実際の神を見て確信した。

「これは学校を揺るがすスクープになる…と」
「そっか。じゃあ、用が済んだら帰ってくれ」

立ち上がると、青木サンは足元に縋り付いてくる。それはもうガッシリと。振り解こうとするが、何でもするからと叫んで離さなかった。

「何でもするんだな?」
「そうじゃ。儂にできることなら」
「じゃあ、帰ってくれ」

こんなやり取りをしている。早くしないとマガジンが売り切れでもしたらどうしてくれるのだろうか。
 最終的に不服だが俺が折れることになった。致し方ない。大変、大変不服だが、青木は卑怯にも花見月を味方につけたのだ。青木がポロッと神社の宣伝もしますと零したのを聞いて、花見月は完全に敵に身がえった。神社の宣伝になれば、きっと参拝客も増える。そうすれば多少の贅沢をしても許されるぞとちょっと、いや、かなり気になることも言ってくるのが花見月である。俺の習性を理解して、的確に堕としてこようとしてきたのだ。つられぬように必死に興味のないふりをしていたが、特別号の付録付きのものまで買てくれると言われれば仕方なかった。

「それで、取材といっても何をするんだ?神社のことなら、この花見月に聞いた方が早いぞ。何せ俺は全部任せてるからな」

「胸を張って言うことじゃないだろ」と小突かれたが、本当のことである。花見月なりの照れ隠しだと理解することにした。

「神社のことならすでに下調べがついておる。儂が聞きたいのは神のこと_すなわちお主のことじゃ」
「俺?」

青木が指を俺にさす。

「いくら調べてもお主のことは出てこんかった」

青木の言葉を受けて、花見月がスマホで調べる。それを横から覗き込むようにすると、幾つか写真が上がっているようだった。そのどれもこれもが、モザイクがかかっている。

「一応問い合わせたらモザイクがかかっているのは、一応神だからという理由から。好き勝手して祟られるのが怖いとか言っておった。今の主を見ればわかるが、祟りそうにもないけどな」
「多分、そんなことで祟ったりはしない…はず。知らんが」
「まあ、実際に神を見に来てくれれば観光客が増えて、町に引っ越してくる人が増えたらいいとは言っておった。客寄せパンダならぬ、客寄せ狐じゃな」
「絶対目的はそっちだろ」

全くと少しムカついたが悪い奴らではない。口ではそう言いながらも、きっと何か案じてくれているのだろう。決して利益だけを求めているのではない、と信じていい…のか。信じさせてくれ。



狐と女子中学生


とりあえず神社の話をしながら、写真撮影をすることにした。NGを出したところは勿論使わず、捏造もしないこと。それが条件だった。

「これが手水舎。簡単に言うと体を清めるところだ。所謂お風呂みたいな感じだな」
「もうちょっと言い方を考えて!」

軽く俺が解説を入れて、花見月がより詳しく深堀する。それを青木がメモを取り、写真を撮った。
 せっかくなので、写真映えするかは不明だが実際に作法を教えることになった。教えるのは、花見月である。

「まず右手に柄杓を持ち左手を洗い清める。次に持ち替えて右手。そして口を清めて、もう一度手を清める。清め終わったら、持ち手の部分を清めて、はいお終い。お疲れさまでした」
「意外と簡単じゃな。それにしても口を注ぐのはどうしてじゃ?体を清めるためか?」
「そこは神様に答えてもらおう」
「それはな…知らん」

青木に蔑むような眼で見られたが、気付いていないふりをした。
 社務所や本殿の中を軽く案内して、取材は終了した。ずっとしゃべり続けていたため、喉がカラカラである。気を利かせた花見月が冷たい飲み物を準備しに行っている間、俺と青木は二人きりだった。沈黙を気まずく思ったのか、青木が口を開く。

「ここにはお主と花見月さんの二人だけか?」
「何で花見月には”さん”付けで、俺は呼び捨てなのか気になるが…
そうだな。俺と花見月の二人でここを切り盛りしている。たまに知り合いが来て手伝ってくれることもあるけどな」

青木は「そうなんだ」と返して、会話が終了した。外の景色を眺めていると、ふと視線を感じた。チラリ。目だけをそちらに移すと、青木が慌ててそらした。偶々かと思い、また視線を戻すとまた見られ…

「聞きたいことでもあんのか」

仕方なくこっちが切り出してやった。このままそわそわされると鬱陶しい。この前貸りたラブコメにもこういうシーンがあった。見ているだけでムズムズする。こういうとき、世話焼きの花見月がいれば何を言いたげにしているのかを察してくれるのだが。肝心な時にいない。

「その、聞いてしまっていいのか分からず」
「今さっきまでグイグイ来てたやつが何言ってんだ。礼儀を気にしてるなら、もう今更だ。吐いちまえ」

できるだけ人前ではやめておこうと思っていた煙管を吹かす。時間がかかるようなので暇つぶしにはちょうど良かった。黙っていたら、空気が重くなるだ。それを珍し気に青木がじっと見る。

「煙管を見るのは初めてか」
「昔、祖母が吸っていてな。なんでも元気になる薬だと儂に言っておったわ…祖母が死んでからは、めっきり目にすることも無くなった」
「今は煙草が主流だしな。水煙草というものもあるらしいし、吸ってみるか?」
「美味いものか?」
「さあ?俺には分かんねぇ」

