開巻有得〜ひとに尽くしたくなる心理〜
今回、ものを考えるきっかけになったのはこの本です。
個人的に、オオカミ(のイメージ)が好きなんです。
エリ・H・ラディンガー著 / シドラ房子訳
『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』
三十年故郷と呼べる場所で暮らしながら
起こった出来事への嫌悪感を処理しきれずに
拒絶反応を起こした身としては、
耳の痛い先人の諫言ということになるでしょうか。
私は「これから、故郷を出てちがうものを見にいく」段階
にいるんだと思います。
この本で特に目を引いたのは以下のエピソードです。
私が現実的に故郷に骨を埋める気になっていた時期(25歳〜29歳頃)
を振り返ると、
人の役に立つことが目的化していたと思います。
それは自分の居場所を確保するためだったり、
自分が設定した理想の状態を維持するためだったりしました。
「清濁併せ呑」みながら
「涅に徹して緇ざるを貴ぶ」
みたいな、
「やむにやまれぬ大和魂」で
「負け戦と分かっていても、やらなければならんからやる」
みたいな、
肚の据わった清廉潔白さが好きだったんです。
(今もですけど、当時は特に)
そういう人物にシンパシーを抱いていたし、
私もそうでありたいと思っていたんですけど
その清らかさを実践しようとした時に
私の中で置き去りにされていた子供が主張する瞬間があって、
そのギャップに耐えられなくて退いた…という経緯があります。
要は、
職場の人間に対して「身内と思って尽くす」ことが
私が理想とする人物のスタイルだからそれに倣おう
としたけれど、
生身の私が、周囲の人間を「身内と思う」ことを拒絶した
っていう青臭い失敗談です。
この経験を思い出したのは、
無私の行為は種(集団)の存続にはプラスになる
というハミルトンの法則が
「自己犠牲による献身」を美徳としていた時に好んだ
「環境は人がつくる」という感覚を彷彿とさせたからです。
2024年2月6日 拝
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