そして何も残らない

 いらない。いらない。なーんにもいらない。捨てちゃおう。いっそのこと、全部。

「今なら3つで1,000円!」

「一つ買うともう一つ付いてくる!」

「在庫処分セールでお買い得!」

 モノが安く手に入る時代に、さして品質もそこまで悪くはない、この日本という国に生まれて良かった。同じ製品ならなるべく安く。お腹が満たされれば安くてたくさん食べられるものを。

 私は貧乏学生。将来は画家になるべく、学費の決して安くない美術学校に通っている。親からの金銭的な援助はない。たまに送られてくるのは、最低限の食料くらい。早めに就職してほしかったらしい親は、私が美術学校に通うことに難色を示したからだ。

 そんな両親は、たった一度だけ、私が描いた絵を褒めてくれたことがある。それは、私がまだ保育園に行ってた頃。「家族」をテーマとして、父と母、そして私の3人を描いたことがあった。色をふんだんに使った、ぐっちゃぐちゃの絵。だけど、両親はそれを涙を流しながら喜んでくれた。「元気なあなたらしい素敵な絵ね! 将来は絵描きさんだねー!」って。
 その頃の両親、どこ行ったんだ。絵描きだと期待した娘が、現実に美術学校に行ってるんだよ。学費くらい出せや。……なんて言えるわけがなかった。

 だから私は、学業の合間にせっせとバイトをしながら、なんとかやりくりをしている。

 不思議なもので、周りの友達はお金に困っている子が少ない。親が金持ちなのだろうか? そうだとしたら、正直羨ましい気持ちになる。金持ちなんかに、負けてたまるか!

 バイトが終わり、今日も無事に自宅へ帰還する。「ただいまー」と呼びかけるが、虚しく部屋の中を木霊するだけだった。一人暮らしの寂しい部屋の明かりをつけると、あいも変わらず散らかった景色が広がっていた。

 昔は疑問に思っていた。金持ちの家はモノが少ない。貧乏の家はモノが多い。なぜ? お金がある方が、色々買うことができるのに。お金がなかったら、色々買うことはできないのに。

 しかし、今はある程度合点がいく。私の部屋はモノが多い。貧乏なのに、だ。お金がないと、とにかく「安いもの」をできるだけ「大量」に買っておく。なくても困らないものでも、一応買っておく。結局使うことはないのに。

 そして、極めつけは「捨てられない」のである。着古した洋服、お菓子の缶、靴の箱……。絶対使わないと分かっていても、いやどこかで使う、捨てなきゃよかった! って後悔するに違いない。それの繰り返し。結局、いらないものが溜まっていくのだ。

 しかし、これも美術家の感性ではないか? 美術家は変人が多いと聞く。片付けができない人も多いんだとか。この散らかってる部屋も、捉え方によってはなんだか天才っぽい? 美術家っぽい? そう考えるようにした。無理やりだ。

 今日も散らかった部屋の中で眠る。おやすみなさい。朝になると、片付いてないかな……なんて。

 ※

 とある休日のこと。私は同じ美術学校に通う友人の家へ遊びに行った。いや、正確には勉強なのだが……。

 その友人は、本物の意味で「天才」だった。一般入試を経て入学した私と違い、推薦入学。高校生の頃からSNSで自作の絵を公開しては、称賛を浴びていた。もちろん、私も知っていた。

 それほどの天才だから、別の有名な美術学校からも声がかかっていた。ではなぜ、数ある美術学校の中からここを選んだのか。質問してみると、「学費が一番安ったから」だそうな。

 友人の部屋は、驚くほど整理整頓が行き渡っていた。金持ちだったっけ? いやいや、たしかこの友人は数少ない、私と同じバイトをしている人間だ。親は共働きと言ってたから、決して裕福ではなかった……はず。

「すごく清潔なお部屋だね!」と言う。すると友人は「部屋が散らかってると、絵に集中できなくて……。モノを買ってる時間ももったいないし、服がいっぱいあったら服選びにも時間がかかっちゃうでしょう? だから私は、絵以外はシンプルに生きようと思って」

 全身が痺れるような、そんな感覚。天才が言ってるんだから、間違いない。

 家に帰ったら断捨離しよう。そう決心した。

 家に帰る。明かりをつける。散らかった部屋が手招きしながら微笑んでくる、ように見えた。
 あなたとはもうお別れよ。私は整理整頓された綺麗な部屋と過ごすんだから。

 早速、「使うもの」と「使わないもの」、そして「使う予定のもの」というボックスを作る。ほら、こんな風に使うときがくるのよ。ダンボールを捨てなくてよかった。

 一時間後。「使うもの」と「使う予定のもの」のボックスが悲鳴を上げていた。丈夫がウリなはずのダンボールがこんもりしている。2つのボックスを、ほとんどモノの入っていない「使わないもの」のボックスが涼し気な顔で見ていた。

 ええい、こんなんじゃ駄目だ! いつまで経っても終わらないし、「天才っぽい雰囲気の人」から卒業することはできない!