煙が体に染み渡る感覚。それが理由で俺は吸っている。それ以外にも楽しみ方はあるのだろうが、興味はない。

「それで、聞きたいことってなんだ?」
「そうじゃな…聞いていいか」
「おう」

緊張が少し解けたらしく、覚悟を決めたその声をしていた。俺は暇つぶしのついでに聞くというスタンスを崩さない。できるだけ温和に対応してやる気ではいる。

「お主は何の神様なんじゃ?」

時間がピタリと止まった気がした。さっきまで聞こえていた鳥の囀りや風の音がピタリと止む。その中で、俺たち二人の息遣いのみが聞こえた。

「どうしてそんなことを聞きたい?それこそインターネットには載ってないのか。何でも情報が載ってると聞いていたが」
「無論、調べた。神社の名前から、建立理由まで何もかも。しかし、お主のことだけが本当に出てこない。

最初は自治会が隠しているのかと思ったが、問い合わせてみると自治体ですら知らない。なら、神社の関係者に聞けばよいと思った。しかし、花見月はお主の普段の行動を淡々と述べるばかりで、過去のこと、神としてのお主を語ろうとはしない」

名探偵青木は、だからと続けた。

「仮定した。語らない、話せないのではない。もしかしたら知らないのでは、と」
「ほう。それで、直接聞きに来た、と。理由は分かった。では、それを聞いてどうする」

青木は虚ろを突かれたような顔をする。まさか知りたかっただけだとか抜かすつもりか。変なことに頭を突っ込んでいくタイプらしい。

「…記事にしてもいいが、それは儂の専門外。許可をもらえるなら」
「ダメだ。記事にするにもつまらねぇし、ネタにならんぞ。するなら近所で起きた珍事件の話をさせてもらおう」
「…それは遠慮させてもらおう。秘密にしておくかの。秘密が多い方が、興味を持つ人間が多くなる」
「あ、やっぱり話すか。面倒ごとが増えるのは勘弁願いたい」

窮鼠猫を噛むとはよく言ったものだ。俺がこの場で本当のことを明かせば、青木に弱みを握らせることになる。まあ中学生が、何を言ったところで信じる者はどれぐらいいるだろうか。現代の技術を以てしても、信憑性は低そうである。

「…まあ教えてやるよ」
「え、いいのか」
「聞きたかったんじゃねぇのか」

「それはそうだけど」と青木はウダウダ言い始めた。知りたいのか、知りたくないのかはっきりしてほしい。

「別に俺は言わなくてもいいんだがな。今回神社に貢献してくれるらしいし、俺には大したお礼もできない。礼の代わりにとでも思ってくれ」

そう言うと、青木は首を縦に振った。茜色に染まり始めた空を眺めながら、俺は口を開く。

「俺の正体はな__」


頭を深く下げる青木を花見月は手を振り、見送った。青木の姿が見えなくなるなり、花見月は俺の胸倉をつかみ上げた。

「何話したんだよ。様子がおかしかったぞ」
「ああ?なにを言い出すかと思えばそんなことか」

青木は俺の正体を探りたがっていたから、俺は答えてやったのだ。俺はこの神社の神、それ以外何でもないと。それ以外何物でもないのだ。俺はこの神社の神だと。

「ちょっとおどかしただけだ」
「はぁ?絶対嘘ついてる」
「何を根拠にそんなこと言ってんだ。証拠を出せ証拠を。何も出せないくせに」

花見月は悔しそうに顏を顰めたものの、俺を大人しく放した。ワザとらしく、尻を打ったふりをする。花見月は面倒くさそうにこちらを見ると、そのまま視線をずらして境内に戻っていった。まったく冷たいヤツだ。
 一人になった。空を見上げると、醜い天が見下ろしてくる。今日は一日面倒ごとが多すぎた。朝から面倒ごとばっかり舞い込んできて、結局マガジンを買う時間が無くなってしまった。明日行って売り切れだったらどうしてくれる。嫌がらせに花見月に仕事を押し付けてやろうか。もう押し付けてるけど。

_今晩わ

黄昏時。その時間になるとあたりが暗くなる。暗くなるとさらに面倒ごとが起きやすい。そうこういうヤツ。

「良ければ、食事を分けていただけませんか。そう…例えばお前の肉トカナ」

暗闇から何かが飛び出してきた。あまりにも一直線に飛び出してくるので、思わずその辺にあったバットで撃ち返してしまった。メキッとバットが湿った音を立てる。何かは悲鳴を上げながら、階段を転がり落ちていった。一瞬だけだったが、いい運動をした。
 額を拭いながら、手にもったバットを見ると見事に根元からポッキリ折れてしまっていた。可哀そうにと思いながら、俺はバットをまたもとの場所に置いておく。付喪神は幸いおらず、忘れ物のようだったのでセーフだ。おいて帰った方が悪い。きっとそう。

「よ、よくもやりやがったな…おのれ…」

さっき飛ばしたよく分からないやつが戻ってきた。肩で息をしながら、階段にへばりついている。よく見ると猫のようだ。喋っているし、妖気のようなものも感じるから恐らくは妖怪なのだろう。

「少しは加減したが、意外と丈夫だな。もうちょっと強めにやってやればよかったか」
「そうじゃない。もっとあるだろ…謝罪とか」
「いきなり襲い掛かってきたやつに謝罪だ、なんだと言われたくないな。お前がやるのはそうだな…慰謝料だ」
「お前はどこにも怪我をしてないだろ。一体何に対する慰謝料をせびろうっていうんだ」

