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【Device】 デバイスのミッション

IBM CloudのWatsonに会いに行く前に、IBM Cloudのリソースのところで、よもよもしています。

いえ、ちょっと会ったんです。それで少しやりとりをして、「おはようございます」と「こんにちわ」はWatsonに通じるようになって、挨拶をしたっきり。
Watson、続きはもうちょっと待ってください。

それで「デバイス」のことなのですが、昨日からもう「デバイス」のことで頭がいっぱい。「デバイス」という言葉やモノに関しては、トラブルがあったときに、WindowsPCのデバイスマネージャーとかを触っていたけど、単に「そんなものだ」で、思考が停止していたのです。

でも、改めてIBM Cloudのリソースの一番最初に名があがっているということは、「来る日も来る日もRiseさせる力」としてのリソースの一番要なのが「デバイス」なのかもしれないのです。

そこでまず、私の中の「デバイス」に関する事実が3つあります。

① IBM Cloudのリソースの先頭にある(要である)
② デバイスは英語の device で、divide と同じ語源である
③ 日本語にぴったりあてはまる言葉がない

日本語がない。ということは、英語圏の人ならピンと来るであろう「device」というものだけでなく、そうしたものの見方を、日本人はあまり意識してこなかったことの証なのでしょう。だから日本語に名(言葉)がない。

だから私たちにとって「デバイス」って、理解するのに(腑に落とすのに)相当手強い概念なのだと思います。

◉ 外国の言葉をつかおうとしたとき

「デバイス」だけでなくITの世界の言葉は総じて英語、英文法的なので直感的につかみにくい。カタカナの名称を丸覚えするとか「そんなものだ」と思うことにしてしまうんですね。コンピュータが誕生したのがアメリカですので当然のことなのですが。

もともと「名前」の役目は、それが示している「実体」とか「感じ」のイメージが頭の中に浮かぶからこそ、自分がしゃべる言葉の中にその名前を自在に繰り出すことができるのに(あくまで相手も同じ状況であることが前提ですが)「デバイス」という言葉ってそんな風にはしゃべれない。

「思考」は「言葉で考える」ので、母語と思考方法はとても大切な関係。だからこうなるのですが、でもまあ、同じようなことが、西洋の人が日本語や日本文化を理解しようとするときにも起きていますので「おあいこ」なのです。

「主語をもたず、同時に属詞をもたず、しかも他動詞である動詞」
「認識する主体をもたず同時に認識される客体をももたない認識の行為」
これをどうすれば西洋人は想像することができるのであろうか。

〜 『表徴の帝国』ロラン・バルド(ちくま学芸文庫)

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なので、「デバイス」を腑に落とすには、英語圏の人の思考の源に分け入るしかありません。

◉ 英語の device と divide

まず、デバイスの device は、語尾が「ice」となっているので「行為・状態・性質などを表す名詞」であることがわかります。(例えば voice(声)<voke(呼びかける)+ice>と同じ構造)そして、device の devの部分は、ラテン語の<dis- + vido> が語源で、ここが divide と共通となるようです。
ラテン語の dis- は「剥ぐ、奪う」の意で(最近ディスるとか言いますね)、vido をさらに印欧語に遡ると、wide と同じ印欧語根<dwi-(二つ)+dheh-(置く)>が語源となって、with も共通したイメージです。

つまりdevice やdivide のコアの語源は、「剥いで二つの間を隔てて置く」であって、同時に with の「隔てられつつも一緒である」というニュアンスも密かに含んでいそうです。そうした動作を divide といい、その名詞を device(デバイス)と呼んでいることが推測されます。こうして分け入ると見えてきたのは、強引で冷徹なイメージ。確かにこんな「感じ」の日本語って見当たらない。

では、この「剥ぐ」は、いったい何から?何を?なんでしょう。「剥ぐ」という動作によって「もともとからあったモノ」と「剥がしたモノ」の二つが出現しますので、この二つが隔てて置かれるのでしょう。

