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2024年3月22日 辻政信氏を基点にした記憶の整理

一つ、気になっている事があります。
それは、辻氏が
「米ソのどちらにも依存しない」代わりに
中国に全幅の信頼を置いていたこと。

これは「東亜連盟」の思想ゆえだと思うのですが
彼のこのスタンスには危うさを感じました。

 “中国人に接する道は信を腹中におくことである。
  二度だまされても、三度背負投げくらっても
  平気で信頼してやれ。
  そのうちに決してだまさない中国人を発見し得るだろう”

辻政信氏の調査考察2024.3.19

この記事で
辻氏の中国への(意地のような)信頼が危ういと感じたのには、
それ以前に読んでいた本の内容が記憶に残っていたからです。

📕 『新装版 運命を創る (安岡正篤人間学講話)』

私が若い時に心酔した師が、こう言っていたんです。

日本の国はあまりに良すぎ、有難ありがたすぎて、
よく言えば純良、平和の田舎的歴史でありますが、
この正反対がシナで、[中略]
「中」というのは面白い語で、
それはいろいろな矛盾を克服して無限に進歩していくという意味、
…それと同時に中にはあたる﹅﹅﹅という意味がある。
中毒の中です。
漢民族は黄河の流域に繁栄いたしまして、
独特の文化を造り出しましたが、
それと同時に退廃堕落するということもまた深刻になりました。
…そこでせっかく長城を越えて中原を支配した夷狄も、
しばらくすると型の如く頽廃堕落し、
革命叛乱で追っぱらわれ没落する。
これを繰り返し、いわゆるシナ二十四史、二十五史でありますが、
よその人間から申しますと、あれほど治乱興亡の甚だしい、
劇的な、そして文化的な興味深い国はない。

しかし、この治乱興亡の歴史を見ても、
とてもあの国を領有して、
秀吉のように、都を北京にもっていって、
大日本帝国を造るというようなことは、考えられない。
いわゆる夷狄と同じに必ず失敗する。
日本人は単純ですから、一時征服しても、
たちまち中毒してしまって、ことによったら
日本も衰亡してしまうかもしれない。

この本は、私が2019年9月12日に読んでいたものです。

この時の記憶から、
日本の“純朴な”兄弟観で、海千山千の中国を見るのは危うい…
と感じたんだと思います。

私自身は、
子どもの頃に唯一あった訪中の機会を
全力で拒否した身なので、
実際的なことは何にも言えません。
もしかしたら前世のいつかに、
中原進出を目論んで痛い目を見たのかもしれませんね。懺悔懺悔。

冗談はさておいて、ひとつ留意したいことがあります。
それは、安岡先生もまた、
辻氏の師である石原莞爾氏と同じような方針をお持ちだったことです。
これは数年ぶりに再読しての発見でした。

満州を独立させーーもともと満州は中国ではありません。
孫文なども満州なら日本にやってもよいと考えていたが、
貰わなくてもよいので、満州は満州であそこに立派な国を造り、
日本、中国、満蒙の三国が永い伝統的東洋文化を枢軸にして、
東洋連盟、極東連盟、
今日の国際連合の、もっと本格のものを造って、
欧米と対応していく。
これが一番正しく望ましい
という結論に到達したわけです。

それを何とか実現したいと病みついたのが、
私の一生を棒にふった始まりであります。

ところが、そうして繁く満州などに行っておりまするうちに、
私よりも先に同じことを考えておった人に出会った。

これは満州で張作霖を助けた
おう永江えいこうという人であります。

…この人は、

張将軍が満州に理想の王国を造らねばならぬ。
決して上海関を越えて中原に入ってはならない。
中国、満州と日本とは相携たずさえ、極東に王道国家を造る。

こういうことを考えていたのであり、

張将軍も初めのうちはこれを遵守しておったのでありますが、
人間の野心は恐ろしいもので、
だんだん実力が出来てまいりますると、
中原に馬を進めたいと思った。
どうしても中原を征服したい。
だんだん王永江と仲が悪くなる。
出処進退に明らかな王永江氏は、衣を振って
郷里金州に隠遁してしまった。

その頃、私は満州に行って、はしなくもこの人に会い、
大いに共鳴したのであります。

どうやら中国側にも、この
「中国と日本は相携えて共同合作をする」
「満州に理想の国を造る」
という理想をもつ同志はいらしたようで、
安岡先生は幸にして、こういう方達と縁づいて行かれたようです。