俺はニコッと笑いながらバットを指差す。ポッキリと折れてしまったバットの足元には小さな小さな女性が泣いている。

「あれはお前が」
「いんや、お前が折った」

ネコが言い切る前に、被せて言う。断じて俺の所為ではない。お前が急に飛び掛かってきた所為だ。それにこんなところにバットを放置して忘れていった方にも非がある。

「お前だろ」
「いや、お前だ」

どっちもどっちである。俺たちが喧嘩しているのを見て、付喪神がアワアワしているが、それを気遣う予定はない。

「んなら、俺とお前が悪い。それでいいな」
「私は悪いのは変わっとらんじゃないか!…まあ、其れで良しとしておこうじゃないか。済まなかったな、付喪神」

付喪神は猫に頭をペコペコと下げる。どうやら許してくれているようだった。それを眺めていると、ジロッと睨む猫と目が合った。

「こんなに小さな神様は礼儀正しいのに、大きい自称神様のお前は謝罪すらできないんだな。自分が悪いというのに」
「あぁ?…すまない、小さな神よ。良ければお前の住処が見つかるまで、ここにいてはどうだろうか。お前のような神は住処を見つけるのは時間がかかるだろうからな」
「…私の中での好感度がマイナスだ。もっと自然に謝れないのか。神特有の上から目線が出ている」
「知るか。このような謝り方しかできないんだよ。この神様生活何年続けていると思っているんだ」

またいがみ合いそうになると、付喪神がアワアワと慌てだす。何とかして止めようと首を横に振ってみたり、手を横に振ったりしている。その姿が少し可笑しく、堪えきれずに笑うと何故か嬉しそうに付喪神がほほ笑んだ。


狐と付喪神とエセ猫と

食卓を四人で囲みながら、口の中に食事を書き込む。やはり出来立てが美味しい。いつもなら、それ以外思うことがないのだが…狭い。狭すぎる。

「というか、花見月。付喪神は置いておいて、この猫を招き入れる必要はあったか」
「それは…寂しそうだったから?」
「それだけの理由なら入れんな。なにか面倒ごとを招き入れるぞ、コイツは火車だ」

花見月はそうなんだ、初めて見たと呑気に汁物をすする。重大性が分かっていないらしい。
 火車とは__死体をさらう妖怪で、食う時もある。主に猫や鬼の姿で描かれることが多く、人々の恐怖の対象であったであった。
 そんな妖怪が、目の前で焼き魚を食っている。そんな状況を眺めてのんびりなどしていられる訳がない。さっさと追い出してしまえ。それに限る。

「とにかく、出て行ってもらわないと困る。面倒ごとはごめんだと再三言ってきたはずだが、聞いてなかったの哉。花見月クン」
「うわ、キモイ言い方すんなよ…そんなにケチケチすんなって。俺も多少なら火車のことは知ってるし、面倒もそこそこにみるから」
「妖怪の面倒がどれほど大変か知ってんのか」
「多分。何とかなる」

絶対ならない。花見月はそう言ったものの、食いかけの焼き魚を取られている。幸先不安だ。ため息をつくと、付喪神と目が合って微笑まれた。これは俺の手に負えるものじゃない。そう思いながら、焼き魚に手を付けた。
 というのが、数刻前の出来事だ。たった数刻。それだけの時間しかたっていないというのに、目の前の惨劇である。そこの辺り穴だらけ、泥だらけ。ここは一応清めているはずの境内なんだが。こんなにも汚れがあっていいものなのか。原因は言わずもがな…俺は視線を物陰に隠れるエセ猫に向けた。

「おい、花見月。お前数刻前に言ったことですら守れないのか。この惨劇は何だ」
「…悔しいが、ごめんとしか言えない。まさかここまでやられるとは思わなかったんだ」

火車はどこからか捕らえてきた鼠を咥えていた。誇らしげにしながらすり寄ってくるのは、猫の本能からかもしれない。それでもこれは酷かった。「俺は手伝わないからな」と冷たく言い放ち、その場を去る。内心まだ大事にならず安心していたのは、きっと誰も知らない…はず。付喪神が楽しそうにこちらを見ながら後片付けをしていたのが目に入った。なにかむず痒くなって、知らないふりをしたのは何故なのか分からなかった。
 結局片づけを手伝うことになった。この展開は自分でも何となく読めていたのだ。部屋に戻って後ろ髪を引かれていた時点で、これはダメだと。何だかんだ言いながら、花見月の影響は受けているらしい。

「これが終わったら、その猫追い出してこい。付喪神の件もさっさと片を付ける。長引かせても辛いだけだ」

今度は花見月は反対しなかった。自分の手に負えないことを何となく察していたが、事実上はっきりとしたため諦めてくれたのだろう。これで疲労が軽減されるだろう。そう思い、どこかに行こうとするエセ猫の首根っこをひっ捕まえた。そう言えばすっかり聞き忘れていたことがあったのだ。

「お前、こんなところで何やってんだ。お前は火車だろう。こんなことしてていいのか」
「こんなこととは何を!恩返しをするのは基本中の基本。そんなことも知らんのか自称神のくせに!」
「お前がしているのはどちらかというと、仇だろ。恩を返すのはいいが、静かにしてくれ。気が散るわ、考え事も碌にできねぇ」
「ほかの方法など知らん!」

何とも素直なのか、愚直なのか。恩を返すという考え自体は素晴らしいが、方法が方法なだけに迷惑になってしまっている。ズバッと言ってしまったが、エセ猫は尻尾を左右に躍らせていた。

「なら、恩の方はいい。運がよかったと思って忘れろ。とにかく、さっさと仕事に帰れ」
「そ、そんなことができるなら、もうとっくにしてる!できないからここにいるんだろう!」
「…ああいえばこういう猫だな」

押し問答になって、苛立ちを隠せず舌打ちをする。エセ猫は毛を逆立てて言い返して、俺もそれに便乗しているのでどうしても怒りはヒートアップしていくばかりだ。ここはどちらかが大人にならねば解決しない。怒りの中でもそれは分かっていたので、俺は深く深呼吸をして昂ぶりを押さえながら黙って聞いた。俺が黙って暫くは煽ってきたエセ猫だが、詰まらなくなったのか顔を背け拗ねたような声で語り始めた。

