SNSネオリベ資本によるディストピア世界支配と戦争継続による経済成長

今日の気づきを書いておきます。
アメリカ資本はイラク戦争が「ショックドクトリン」だと、糾弾する声がでても
さほど、反アメリカ、反資本の声が高まらないことに味をしめたのだ。そして、
戦争は儲かるし、こんなに平和主義、人権主義が特にヨーロッパで広がっているのに
イラクが世界的な問題とはならなかった。民主主義勢力対イスラムという対立の構図
を作れば、正義対正義にできる。
プーチンがウクライナに攻め込んだのも、資本オリガルヒがたきつけ、SNSの情報操作
で国民を支配しているつもりが、西側陣営の悪魔化を確信して、自国が攻められるという恐怖感ではないか。そして、ロシア対民主勢力、西側諸国という対立の構図が、イデオロギーなしにまたできあがった。冷戦構造が壊れて困るのは大資本家、巨大軍事資本だ。それでSNSを使い分断を煽り、ネオリベ権力の権力者の地球規模の全体主義化により世界支配を企んだ。そこで邪魔になるのは、環境危機と、ヨーロッパ特に北欧の国のような社会民主主義体制と女性のフェミニズム、人権主義だろう。
SNSと結びついた#Metoo や #BLM の運動は特に危機感を持ったのではないか。
これを抑え込むにはどうすればいいか。
ここで、日本と中国は物言わぬ市民としての支配は優等生で、日本では、ネオリベ支配が見事に成功している。環境団体から「化石賞」を送られているのに、日本自動車産業はEV化がぜんぜん進まなくてもメディアもなんとも言わない。この支配体制に注目して
学んだのではないだろうか。日本では安倍政権が一強でいられたのも、女性差別、弱者の権利は認めない自己責任の世界で抵抗勢力はますます分断され、弱体化している。安倍政権と統一教会、日本会議など宗教右派勢力の結託で、共産主義の悪魔化、市民の保守化、強者に弁える忖度のネオリベ翼賛体制ができている。
また、家父長制、性別二元論化、ジェンダーロールの強化。2000年ごろにあったバックラッシュより、今回はSNSによる市民自身が自身の言いたいことを自己監視する世論誘導が巧妙に行われていて。市民が選んだと思わされているだけ重症だ。他者を認める社会ではなく、他者の違いを認めない。極論で弱者を叩いて喜べ、快感すら得られるためこの分断が支配に都合のよいことに気づかない。目の前の敵を叩けばより自分の都合のいいフォロワーの支持が得られる。そして、いまのひとはパソコンを使わずにスマホの時代である。長い文章を読むのは嫌がる。特にツイッターは単文の強い攻撃的な言葉でうまく分断を煽るような人がバズりインフルエンサーとして認められる。SNSで短い文を繰るうちに、ちゃんと本を読み、自分で考える人も、長い文章から離れ、考えずに自分の好きなインフルエンサーのいうことを疑わず信じていれば心地良いし、楽だ。実社会でネオリベに支配されて余裕のない人の精神には心地よさが得られる。コスパがいいのだ。
この権力の強制なき全体主義の支配は、安倍政権のSNSやテレビ、メディア支配で見事になされていた。これと中国のSNSによる10億人の支配はネオリベ資本にとって理想的なお手本だったのでは。ないだろうか。
そしてアメリカでも、トランプ現象が起こる。これもメディア、SNSによる情報の統制を日本、中国に習ったのではと思う。正義、科学的、学問の裏付けなどをなかったかのように、自身の経験と正義と相対化がいつでも可能なのだ。
そういう下地があったので、ロシアが民主主義のお手本のようなヨーロッパに危機感を持たせて、アフリカやイスラム世界との分断を煽って、総軍国主義化、ナショナリズムを台頭させ、いままで微妙なバランスで保っていた、環境、人権を守る民主社会に、最後の一撃を与えた。
そしてイスラエルとハマスとの対立を911と同様に西側諸国とイスラムの対立に発展させたのも、SNSネオリベに操られている気がしてならない。これはイラクで起こった「ショックドクトリン」の進化系だろう。
ネオリベ資本も、環境の悪化、人口増加、地球資源の枯渇、かつ科学技術の持続的発展による常に右肩上がりの「成長」が無理だということに気づいている。これに市民が気づけば統治ができずに、反乱が起こる危機感を持っていたのだろう。
これも30年成長することがなくて自民党の統治に揺らぎない、日本のやり方が参考になったのだろう。マイノリティの権利を叫ぶと逆に「キャンセルカルチャー」と呼び、社会正義を相対化する。権力と支配者側の思惑に沿っていることにきづかない。
その安倍政権の作り上げた忖度とSNSの支配で、マイノリティ、女性の権利を抑えてフェミニズムの分断を図る。そして、学問的に正しいことを認めないために大学の管理、締め付け成果第一主義と分断化。図書館、博物館、美術館は「儲からない」ネオリベ的には悪だとされる。
大阪の維新の一党独裁には、市民にはネオリベの儲かる、金をかけて、電飾にまみれた、邪魔になる樹木は切られた「心地よい」公園に入る。吉本興行の芸人による市民の喜ぶことしか流さなくなったテレビ、学問の軽視、ネオリベ支配の強化、強制なき全体主義のための実験として、中央の政権も注目して応援していたのは間違いない。
大阪では、地下街のデジタルサイネージに選挙前などに一斉に吉村知事が映し出される
立派な全体主義によるディストピア的支配が、なんの違和感もなく罷り通っている。
もはや日本はネオリベ資本と権力者の完全一体化が図られている。
おそらく、これは中央政権も、市民が政治に無関心というか、そうならざるを得ない
ように経済的に追い詰めて、大企業に利益誘導する。抗っても無駄だと思わせるように
思い通りにならない市民はいじめ抜いて、マウンティングする。強者に弁えるのが当然だという「教育」がなされている。学校でも理屈のない無駄な規律にも、反抗心や正義感を青くさいコスパの悪いものと退けるのが、「立派な大人」だという「道徳」が行われている。日本人は民主主義を面倒なものと思っているのではないか。
アメリカは日本をメディアとSNSネオリベによる支配のお手本にしても、中国との諍いが激しくなると、お互いのはけ口として日本は戦場と化し、「ショックドクトリン」の場となるのではないだろうか。

この巧妙なる全体主義支配に気づき、抵抗を打ち出す必要がある。その一縷の望みは
フェミニズムではないか。「みんなのための」「99%による」フェミニズム、
そして、高島さんが提唱する「アナーカフェミニズム」ではないか、それを
SNSネオリベが戦争を利用していることを理解して、大資本によるSNSからの
脱却が必要だ。スマホを捨てることはできなくとも「心地良い」SNS支配にみずから
自覚的になり、顔の見える規模のSNSで繋がって、団結し、ネオリベ価値観からの
脱却、被支配層からの見えない支配に気づき、自由な生き方、人権を重んじ、自分も他者も認めあえる社会をめざすべきだろう。

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