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息子と日本旅 : 佐久編 シェアハウスでインドカレー

12月14日、美しい朝の光を浴びながら佐久に移動。息子が出発前からやりたいと希望し、自分でポスターも作って準備をしていた「ダルカレーを作ってふるまって旅の資金を稼ぎつつ、いろんな人とお話してみる会」の決行である。

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シェアハウス柏屋旅館のこと

今回の佐久での滞在先であり、息子のイベント開催の協力を頂いた柏屋旅館に到着したのは、14日、土曜日の朝9:00前。眠そうな様子で出てきた今風の気だるいイケメンオーナーのドライな印象に、私は内心びびりつつ(2日後にはこの第一印象はすっかり変わっているのだけれども)できるだけ平静を装ってご挨拶。

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さっそくダルを水に浸して準備をしようと厨房に入ると、髪の毛が爆発したこれまた気だるそうな若者がなにやらもぐもぐ。厨房の向かいのテレビのあるスペースでは小学校低学年くらいの男の子がおさるのジョージ(私も大好きな番組だ!)を見ていて、そのお母さんらしき女性もいた。

自然と今日のイベントのことなどの会話をしはじめ、ここで私、ようやく気がついた。ゲストハウスとしてこの宿に宿泊を申し込んだのだけれども、ここは実はシェアハウスとしての機能もあり、ここで日常をおくっている住人がいるのだ。

それはとても不思議で興味深い空間だった。住人たちはみな程よい距離感で生活を共にし、住民の子どもたちは、他の住人たちにもとてもよく懐いていて、こっちのおにーさんの膝にいたと思ったら、しばらくすると今度はあっちのおにーさんとサッカーを始めたり、えっそれで本当のお父さんはどこだっけ、みたいな。その光景はまるで古きよき昭和の長屋生活のよう。エントランス横にあるカフェスペースにはマスターがいて、マスターのあたたかで落ち着いた雰囲気が、共同生活をまるっと一つにまとめているようだった。

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シェアハウス、というと若い男女が恋愛模様を繰り広げながら暮らすオシャレなイメージだったけれど、この生活風景は私にとって新しく、そこには孤立した子育てが問題になる現代社会への、新しい可能性があるような気がした。

みんなとお話する

少し話がそれてしまったが、息子のカレーを作るイベントは、結局どうなったのか。

第一回目の14日お昼、11:00頃調理を始めると、参加者(というか協力者?)が続々とやってきてくださった。前日まで滞在していた読書の森のオーナー夫妻がにんにくを、柏屋旅館のオーナーがトマトを提供してくれた他、佐久に住んでいたときのお友達が子どもたちと一緒に玉ねぎとお米とりんごを、インドに行く前に住んでいた南牧村の農家さんファミリーがとびきり美味しいほうれん草とじゃがいもとお米をたーくさん下さった。他にも久しぶりにお会いする方が次から次へとお越し下さり、中にはお菓子や凛太郎の大好きなアンモナイト(!!)の差し入れを持ってきてくださる人もみえた。なんと私にとっては20年ぶりぐらいに会う中学高校の同級生ファミリーなんかもいて、みな自然と厨房に入って率先して助けてくださった。

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もはやカレーを振る舞う、というよりは、カレーをみんなで作ってみんなで食べる会、のようになっていて、子どもたちも実に楽しそうに玉ねぎを刻んだりチャパティを伸ばしたりしてくれた。

約500gのダルでお鍋2つ分のカレーを作り、チャパティは約1kg の生地をこね、他にインド米も4カップを炊いたけれど、あっという間にすべて完売。20人くらいは食べてくれたのかな。「美味しかったよ」と声をかけられると、息子は達成感に顔をほころばせた。