「お前の言う通り、火車は死体を攫うと言われてる。これは確かに火車の本分。此く言、私もその一匹。最近、私は火車を集めて事業を展開したんだ。死体を攫うプロフェッショナルの火車が食材をデリバリーするっていうヤツなんだけど…
そんなことは置いておいてお前が知りたがっていることの方を話そうか」
「その通りだな。話せ。そしてさっさと帰れ。さっさとな」
「…簡潔に言うと、仕事に失敗した。仕事の途中で、死体を搔っ攫われたんだよ」
「食材って、死体のことかよ」

野次を飛ばしていたが、思ったよりヤバくは無さそうだ。実は喰っていい死体を探している可能性が頭の片隅にあった。実際に肉を食わせろだなんだと言い放っていたから、てっきり腹が減っているものだと思っていたのだ。

「それで?さっさと取り返して来いよ」
「そりゃ取り返そうとしたさ。こんなミスしたってばれたら、後が怖いからね…死体は見つけたよ」
「良かったじゃないですか。これで一安心ですね」
「まあ、全部丸く収まればそれでよかったんだけどね…」

反応からして、何かあったらしい。エセ猫は前足で耳を掻きながら言った。

「あるべき魂が無かった。まさにもぬけの殻だったんだよ」

ほう。思わず眉をひそめた。元来、死体と身体は強い結束力で結び付けあわされている。どんなことがあろうとも、身体か魂が離れることは無いといわれている。例外が死んだ後。死んだ後は魂は暫く体に定着しており、一定時間たった後ある過程を得て身体から切り離される。ある過程を得なかった場合が地縛霊とかそういうヤツである。

「事の経緯は分かった。じゃあ、その中身はどこにいった?身体の方は無事なのか」
「身体の方は無事だった。でも、知らん奴の魂が入っていたんだ」

空を仰ぎたくなった。実際にやってみると、空の青さがわかる。ひたすらに青い。

「その…身体に入った奴は、勿論亡者なんだよな」
「それは確認済み。ちゃんと死んでるヤツだった。ソイツの死体は火車に運ばれていたらしい。勿論、私じゃない」
「身体無しで、ソイツは現世にいたのか。死体の中身チェックはされなかったな。されていても可笑しくないはずじゃないのか」
「多分、されなかったんだろうと思う。ミスか何かだと思う」

エセ猫が言うには、その身体の方も目を離した隙に逃げられてしまったとか。もうコイツ転職した方が良いんじゃないか。ミスしすぎだろ。働き続けるにしても、暫く休んだ方がいい。
 妖怪社会のブラックさを嘆くエセ猫を宥めていると、横で鼻水と啜る音がした。何に感動したのか理解できないが、花見月は大粒の涙を流し、汚く鼻水まで垂らしていた。堪えきれなくなってくると、エセ猫と熱烈に抱き合い始めてしまった。色々収集つかない状況であったが、完全に置いてけぼりの俺は違うことに頭を支配されていた。




 騒いでもどうしようもないということで、エセ猫と付喪神は今晩も泊っていくこととなった。俺は風呂を嫌がるエセ猫を風呂に突っ込み、付喪神を花見月に任せた。そして風呂から出ると、俺が飯を食っている間に花見月がエセ猫を乾かす。完璧な連携を発揮していた。
 ギャーギャーと騒音を聞きながら、付喪神と二人きりになった部屋は静寂に支配された。

「お前はどこの出身なんだ?」

付喪神は首を横に振る。
言えないというよりは知らないと言った方が当てはまりそうだった。

「なら、お前は自分のことはどれだけ知ってる。名前ぐらいならわかるか?」

付喪神は首を縦に振った。
ならと話の切り口を変える。

「名前は分かるのか。なら、何の付喪神か分かるか?」

付喪神は首を縦に振った。最初、あのバットの宿り主かと思ったが、バットが折れても何も影響は無さそうだった。なので、もしかすると、別の何かに宿っている付喪神ではないかという仮説にたどり着いたのだ。このままうまくいけば、解決しそうだと思っていた。何せこの付喪神は話せないし、宿り場所も分からないのだから。

「具体的にその辺りを聞くのは難しいな…根本問題を聞いていこう。元居た場所に帰りたいか?」

付喪神は首を縦に振る。
 色々聞き込んで分かったことだが、この付喪神は自身のことを理解できていないらしい。何百年と経ってモノに宿る付喪神には珍しいケースだ。付喪神は、現世のことなどからっきしであった。ここまでやってこれただけでも純粋にすごいと思う。
 とりあえず疲れたので、一回休憩。懐から煙管を取り出し、吸った。煙が、空へと泳いでいく。胸いっぱいに煙を吸い込むと、隣で付喪神が暴れ出した。

「どうした」

付喪神は、駄々をこねる餓鬼のように床に倒れ込み手をジタバタさせている。急になんだと聞きたいが、落ち着かせなければ何も始まらない。煙管を持っていない方の手で付喪神の手掴むと、なおさら付喪神は暴れた。爪を立てて暴れるものだから、俺の腕に引っ掻き傷が出来上がる。これは後で処理しないと、後ができるだろう。

「落ち着けって」

しっかりと言い聞かせるような口調で言う。しかし、付喪神は暴れるのをやめなかった。

「や…や!」

突然付喪神が叫んだ。付喪神は容姿に似合わぬ力で俺を振り払い、部屋からぬけ出していったのだ。一人残された俺は呆けるしかない。急に暴れ出したかと思えば、言葉を話し出したのだ。「や」と言ったのは恐らく「嫌だ」と言っていたのだろう。何が嫌だったのかそこをはっきり言ってもらわないと、分からない。

