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「味わう」という言葉じゃぴったりこない、ウイスキー

昨夜とても久しぶりにウイスキーを飲みました。

「白州」

お酒はあまり強くないのですが、ウイスキーをゆっくりいただくのは好き。

白州のハイボールのオーダーが頻繁に入る中、バーカウンターのおじさんに「少しだけロックでいただくことができますか?」と訊いてみたら、緑のボトルに残っていた分をロックアイスに注いでくださいました。

ロックアイスの山に霧が立ち込めるように。そして氷とウイスキーの境をマドラーでまぎらして。

グラスを近づけると懐かしくて具体的な記憶が蘇ります。私の20代の頃は、飲み会の二次会は必ずと言っていいほどウイスキーの水割りでした。サントリーオールドの黒い丸い瓶に名前の札なんかがついてあったりすることもあるし、お店のお姉さんが新しいボトルのキャップを回し開けてくれたり。

ああ、懐かしいサントリーのウイスキーの香り。サントリーの「らしさ」は、大山崎に想像を連れて行ってくれて、それがとても好きなんです。

でも、昨夜はその先が全然違いました。

口に含んだ瞬間、多数の「覚」がひろがる。ざっと感じるだけで10種類以上ある。この感じはなんだろう。と一つづつ追いかけているととても間に合わない。自分の思考よりずっとずっと速く深く、いろんな何かがやってくる。

「いろんな味がする」では、言い表したことにならないし、「味わいが深い」では、単調すぎる。何かに似ているとしたら、以前ロオジェでいただいたフレンチの最初の一口目の衝撃。

とても多くの手数の集約や時間の集積が、一気に解凍されながら姿を現してゆくプロセス。それを感じているときの感覚が似ている。

それは、大地の奥深く眠りながら凝まっていった宝石が溶けるのをいただくような感じ。

ウイスキーが溶けるのではなくて、ウイスキーに閉じ込められた時空を、氷が溶かしてゆく。ウイスキーはあくまでも受け身だ。

だから、ハイボールとか水割りでぐいぐい飲んだらダメ。

白州のボトルには1973年の印がありました。その白州が48年間熟成されていたのかはわかりませんが(1973年というのは白州が誕生した年かもしれない)、それくらいの時間がゆっくり溶かされてゆくので、ウイスキーと一体になったように自分のこれまでの時間と経験が、記憶の奥から溶け出して来ました。

白州には50歳を超えた人の経験の数だけの「何か」が、ちゃんと個性をもったまま潜んでいる。20歳半ばではとても感じることはできない。(いえいえ、感じる部分が違うだけかも)

もしかしたら、この頃どんどん時間の流れ方が速くなっていることと(時短は生産性の向上とか言って)、ウイスキーをハイボールでいただくことが流行っていることは、繋がっているのかもしれない。


まあ、そんなことは人に任せて、わたしはゆっくりウイスキーをいただきます。



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