ここで【Weblio 辞書  英和辞典】を改めてみてみると、

device [de・vice]  
① 装置,考案物,からくり 〔for〕.
(例)a safety device(安全装置)
   a new device for catching mice (新案ネズミ取り器)
   a new device for sharpening pencils (新型の鉛筆削り器)
② 爆破装置; 爆弾.
③ 工夫,方策,趣向.
(例)a pedagogical device (教育上の工夫)
④ 修辞的技巧,比喩表現.
⑤ 図案,模様; 商標.
⑥ ≪コンピュータ≫デバイス,機器(PCに接続されている周辺機器)

どれも「離れたところで一人で動く」という特徴があるような気がします。それでいて物だけでなく言葉やデザインも含まれていて、単にコンピュータの周辺機器を指すのではないようです。
注目すべきは
 *「for」である
 *「技能」を持つ

ということでしょうか。
無理やり要約すると、こんな感じ、

何かの目的ために装備された機能を持ち、自立的に役目を果たす。

そして、この「for」の視線の先にあるものが「何から何を」の正体かもしれません。


◉ 人や言葉のデバイス

そこで、さきほどの device の意味たちを「for」と「技能」で紐解くと

◎安全装置、ネズミ捕り、自動鉛筆削り、爆弾装置
「その技術を持った人」の技術を装備して、その人のいないところで自立的に仕事をするもの。

◎工夫、方策、趣向
「それができる人」の技術を取り出して「マニュアル」となって、別の場所の人のところで動くもの。

◎修辞的技巧・比喩表現、商標(linguistic devices/non-linguistic devices)
「本文や実体の魅力」を取り出して「広告媒体」となって誘導したり説得するもの。

と言えそうです。
もともとは、こうした人や言葉や物の「能力を外出し」して、役目を「分担した」ものだったのですね。もちろん、そこには「誰かの目的」が存在します。


◉ ITのデバイス

一方、一般的にコンピュータに関連する「デバイス」は、当初はPC(パソコン)に接続されているキーボードやマウス、ディスプレー、プリンターなどのIT機器を指していました。例えると「デバイス」はパソコンの中にあるメモリー(脳)に対しての感覚器官(入力担当)・運動器官(出力担当)のような役目を担っています。脳を「中枢」とすると末端器官は「周縁」(エッジ)ですね。なので周辺機器と言うのですね。

そしてそれら「デバイス」は、パソコン本体を製造しているメーカーではなく別のメーカーが製造することが多いので、パソコンに接続するときの「コードと差込口の形状」の約束事と「動かす時の指示方法(ドライバー)」の作り方を決めました。そうすることで、いろんな「入力出力のための装置」があちこちで作られても、接続された時に、パソコン本体(脳)が、自分自身の目・耳・手・足などの末端器官であることがわかって、パソコンがデバイスを動かすことができるようになっているのです。

この「入出力を含めた完全なコンピュータは作らない」というコンピュータメーカーの戦略は、IBMのシステムリサーチ研究所の中核メンバーであったジェラルド・ワインバーグの名著『一般システム思考入門』
Gerard M. Weinberg  "An Introduction to General Systems Thinking" 1975 について書かれた【千夜千冊 1230夜『一般システム思考入門』】のこの部分を思い出します。

以下、ワインバーグが記している内容を要約したところです。日本人はどうしても「多機能で完璧で強固」なものを目指す傾向があるので、1975年の時点でこうした視点があったことにため息がでます。

第1には、
システムの「不完全性」を残すということだ。すでに電磁気学の泰斗ジェームズ・マックスウェルが言っていたことなのだが、どんなに魅力的な要素や作用でも、それを入れこめる容器としてのシステムの器量が整っていないのなら、それらのオーバーフローしそうな要素や作用はいさぎよく捨て去るべきなのである。システムの欲ばった「過剰完全性」はシステム自体を殺すからだ。

千夜千冊 1230夜『一般システム思考入門』 松岡正剛

そして、この頃「IoT」や「エッジ」というキーワードで、哺乳類の脳のような中枢神経系的なコンピュータのあり方から、昆虫のような末端神経系に「脳らしい」ものを備えた分散型のエッジコンピューティングの模索が始まっています。そこに「デバイス」の存在感が強烈になっているのです。