 友人からのアドバイス、「捨てるときは迷わないこと。出来れば5秒で判断する。捨てる予定のものは極力見ない。迷いが生じるから」を実践する。

 トイレットペーパーの芯、どっかで使……、いや使わない! 履けるか微妙な下着、どうせ見えないからまだ履け……、いや履けない! 何度も読んでいる雑誌、また新たな情報を得られるかも……、いや読まない! 捨てる! 捨てるぞ!

 __やればできるではないか。思い切って捨ててみるもんだな。残っているのは家電と画材と、最低限使う日用品だけ。いらないものってこんなにあったんだ……。

 捨てることにハマりそうだ。シンプル最高!

 ※

 少しずつ、また少しずつ私の生活に変化が表れるようになった。たしかに、家に無駄なものがないと、邪念がなくなった。絵を描くことに集中できるのだ。

 絵を描く時のテーマもアイデアも、どんどん浮かんでくるようになった。元々私の絵は、できるだけいろんな色を使い、一枚の絵で様々なことを表現するというものが多かった。周りからは「元気な絵」とか「力強い絵」と評価されることもあったが、いかんせん、疲れるのだ。なにせ、一枚の絵に、その場で出し得る最大限のエネルギーを注ぎ込むのだ。書き終わる頃にはくたくたになり、寝込むときもしばしば。

それが、絵もシンプルに描いてみると、これはこれで良いではないか。色を減らし、テーマや表現を絞り、代わりに一枚の絵の中で決めたテーマや表現を、少ない色で描く。すると、驚くほど省エネ状態で一枚の絵を書き終えることができる。これは素晴らしい。素晴らしすぎる。

 生活面でいえば、買い物は必要最低限のもので収め、食事はできるだけシンプルなものに変えた。

 すると、どうだろう。お金にも少しずつ余裕ができ、また体調もすこぶる調子が良い。なんと体重も減少してきた!

 いらないものを捨て、無駄を削ぎ落とし、シンプルに生きる。なんで今まで誰も教えてくれなかったんだろう。やはり天才のアドバイスは違うな。これで私も天才! ということにはならないが、少しだけ天才に近づいた感じがして、気分が良かった。

 シンプル最高だな。

 ※

「どうした? これ買わないの? いつも買ってるじゃん」

「うん。どうせ使わなくなるし、代わりのものでなんとかなるよ」

「最近変わったね。いや、別に変な意味じゃなくてさ。なんかこう、「必要最低限」で生きます!みたいな感じ? 高校生の頃は、そんなんいらんやろ! みたいなやつたくさん買ってたのに」

「シンプルに生きようと思って。そしたら、絵に集中できるじゃん? いーよーシンプル。一緒にどう?」

「ふーん。美術のこととかよく分からないけど、私はいいや。まぁ楽しくやれてるならいいと思うけど。でも、あんたちょっと痩せた?」

「そう! わかる? シンプルな生き方を始めてから、食事もシンプルにしてみたんだ! おかげでめちゃくちゃ痩せたよ!」

「でも、ちょっと危ない痩せ方してない? 急激に痩せたって感じ。シンプルもいいけど、もっと身体を大切にした方がいいんじゃない?」

「え、なに? シンプルを否定するわけ? それならいくら高校からの親友でも許さないよ?」

「いや、まぁ別に否定してるわけじゃないけどさ。でも同じ女として、もう少し身体を大切にした方がいいって思っただけで……」

「シンプルを否定するのね! 酷い! なんで分かってくれないの? こんなに素晴らしいものなのに! 親友だと思っていたのに! もう知らない!」

「ち、ちょっと……!」

 私は憤慨した。高校の頃仲の良かった友人。何でも話せて、お互いを分かりあえていた。友人を超えて、もはや親友であったと、勝手に思っていたのか私は。まさかシンプルを否定されるとは。いくらなんでも、許さない。