「何だってんだよ…面倒臭っ」

そう言ってまた肺に煙を流し込んだ。何とも言えない心地よさ。ありとあらゆるストレスから自分が解放されていくようだ。考えないといけないことばかりだし、色々置きすぎだろと文句を言いたい。瞼が自然と落ちてきた。



 夢を見ているようだった。たぶん夢だと思う。だって、もういない先に逝った奴ら住民が見えたから。
 奴らは楽しそうに俺に色々話しかけてくる。何だかんだと次々言い出すのだから、耳がいくらあっても足りない。昔もそうだった。面倒だと思っていたのだが、あまりにしつこく話しかけてくるものだから聞いてしまったのだ。ちょっとした占いやら、まじないを教えると、喜んでそれを実践した。そして俺にまた感謝やら供物やらを捧げに来る。嫌だったはずなのに、それが俺の密かな楽しみになっていった。今度はどんな奴が来るのか、と心待ちにしていたものだ。
 ふと空間が歪んだかと思うと、遠くから何か鈴のような音がする。遠くを見ると、傘をかぶった人の姿。袈裟を着たそれは修行僧のようである。その修行僧が俺のもとに近づいてきた。歩く度に錫杖を鳴らし、その音が五月蠅い。

「なんだよ、お前。その杖やめろ。五月蠅くて寝られやしない」

口が勝手に言葉を紡いだ。しかし修行僧はブツブツと念仏を唱えながら、俺の前を通り過ぎようとしていく。ふと見えていないフリか、聞こえていないのか。盲目の僧も昔は珍しくなかった。それにしてもお供も無しで旅をするのは珍しい。本当にモノが見えないのなら、旅も苦労するだろうに。
 俺は気まぐれに狐火をお供に付けてやった。俺と離れすぎるといずれ消えてしまうのだが、無いよりはましだろうと思って。修行僧は狐火にも気づかず、杖を鳴らしながら歩く。何処に行くのだろうかと、俺は腕を組んで見送り続けた。修行僧が数ミリサイズになった頃、こちらを振り返ったように見えたのは気のせいだろうか。


「おい狐、何しやがった。なんで、こんなにもツクモさんが怯えてんだ」

怒鳴り声で、目が覚めた。やっぱり夢だった。
 瞼を開くと、花見月は震える付喪神を腕に抱え、もう片方の手でエセ猫の尻尾を掴み立っていた。その表情には怒りがにじみ出ている。一方で付喪神は花見月にピッタリとくっついており、顔が見えなかった。相当怖いらしい。

「…ああ、知らね。急に怯えだしたんだ」
「お前、何かしたんだろ…怯えるようなことを」

花見月に言われて、さっきの行動を思い出す。
 確か、付喪神と話をした。その時は変わったことは無かったと思う。それから、煙管を_

「あ」
「何か思い当たることがあったか」

相変わらず花見月は怒ったような口調で問いただしてきた。これでは俺が犯人のようじゃないか。多分そうなんだけれども。
 俺は煙管の灰を捨てて、懐にしまう。一応服の汚れを払う。そして空いた両手を広げ、付喪神に近づく。花見月には威嚇されていた。

「ほら、何もないぞ。安心しろ、燃えたりしない」

そう優しく声をかけると、付喪神はチラリとこちらに振り返り、俺を上から下までチェックすると震えが止まった。やっぱりそうだったらしい。
 状況がイマイチ理解できていなさそうな花見月が問うてきた。

「…煙管が嫌だったのか?」
「恐らく、な。多分、火関係で何かあったんじゃないか、それとか依り代がその手のものとか。色々考えられる」

「何はともあれ、安心していいよ」と花見月は付喪神の背を撫でた。付喪神はされるがままである。「まるで、赤子のようだね」とエセ猫が、毛を逆なでながら言う。尻尾を掴まれるのが相当屈辱らしい。随分トゲのある言い方だった。

「赤子…といえばそうなんだろうな。様子からして、まだ生まれて数十年ちょいってところだろ」
「数十年って凄くないか」
「人間にしたらそうなんだろうが、私達らや神さんみたいなやつらからしたら赤子だよ。少なくとも目の前のは自称かもしれないけど。寝て起きたらって感じだ。
 それといい加減放してくれ。気持ち悪いんだ」

花見月は「ああごめん」と尻尾を放す。地面にヒョイっと降り立ったエセ猫は、毛並みを整えながら続ける。

「付喪神が宿るのは、大事にされたものが多いね。恨みが集まったものとかもあるけど、今回はそのケースじゃなさそうだ。ちなみに、私は最初から妖怪だった。アンタはどうだったんだい?」
「神をなめんなよ、エセ猫。俺は……なんだったけ。生きすぎたらどうでもいいことは忘れんだな。何も覚えてないな」

花見月が興味深そうにしていたが、昔の話だから今聞いても面白いことなどない。嫌なことは覚えていても仕方ないし、思い出したくもない。知らぬが仏という言葉もある。エセ猫はつまらなさそうな返事をして、その日は無事に終わった。