第2に、
すべてのシステムはとりあえず「ブラックボックス」とみなすことが可能ではあるのだが、だからといって当初に想定したブラックボックスは、システムが構築されるにしたがって、必ずやとんでもなく不備なものになってくる。
 こういうときは、情報や意味や知識の流れがブラックボックスのINとOUTの前後でどのような状態(状態関数)をとっているかを観察し、それを新たな「補完システム」(コンプレメンタリー・システム)として分岐して新規導入すべきなのである。いつまでもメインシステムの構築にこだわっていてはダメなのだ。

千夜千冊 1230夜『一般システム思考入門』 松岡正剛

そして、ここに アップルが一貫して徹底的に追求してきた「人が操作する」という視点への言及もありました。

第3に、
システムがひととおり構築されたからといって、そのままでは生きたシステムにはならないということを心すべきだ。そのシステムに観測者や操作者のふるまいが加わらないかぎり、システムはシステムになりえない。

千夜千冊 1230夜『一般システム思考入門』 松岡正剛

「人が操作する」「人が持つ」ということを突き詰めた iPhone はそこにダウンロードされるアプリを通じて、ネットワークシステムの末端デバイスを実現していて、かつそれを持つ個人の末端器官(五感器官・運動器官)のさらにデバイスにもなったのです。つまり、ネットワーク上のコンピュータのデバイスであって、同時に人間のデバイスでもあるのです。言い換えるとコンピューターネットワークのエッジで人間のニューラルネットワークのエッジになってしまったのですね。

思い返すと、iPod が登場したときウォークマンとの比較がされましたが、ウォークマンはあくまでも人の技能のデバイスという位置付けでした。付喪神が棲まう「モノ」であって、持ち主以外のだれからの指図もうけません。でも iPod は Mac と接続しなくては音楽を入れることができませんでしたので、当初からすでに iPod の立ち位置はコンピュータのデバイスだったのです。そしてMac がインターネットに繋がることによって、さらに iPhoneへと進化することによって、もっと遠いところにあるコンピュータのデバイスともなっていきました。

人の内側とコンピュータの周縁が接近することによって、センターが「デバイス」の方へ移動してしまったのですね。これは、今まで「プロセス」のみの質を競っていたITシステムが、「プロセス」+「データ」の質が重要となるAI的なITシステムへとシフトしていることとも連動しているはずです。

だから・Ready for AI を掲げる IBM Cloud において「デバイス」が
◎ IBM Cloudのリソースの先頭にある(要である)
のだと思い至りました。

◎ 最後に

deviceと語源を同じくする divide なのですが、この言葉には「割り算」の意味があります。
割り算といえば、コンピュータにとって致命的な命令となる「divide by zero」が有名です。コンピュータは割り算をする時に引き算を繰り返しますので「割る数字」として入力データにゼロがやってくると、余りがゼロになるまで延々と「ゼロ」で引き続けるのです。いくら引いても数が減りませんので無限ループに陥ります。そのため、割り算の除数に「ゼロ」がくるとコンピュータは自ら強制異常終了して自らの身を守ります。COBOLのABENDコードは「0C7」でしたが、回避するためには「IF文で分母が0か否かを判定」すればよいだけで、今も基本のことなのかなぁ。

「無」とか「空」とか「虚」というのは、仏教とくに密教や禅では重要な概念で、般若心経の「色即是空、空即是色」にあるように、わかっているかどうかは別として日本人にとってはまだ馴染みのある言葉です。でも、西洋の人にとって長い間、「ゼロ」は異端的で得体が知れない存在だったようです。

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『異端の数ゼロ』チャールズ・サイフェ(ハヤカワ文庫)


もしかしたら、ここのところが、西洋と東洋の思考のベースの違いになっているのかもしれません。「0」ゼロという概念が古代インドで生まれたというのも意味が深そうで。

そんなことを考えていたら、スティーブ・ジョブスが「禅」に惹かれた本当の理由はなんだったのだろうと思ってしまいました。実社会がデバイスを介して繋がれば繋がるほど、きっとその奥で「空」が求められるような気がします。
私自身もそうなのですから。

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『空の思想史』立川武蔵(講談社学術文庫)



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