 いらない。いらない。親友なんて、いらない。

 ※

 「今日の授業はこれで終わりです。各自課題を出しますので、期限までに提出をお願いします」

 必要最低限のモノで生活しているためか、以前よりも心に余裕ができた気がする。美術の勉強もはかどることこの上なかった。

 「カフェでお茶してかない? 近況も話し合いたいし」

 例の天才の友人からの誘い。毎回有意義な時間を過ごすことができる。この友人以外の友人はすべて「捨てた」。モノだけじゃなく、自身と関係あるあらゆるもの、たとえば人物の整理を行うのも非常に有用である。

 友人もそう。自分に必要ない友人まで持つことはないのだ。自分に不必要と判断すれば、それがたとえ「親友」であっても容赦はしない。さよならである。

「この前、みんなの作品をお互いで評価し合う授業あったじゃない?」

「あったねー。やっぱり天才が描く絵は違うねぇ。みんな上手い上手い言ってたよ。特にあの「春をテーマにした抽象画」は凄かったなぁ。あれ先生も絶賛してたもん」

「いやいや、私なんてまだまだだよ。努力の途中。そんなことより、あなたの作品がね……」

「私の作品? がどうかしたの?」

「うん。あの「冬のきらめき」ってやつ。あれ凄く良いと思った」

「本当!? あれ良いでしょー! シンプルを心掛けて描いてみたんだ」

「うん! 凄く素敵だと思う。でもね……」

「でも……?」

「最近描く絵、だんだんシンプルになってきたよね?」

「そうだよ? ほら、シンプルに生きる良さを教えてもらったからさ! ありがとうね、感謝してる!」

「もっと自分に正直になって欲しいの」

「え?」

「最近の絵も凄く素敵だし、魅力的なんだけど、なんかこう、「らしさ」がないなって……」

「え……、え? でもシンプルが良いって……。教えてくれたじゃない。そのおかけで何事も調子がいいし、心の余裕だってできたんだよ? それなのに……。それなのに、今になって否定するの?」

「ち、違うよ……! たしかに私もシンプルに生きるのが好きだし、その理由も説明した。でも今回の話はそんなのじゃなくて……」

「そっか……。天才だからか……。天才は凡才の気持ちなんかわからないものね……。私は凡才だから、せめて天才のあなたの生き方だけでも模倣しようとした。そんな私を見下してるのね! きっとそうだ! 絶対そうだ!」

「違うの! 誤解しないで! お願い! 話を聞いて!」

「知らない! 知らない! もう知らない!」

 知らない、知らない、いらない、いらない。友人なんて、いらない。

 私は急激に体調を崩していった。それでも食事はシンプルが一番だと、白米と無添加のお味噌を使ったお味噌汁、そして無農薬の野菜のサラダという組み合わせを守った。定期的に送られてくる両親からの仕送りに必ず入っている、私が昔好きだった食べ物なんて、今はとても食べられたもんじゃない。いらないものは、捨てるに限る。

 体調はいつか良くなるだろう。今日は早めに休もう。ベッドは要らないから捨ててしまったので、いつものように寝袋で寝る。無駄にスペースをとらず、かつちゃんと暖かい。

 家には最低限の画材だけ。家電なんてなくても生きていける。無駄なものは、目に入るのも鬱陶しい。絵を描いて、ご飯を食べて、眠れれば十分ではないか。

 今日も私は絵を描く。「無駄を削ぎ落としたシンプルな絵」が私のテーマ。ごちゃごちゃした絵なんて、カッコ悪い。シンプルが一番なのだ。

 しかし、その絵も、最近はなぜか評価されなくなってきた。「印象が薄すぎて何を伝えたいか分からない」とか「もともとこういう絵じゃなかったのに、どうして路線変更したんだ」とか、ごちゃごちゃと言われるようになった。なぜ? なぜこのシンプルさの良さが分からない? 伝わらないのは、観てる人のセンスが悪いのだ。きっとそうだ。

 シンプルが一番良い。これに揺るぎない自信を持っていた。いや、持っていた「はず」だった。

 この間の、天才の友人との会話を思い出した。天才いわく「らしさ」がないんだそう。そうですか。今の絵には私らしさがないと言いたいんですか。こんなに「らしさ」を全面に押し出しているのに? 

 実のところ、最近は絵を描くことすら少しずつ億劫になってきた。描いても描いても評価されない日々が続くと、何のために描いているのか分からなくなる。こんなことで、夢は画家なんて言えるのか? そもそも、画家を夢見ていいのか?

「夢」なんて、いらないんじゃないのか?