私は厨房にいて知らなかったのだけれど、息子なりにカレーを食べながらいろいろな人に人生相談もしたらしい。

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午後片付けを終えて、大好きなパン屋さんに歩いてパンを買いに行く道中、「〇〇さんと〇〇さんは✕✕✕って言っててさ、どうしようかな〜」なんて報告してくれるのを、私はただ「ふ〜ん」と相槌を打って聞いていたけれど、そうやって自分から率先して相談したり、話したりすることが彼にとって容易ではないことを知っている私は内心感動していた。

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佐久に帰ってくる度にいつもまるで実家のようにあたたかく迎えてくれる、りあんさんで大好きなパンを買って二人打ち上げ。

みんなで作る

そうして迎えた翌日、15日の第二回目。

実はこの日、カレーの会の前に別のイベントに参加していた私。なかなか準備に取り掛かれずにいた私をよそに、息子、参加者の方々とカレーを先に作り始めていたようだ。もしお母さんが遅くなっちゃったら作り始めてていいからね、とは言っていたものの、息子しかレシピや段取りがわかっていない状況の中でのこのスタートは、とても勇気がいることだったと思う。

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私が午後予定があることはわかっていたので、お昼ぐらいに先にカレーを仕込んでおいたらどうか、と提案したときも、「でも、みんなで作らないと意味がないから!」と一蹴した息子。会の趣旨を自分なりに解釈し、自分の意志で会を作り上げていく姿は堂々としていて、旅を始める前の不安で自信なさげな様子とはまるで違っているように見えた。(見えただけかも…)

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この日は前日の2倍のお米を炊き、チャパティも2倍の量を作った(プレーン、ほうれん草、ビーツ、の3種類)のにもかかわらず、今回もあっというまにすべて完売。

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子どもたちがみんなチャパティの生地をこねたい!伸ばしたい!と集まってくるのはインドと同じで、何人もの子どもたちが調理台を囲んで白、緑、赤のチャパティ生地を伸ばしている図は壮観だった。そして何よりも、子どもたちと一緒にみんなで調理をするのは心底楽しかったし、息子は実にいい表情だった。やっぱり彼の言う通り、「みんなで作らなきゃ意味がな」かったのだなあ。

佐久のこと

息子にとって佐久は、この世に生まれた場所であり、その後数年間を過ごした場所である。と同時に私にとってはTEDxSakuを通じて大切な仲間や大好きな場所がたくさんある愛すべき場所でもある。その後2015年に南牧村に引っ越してしまったけれど(そして南牧村もまた、息子にとってかけがえのない場所になるのだけれど)、こうして4年の時を経て、また佐久で懐かし人、新しい人に会えたことは、感慨深いものがあった。

そして今回初めて知った、柏屋旅館の昭和レトロな生活空間は、とても新鮮で面白い場所だった。

気だるい、という言葉を使う時、私は割とポジティブな意味を込めている。気だるさは、若者と相性がよく、そしてクリエイティブな行為とも相性が良いと思っている。最初その迫力ある様子に一瞬びびってしまったイケメンオーナーだが、実はとても優しくて心配りのできる人で、ドライな見かけによらず、その笑いの閾値の低さにキュンとしてしまった。ちょっとした子どもの言葉に、いたずらに、すぐに笑うオーナーは、きっとこのレトロな共同生活の要なのだろう。オーナーの奥さんもまたとても素敵な働き者で、頼りになる存在だった。

髪の毛が爆発していた気だるい男子は、その後もしょっちゅう厨房で出会い、息子共々仲良くしてくれて、彼の存在はなんだか私をホッとさせてくれた。

なによりも、柏屋旅館の住民のうち2/8人が、「山口智子に似てる!」と言ってくれたことは、私のここからの人生をきっと支え続けてくれるだろう…ありがとう柏屋旅館。笑

大好きな佐久に、また一つ、新しい色がくわわったAll you need is DAL.
インドカレーありがとう。柏屋旅館ありがとう。食べに来てくれた人、そしてお手伝いしてくれた人、皆さん本当にありがとう。

そして、ありがとう息子。


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