朝。珍しく早起きした。眠れなかったのだ。もしかすると夕食後に一服したからかもしれない。服を着替え、外に出た。足を引きずるような足音が境内でする。朝っぱらから熱心な祈願者がいるらしい。
 屋根に上がり、そっと境内を観察してみた。この神社には階段がある。長いヤツが。それを足を引きずってまで登ってくる根性があるらしい。祈願者のことのなど気にしたりはしないのだが、理由を上げるなら、祈願者の根性を気に入ったからだろう。だから、見守ってやることにしたのだ。エセ猫と付喪神はまだ寝ていたし、花見月は朝餉の準備中だろう。朝餉までやることが無かったのもある。暇つぶしにはちょうど良かった。
 現れたのは、老人だった。杖を突いているし、足を引きずっている。歩くのも辛そうだった。普通の老人だが、目を引くものを持っていた。金色に染まった白髪交じりの髪である。異国の血を引いているのかもしれない。
 老人は賽銭に金を入れ、鈴を鳴らす。そして、目を閉じた。何を祈願しているのだろうか。

「どうか戻ってきますように」

老人は祈願をやめ踵を返して帰ろうとする。いつもなら勝手に探せと放って置くのだが、先に逝ってしまった奴らの夢を見たせいだろうか。

「何を返してほしいんだ」

口から言葉が勝手に零れ落ちた。老人が足を止め、こちらをチラリと見やる。

「貴方は一体?」
「俺は…ここの神だ。一応な。後先短いであろう老人の話を聞いてやろうと思って観察させてもらった。それで、何を探してほしいんだ?」

屋根の上からヒョイッと降り立ち、服についた土を払った。風化は止められないが、掃除は必要らしい。ところどころに苔のようなものがついていた。
 老人は突然現れた俺に驚くことも無く、こちらに体を向けた。

「神様…ですか。もし本当にそうなら、私の探し物を見つけてくれるかもしれない。お願いしてもいいですか」


弱弱しい翁は、払田という。先週まで東京に住んでいたが、年老いて来たため移住を決意したらしい。田舎に住んで媼と生活することを夢見ていたが、一か月ほど前に他界。それから息子が帰ってくることもあったが、夢を捨てきれず田舎のこっちに引っ越してきたそうだ。

「こんなところ、何もないだろう。東京は何でも揃っていると聞く。あちらの方が便利だったのではないのか?」
「確かに便利だった。電車はすぐ来るし、徒歩圏にコンビニはいくつもある。だが、寂しかった」

俺は首を傾げた。こんな田舎にいたら、都会は夢のような場所。よく年頃の餓鬼どもが都会の話をしているのを聞いた。それのどこが寂しいのだろうか。

「なに、息子が帰省してくれたりするものだから、寂しくはないのだと思うのですが…気分的なものです。婆さんがいなくなって、一人だと思ってしまった」
「よく分からん。お前は一人ではないのだろう。外に出れば、人がいる」
「それはそうなのですがね。年老いた人間の独り言だと思って聞き流してください」

そう言って払田は笑う。何だかよく分からないが、そういうものらしい。

「それで、探し物は何なんだ」
「そうでした…“手紙”を探してほしいのです」

「手紙?」と思わず聞き返した。払田は首を縦に振る。
 なんでもその手紙は、昔のものらしい。払田の祖先にあたる男が貰った文で、送り人は異国の女。その異国人も払田の祖先らしい。つまり夫婦にあたる。

「私の祖先は、この国日本からすれば異国の出身なのです。その妻の出身地がこの国日本だった。女は当時は珍しい留学生でして、その先が男の国だったのです」
「ほう、駆け落ちでもしたのか」
「いいえ。男が日本に来た頃には、予め聞かされていた女の家は別人が住んでいたそうです。それっきり女の所在は分からず仕舞いでした」

「そうか」戸当たり障りのない返事をした。辺りをシンとした空気が漂う。それ以外何と返せばいいのか言葉が見つからなかった。
 空気を払うように、俺は話を斬り込むことにした。

「その女が書いた手紙を探せばいいんだな。どんな手紙なんだ、何年前とか分かるか」
「何十年前か…もっと前なのか正確な数字は分かりません。ただ日本語で書かれていたという話は聞きました」
「相手は外国人なのにか?日本語が通じる国だったのか」
「どこで出会ったのかもわかりません。詳しくは聞かされていないものですから」

探し物と言っていたから簡単だと思っていたが、そうでもないらしい。取り合えず、払田の家から捜索になりそうだ。

「とりあえず、家から探せ。俺はここから動けないからな。それからなら打つ手はありそうだ」

そう言って見送ろうとすると、払田は乾いた笑いを漏らす。何が面白いのか分からず、首を傾げていると払田が爆弾発言をした。

「それが…どこにあるのか分からないんです」
「…どういうことだ?家の中にはあるんだろう?探せばいづれか見つかるのではないのか?」

「それが…」と払田は事の経緯を話し始めた。
 払田には小学生の孫がいるらしい。ある日、孫が遊びに来ていたが払田は腰痛で構ってやれなかったそうだ。それに腹を立てた子供が、払田の大切なモノを隠して悪戯をしてやろうと考えた。
 ここまでくれば、結末が予想できる。

「隠した場所を忘れた…とか?」
「そうではない様なのですが、孫が悪戯の最中に友達と出会ったそうなんです。その友達と遊ぶことに気を取られて、手紙を置いた場所が分からなくなってしまったようでして」
「…これは、その孫に思い出してもらうしかないんじゃないのか」

なんとその孫は東京に住んでいるらしい。今から会いに行けというのは、払田にとっても辛いだろう。連絡も取れないことも無いらしいが、両親が共働きのため気が引けるのだそうだ。手紙を失くしたことに気付いた孫が、泣きながら話して来たため発覚したらしい。
 流石に町のありとあらゆるところを探していては埒が明かない。何十年前の手紙だから、劣化も凄まじいだろう。外気に晒されていては、より劣化が進む。大切なモノらしいし、どうにかしてやりたいとは思うが…