私が感激したことの一つですが、終戦の時、
上海で日本軍が降伏した時の降伏使節は土井明夫という中将で、
敵の司令官はとう恩伯おんぱくという人で、
これは日本の古武士のような性格教養の人で、…
土居さんが降伏使節になって敵の司令部へまいります。
あいつは俺より下級生だったが、これに降伏するのかと悄然として行った。
そして司令部へ車が着いて、降りようと思ってヒョイと見ると、
玄関に湯将軍が立っている。
奥深く傲然と待ち構えていて捕虜のようにひっぱって行かれるのかと
思ったところが、湯将軍が玄関に出迎え、つかつかと降りて来て、
自ら自動車のドアを開け、土居さんを抱き抱えるようにして、
途端に言うた言葉が、
「土居さん、長い間喧嘩したが、これでもとの兄弟だ」…
土居さんは感激のあまり涙が出てなんとも言えなかったそうです。

私は後で湯将軍と仲よしになりまして、
台湾に招かれてまいりました時、
しばしば寝食を共にしたものです。…

それからもう一つ感動しましたのは、
湯さんが初めて日本軍を撃破して、それから戦略を立案して
日本軍を徹底的に打倒しようとした…
それから何度もその機会があったが、蒋介石総統が許さない。
そこまでやってはいかんと言う。
そこで自分が行って、
「総統、何を考えておられるか」と問いつめた。
蒋総統は襟を正して非常に沈痛な面もちで、
「君たちの意見はよく分かる。また君たちの戦略も是認する。
 しかし、それでは日本軍を徹底的に打ち倒すことになる。
 アジアは永くヨーロッパに狙われ、
 わが中国の如きも恥づべき侵略にあっている。
 このアジアは結局わが中国と日本とが相提携して
 欧米に対し王道国家を造らねば真の平和にはならない。
 日本を徹底的に打倒することはしたくない。してはならないのだ、
 わかってくれるか」
と言われて、自分も感激した…
と、しみじみ言われたのです。そういうことだから、
その後、先方は日本軍のみではなく、日本の居留民をも大切にして
帰してくれたのである。…

辻政信氏には、支那派遣軍総司令部時代に
蒋介石総統のお母様の法要を執行された
というお話しがあります。

辻氏の言う、「決して騙さない中国人」とは、
こういう方たちを言うんだろうと思います。

…一転して、『潜行三千里』には、
こういうエピソードも収録されていました。

📙 『潜行三千里』

一九四八年の春、まだ満州も華北も堅持していたとき、
蒋主席は四中全会の席上で、国民党の腐敗を慨嘆し、
「組織力と宣伝力と紀律において、
 共産党がはるかに国民党に優っていることを
 認めざるを得ず」と述べている。
組織と、宣伝と、紀律とは革命遂行の三大要素であるが、
この三つの力がともに共産党に劣るとしたら
国民党に果たして何が残るのであろう。
その新聞を話題にして、親しい国民党員の中堅の某氏と
ザックバランに語った。

「君は三民主義を無上の理論と思って入党したのか?」

「試験勉強さ、食うための理論だよ」

「中共に勝てると思うか」

「もちろん思わないよ。
 …負けたらさっさと荷物をまとめて郷里に帰るよ。
 田も畑もある」

「また共産党の勉強でもするか」

「時と場合によってはねえ…」

「国共の喧嘩はいつまで続くか、妥協の方法はないのか」

「中国の事は中国人自身の力で、中国式に解決するよ。
 外国人がおせっかいしたら失敗するよ」

「組織と宣伝と紀律において、共産党が優るなら、
 国民党に何が残るのか」

……呵呵大笑の後に、
「洋館と第二、第三夫人が残るさ」と答えた。


辻氏が親しくなり、ざっくばらんに語り合った方は
長い目、広い目で全体を見渡すような視点を
お持ちではなかったようですが、
「試験勉強さ、食うための理論だよ」という考え方をする人に
「兄弟よ、ともに手を取り合って理想の世界を築こう」と
握手を求めると、だいたいにして
握手ついでにこちらのふところにある
金目のものを全て抜き取られ、
こっちが弱りきったところを
突き放される気がしてなりません。

…偏見は良くないですかね。懺悔懺悔。六根清浄。

時代背景の深掘り

辻政信氏は1902年10月11日生まれ、
1961年4月4日に日本を発ち、その後失踪、
1968年7月20日付で死亡宣告されています。

安岡正篤先生は、1898年2月13日生まれ、
1983年12月13日に亡くなられています。
(個人的に、十年ほど前から著書を読んでいたため
話題に挙げさせていただきました)

今回、同時代を生きたお二人に
「東亜連盟」(極東連盟、東洋連盟)を理想とする
という共通点を見出しました。

辻氏の『亜細亜の共感』では、
石原莞爾氏から、この理想を
こんこんと教えられた経緯が書かれていたと記憶しています。

『自衛中立』とともに再読の必要があるという事で、
今後も考察を続けていこうと思います。

2024年3月22日 拝

知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。