 捨てよう。不要なものは。シンプルが一番。持っていて邪魔なものは捨てるに限る。

 いらない。いらない。いらない。

「夢」なんて、いらない。

 ※

 夢を捨てた私は、学校もバイトも行かなくなった。寝袋に閉じこもり、寝ては起きてを繰り返す。優れない身体。無気力な心。

 いらない。いらない。繰り返す日々なんて。

 画材も、捨ててしまおうか。そしたら私には、なんにも残らないな。

 夢も希望もなにもかも、捨てちゃった。生きる希望まで、今なら捨てられそうだな。

 いらない。いらない。命なんて。

 この家にあるものを全てを捨てたら、私自身も捨てちゃおう。究極のシンプルが完成だ。

 鉛のように重い身体を揺り起こす。足に力を入れていないと、直立しておくことすら難しそうだ。あと少し。あと少しだけ動いておくれ。そしたら、もう楽になるから。

 家にあるものは画材と、少し前にまた送られてきた実家からの仕送り。これがなかったら、捨てるのは画材だけで済んだのに。家族が憎い。

 いらない。いらない。家族なんて。

 手付かずのダンボールを開ける。中にはちょっとした野菜やレトルトのカレー。また同じようなやつ。どうせ捨てられるのに。

 がさがさと取り出していると、A4サイズくらいの茶封筒らしきものが入っていた。間違って入れたのかな? どうせ捨てるからいいけど。何が入ってるんだろうか。

 封筒を開け、中身を取り出す。現れたのは、ぐちゃぐちゃな絵らしきものが描かれた、古ぼけた一枚の紙だった。

 突然、脳がフル回転する。奥底にこびりついた記憶を、取り出せ取り出せと総動員するように。

  ぼんやりと記憶が蘇る。これはたしか、私が保育園に行ってた頃に描いた、両親と私を描いた絵だ。なぜこの絵が、今ここに?

 茶封筒にはもう一枚、紙が入っていた。短く書かれた手紙のようなものだった。筆跡は母のもので間違いない。

 その手紙を読んだ瞬間、なぜか息が詰まる。

 そして、溢れ出てくる涙を止めることができなかった。

 「あなたが私たちに描いてくれた最初の絵です。涙が出るほど嬉しくて、今日まで大切に大切に保管していました。今、絵描きさんになるために頑張っているあなたに送りますね。最初は親を安心させるために就職してほしかったけど、今は夢に向かって突き進むあなたを全力で応援しています。お金は送れないけど、代わりにお父さんが作ったお野菜を定期的に送るので、これを食べて力をつけてください。たまには顔を見せなさいね。母より」

 冷えた身体が暖かくなる不思議な感覚が包み込む。私はおいおい泣いた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。

 無駄を削ぎ落とし、シンプルになった状態はたしかに気持ちが良い。けれど、大切なものまで捨てることはなかったんじゃないのか?

 親友、友人、夢、家族、そして命。

 また会いたいよ。みんなに。また追いたいよ。夢を。また描きたいよ。「私らしい」絵を。

 明日、親友に謝ろう。いらないものは……さすがに買わないけど、太る太らないの話で盛り上がりながらご飯でも行きたいな。

 明日、天才の友人、いや、「私と同じ夢を持つ友人」に謝ろう。私らしさを全面に出した絵を描いて、それを観てもらいたいな。

 明日、は無理だから、今度実家に帰ろう。私が描いた絵を観せてあげたいな。お父さんが育てた野菜で作ったお母さんの料理、いっぱい食べたいな。

 一度は「捨ててしまった」人たちを想い、今は「何も残っていない部屋」で、私は泣き続けた。

 ※

「これがあんたが描いた絵? 私美術のことよく分からないけど、いいんじゃない? 「らしさ」が出てるって感じ」

「そう! なんかごちゃごちゃしてるでしょ? それがいいのよー! 色もふんだんに使って、伝えたいことを詰め込んでみたの!」

「へー。高校の時から、あんたの書く絵ってごちゃごちゃしてたもんね。でもこれ、あれでしょ? たまにあんたの話から出てくる、「天才の子」からめちゃくちゃ褒められたんでしょ?」

「まぁ本心かどうかはわからないけどね……。でも、さっき言ってくれたように、その子も「らしさ」が出てて凄く良いって言われた! こりゃ私も天才の仲間入りか?」

「そういうところは変わらないねぇ。まぁ天才から褒められた点については、親友の私も鼻が高いよ。ところであんた、ちょっと太った?」

「……バレた? この間実家帰ったとき、食べすぎちゃったんだよね。しかも、実家から送られてくる野菜が美味しすぎてさ。いいのいいの。今日はそんなこと気にせず、いっぱい食べよ!」



 

 

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