「諦めるのがやっぱり一番ですな。物は劣化するものです、いつかは無くなってしまうのですから。それが偶々今回のことだったというだけ。体調管理をしっかりして孫の相手をしてやれればよかったのですから、仕方ない」
「本当にいいのか?」

払田は諦めたように、頷く。何とも後味の悪い話だ。無理だと匙を投げるのも、何だかプライドが傷つく。これも面倒ごとには違いないのに…気に入らない。
 俺は狐火を呼び出して、街に行って探して来いと命令した。かなりの数に命令したから、捜索する範囲も少なくて済むだろう。俺の挙動を不思議に思ったのか、払田が尋ねてきた。

「な、なにを」
「何でもない。狐火たちに街中を探し回るように命令しただけだ。数分もすれば戻ってくるだろうよ。その間、中で休憩しとけ。立ちっぱなしは体に響くぞ」

そう言って狼狽える払田を本殿の中に案内した。急に招いた客人を見て、花見月に怒られたのは言うまでもない。
 
 狐火たち次々と戻ってくる。報告はどれも無かったというものばかり。狐火たちがいけない場所は、住民たちが気を利かせて探してくれたそうだ。後で何かせびられるかもしれない。覚悟しなければ。

「ない、とさ」
「そうですか」

払田はしょげていた。もしかしたらと期待させたのかもしれない。
 街中にないとすれば後は考えれる場所はあるのだろうか。もしかすると、どこかに飛ばされてしまっているのかもしれない。子供は外に出歩くことも少なくないのだから、そこまで持っていたという可能性もあるだろう。
 街の外まで捜索範囲を広げてもいいが、どこまで捜索できるか分からない。途中で狐火が消失する可能性も捨てきれないし、頭を抱えることになった。
 そこにトトトと軽い足音がした。廊下の方からのようだ。音が聞こえたのは俺だけらしく、払田と花見月は特に反応していなかった。またトトトという音がして、ついつい気になった。なので、襖をあけて廊下を覗く。すると、小さな影がこちらに走ってくるのが見えた。

「付喪神か。どうした」

やけに嬉しそうな付喪神が、俺の方まで駆けてくる。そしてようやく辿り着くと、俺の横をすり抜けて払田の隣に座った。楽しそうに払田の腕を引っ張っている。

「ツクモさん、ダメだ。払田さんが怪我をしたらどうするの」

子供らしさを見せた付喪神は、花見月に抱きかかえられることとなった。それでもジタバタと暴れて、払田に手を伸ばしている。まるで構ってと言っているように。ピンときた。
 
「その…何かあったのですか。ツクモさんとは一体?」
「…気にするな。ちょっとしたハプニングだ」

思わず「え」と漏らしそうになっていた花見月の邪魔をするように割り込んだ。チラリと黙っていろと目で訴え、払田と話をする。今ので分かった気がしたのだ。

「ところで聞きたいのだが、話しに出てきた祖先は異国人だったよな」
「そうです」
「なら、髪色とかって黒じゃないよな。何色か知っているか」
「そうですね…私もすっかり白髪だらけになりましたが昔は金髪だったんです。なので、恐らくは金髪じゃないかと」

成程。なら、もう既に解けたも同然だった。街中をどれだけ捜索しても持つからないのは当たり前だ。灯台下暗しとはこのことなのだ。
 社務所に行き、落とし物や忘れ物を管理している棚を開ける。そこには数日前に届けられていた例の恋文があった。それを懐にしまい、払田の前で差し出す。すると、払田は驚いた表情をしていた。

「これ…これをどこで拾われたのですか」
「境内にあった。多分、孫が遊びに来ていたんだろ。その時に、本殿に置いた。それをそのまま忘れたんだろうな」

払田は良かったと手紙をそっと抱きしめた。他人の恋文だとしても、払田にとってそれは大切だったのだろう。

「これでお前も帰れるな。時間をかけて済まなかった、まさか手紙に宿っているヤツだとは思わなんだ」

そう花見月に抱かれている付喪神に声をかけた。付喪神は安心したような表情をしており、光の粒のようになり消えていった。

「つまり、紙に宿っていたから煙管を嫌がっていたのか」
「正確には火の方を怖がっていたのだろう。燃やされでもしたら、たまったもんじゃないからな」

 その後、払田は手紙を大事そうに抱えながら帰っていった。後姿を眺めながら、俺は自慢げに言った。

「だから、自作自演じゃないって言っただろ」

花見月は一瞬呆けると、何の話か思い出したらしい。すぐにむっとした表情になって、切り返してきた。

「そうだな。でも、お前宛のものでもなかったけどな」

やり返してやったと言わんばかりに楽しそうにする花見月を鼻で笑いながら、本殿へと帰るのであった。


狐と脅威


「あの付喪神がいなくなったら、静かになったね」

寂しそうにエセ猫が呟く。

「なら、さっさと仕事をしに帰ったらどうだ。その方が寂しくなくなるだろ」
「嫌だね。帰ったら帰ったで、仕事がたんまり溜まってるんだ」
「現実を見ろよ。さっさと仕事を終わらせた方が、いいんじゃないのか」
「なら、働かせてやろうか…さっさと仕事しろ。狐と猫暇人ども

花見月がせっせと仕事する中、サボっていたら怒られた。俺がサボるのはいつも通りのことだから、何も問題ないと思う。しかし、問題はこの火車の方である。人を攫う妖怪でありながら、地獄に罪人を運ぶともされている。色々な火車がいるだろうが、多分エセ猫は前者のタイプである。

「今はデリバリーの仕事から逃げてんだ。つまり仕事をしろっってことは、人間を食えってことか?なら喜んで…と言いたいところだけど、”今は”遠慮したいね」
「人は食うな、デリバリーの仕事しろと言いたいけど……”今は”というと?」
「この時期、払い屋の会合がある。変に暴れて目をつけられたら、たまったもんじゃない」

