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開巻有得〜ひとに尽くしたくなる心理〜

今回、ものを考えるきっかけになったのはこの本です。
個人的に、オオカミ(のイメージ)が好きなんです。

エリ・H・ラディンガー著 / シドラ房子訳
『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』

故郷への憧憬 所属する場所が必要なのはなぜ?

ロシアのことわざに次のようなものがある。
「故郷とは、あなたが木々を知っている場所ではない。
 木々があなたのことを知っている場所だ」

出生地と調和状態にあることは魂にとって重要だ、
と考える自然民族は多い。
彼らの考えかたによると、
母親の胎内で骨や筋肉が形成されるとき、
誕生する場所周辺のエネルギー・フィールドの型を受け取る。
その後は世界のどこに滞在しようと、
いつも出生地と調和的に結ばれている。
これが個人の人格開発に役立ち、
自分があるとおりの人間に形成してくれる。


故郷という概念が意味を持ったのはかなりの年になってからで、
社会環境の大切さを理解し始めた。
世界中を旅行し、あらゆるものを見てしまうと、
故郷とは一つの場所以上のものだと気づいた。
故郷とは、家族や友人や隣人の住む場所なのだ。

三十年故郷と呼べる場所で暮らしながら
起こった出来事への嫌悪感を処理しきれずに
拒絶反応を起こした身としては、
耳の痛い先人の諫言ということになるでしょうか。
私は「これから、故郷を出てちがうものを見にいく」段階
にいるんだと思います。

この本で特に目を引いたのは以下のエピソードです。

オオカミほど情熱的に故郷を守ろうとする哺乳動物はほかにあるまい。

オオカミの戦いを目にするたびに、驚かされることがあるものだ。
際立って利他的な行為もその一つ。
ある縄張り争いで一匹が敵の雄から襲われたとき、
弟が命の危険を冒して攻撃者のすぐそばを走って通過し、
注意を逸らせたこともある。
攻撃は中断され、兄弟二匹とも攻撃を免れた。
別の例ではそううまくはいかず、
戦っているグループの真ん中に跳び込んだオオカミは
家族の“犠牲”となり、殺された。

なぜオオカミがこのような行為をするのかについては、
生物学者ウィリアム・ドナルド・ハミルトンの
展開した原則により説明できる。
親戚内で行われる利他的な行為は、
行為者に何の利益もないように見えるばかりか命を落とすことさえあるが、
それでも本人に最も利益をもたらす
きょうだいは一般的に遺伝子の約50%が共通しているので、
若いオオカミが兄の命を救えば、
種の保存と間接的ゲノム伝達が保証される。
こうした例から、自分の命を顧みずにほかのメンバーの肩代わりをする、
オオカミ家族の強さを見ることができる。

私が現実的に故郷に骨を埋める気になっていた時期(25歳〜29歳頃)
を振り返ると、
人の役に立つことが目的化していたと思います。

それは自分の居場所を確保するためだったり、
自分が設定した理想の状態を維持するためだったりしました。

「清濁併せ呑」みながら
でつに徹してくろまざるをとうとぶ」
みたいな、

「やむにやまれぬ大和魂」で
「負け戦と分かっていても、やらなければならんからやる」
みたいな、
肚の据わった清廉潔白さが好きだったんです。
(今もですけど、当時は特に)

そういう人物にシンパシーを抱いていたし、
私もそうでありたいと思っていたんですけど

その清らかさを実践しようとした時に
私の中で置き去りにされていた子供が主張する瞬間があって、
そのギャップに耐えられなくて退いた…という経緯があります。

要は、
職場の人間に対して「身内と思って尽くす」ことが
私が理想とする人物のスタイルだからそれに倣おう
としたけれど、
生身の私が、周囲の人間を「身内と思う」ことを拒絶した
っていう青臭い失敗談です。

この経験を思い出したのは、

無私の行為は種(集団)の存続にはプラスになる

というハミルトンの法則

「自己犠牲による献身」を美徳としていた時に好んだ
「環境は人がつくる」という感覚を彷彿とさせたからです。

2024年2月6日 拝


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