そう言うと、エセ猫は欠伸をする。そう言えばそういう時期だ。
 払い屋たちは三か月に一回という微妙なペースで会合を開く。その会合で今後の方針やら、何やらを話し合う。そこで決まった情報は一斉に全国の払い屋に伝達され、そこで目をつけられれば一躍有名人。ありとあらゆる場所から狙われる。まさにアイドルだ。

「そんなのがあったんだ。今まで見たことすらないんだけど」
「そりゃ、ここが払い屋たちが来ないような辺境の場所だからだろ。誰が好んで呑気な妖怪しかいないここに来るんだよ。有名な奴もいないしな」

どこまで世間知らずなんだと考えていると、思い出した。俺が話さなかったからだと。まさか妖怪が上がり込んできて、何日も共に過ごすなんて思ってもいなかったこともある。知る必要のない事は教えていない。怯えられても困るから。怯えたヤツの世話なんて面倒だ。

「有名な奴はいないけど、あんさんがいるじゃないか」

そう言って、エセ猫は俺を指差す。俺は冗談で背後を振り返って見せた。

「いや、あんさんだよ。冗談なのはわかってるからね」

エセ猫がツッコんでくる。ここ数日で俺の扱い方が分かってきたらしい。

「俺は強くないぞ。強ければ群れとか作ってても可笑しくないだろう。何処かの狸は、それはそれは凄い数をまとめ上げてるとか聞いたことがあるな」
「犬神刑部のことか。実際には見たことないけど、凄いらしいね。
でも、アタシはあんさんが本物の神だと言われても信じるね。そこらの神以上だとも思うよ」
「本物の神だっつってんだろ。神以上の実力なんて褒めすぎにも程がある。確かめようにも神に挑むなんざ滅多にするもんじゃねぇよ。祟られでもしたらどうするんだ」

「それもそうだ」とエセ猫は笑っていた。
 結局、俺は参拝客の相手をすることになったし、エセ猫は邪魔だと外に出された。ちょくちょく参拝に来る客の相手をしている間にも、エセ猫が全く働かないのが気に食わない。外に出しているだけでは、日向ぼっこと何も変わらない。花見月は相変わらず怠け者を甘く見ている。そこで考えた。

「餓鬼ども、あそこの猫自由に触ってもいいぞ」

そう餓鬼どもの面倒を見させることにしたのだ。これなら、俺も文句はない。俺自身餓鬼どもの面倒を見ること自体は、嫌いではないのだ。ただ、体力の限界を知ってほしい。俺は餓鬼ではないのだから。
 急に擦り付けられたエセ猫は、それはそれは見ものだった。餓鬼どもに体の全体を触られまくり、逃げ出すと追いかけられた。純粋に見える行為でも、見ているだけで鳥肌が立つ。
 それを見ながら、俺は人々の願いを聞いていった。ひたすら話を聞くこともあるから、一種のカウンセリングに近いかもしれない。ただそれだけでも、嬉しそうなヤツがいるのだから不思議だ。

「今晩のおかずは何がいいかしら」
「…唐揚げとかどうだ。美味いしな」
「いいわね。でもあれは手間がかかるのよ。狐さんは好きなのね。狐だからかしら。そうだ、レシピ教えてあげるから、花見月君に作ってもらいなさいな」
「それは有難いが、一言多いぞ」

本当につまらない事ばかり。今日のおかずをリクエストしろっていう願いを態々神社までし来るなんて、とんだ暇人だ。

「なあ、狐さん。来てくれよ…息子が学校で喧嘩してきたんだ。そこで手を出したって。理由を聞いたら、ムカついたからって言うんだ」
「思春期特有のヤツじゃないのか」
「男同士だとそれでいいと思うんだけど、相手が女の子でね」
「とりあえず、拳骨でも落としたらどうだ。ダメなことはダメだと言わねぇと。事情を聴いてみて、納得できるならそれでよし。できないなら、一緒に謝りに行くとか。一人じゃいかないかもしれないだろ」
「それは甘やかすことになるんじゃ…」
「甘やかす以前の問題だろ。謝ることができねぇなんて。二人で行ってしこたま怒られて来い」

偶に説教じみたことを言うこともある。俺は母親かと言いたいところだが、住民の殆どを幼いころから会っているし自分の子供のように思えなくもない。面倒を見ていることもあって、頼れる相手として信頼されているらしいし。嫌ではなかったりする。
 だからと、来るもの拒まずのスタンスでやっているわけだが。それも気を付けないといけないこともある。例えばの話だが…

「ちょっと話したいことがあるんです」

もし、相談相手が見慣れない相手だったとする。その相談を拒むこともできるのだが、それを何故か俺はしなかったとしよう。面倒ごとは嫌うくせに、偶に気まぐれでも聞くことがある。後で思えば、よしておけばよかったと後悔するようなこと。

「耳を貸していただけますか」

内緒の話なんです、と切り出されれば、仕方ないと思う。俺に後ろめたいことは無いので、耳を貸した。実際、本当に話しずらい話をほしい場合もあったりする。

「======」

そこで呟かれた言葉を聞いて、しまったと思っても遅い。
 俺に悪戯を仕掛けてくる奴はいる。大半は子供の遊びみたいなモノなのだが、稀に冗談で済ませきれないヤツもある。

「…バカ狐!」

呪詛とか、な。
体が傾いていく。力を込めているはずなのに、どうしてかとどまれない。地面にぶっ倒れると、焦った表情の花見月が見えた。お前のそんな顔は見たくない。嫌いだ。








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