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la la la 48. 古の魔女の処方箋③(諦められないことがある人へ)

こんにちは。久しぶりに、東の魔女の「処方箋」です。
諦められないことがある人へ。諦められないことがある人は、
それを無理に終わらそうとしないで、ちょっとそこに”置いておこう”
そういうお話です。
今日の処方箋は、物事を白黒はっきりさせたい人や、何かあった時に思い切って携帯新しくして連絡先全部消しちゃう、みたいなタイプの人には向かないと思います。なぜかというとそういう人は「ハイ次!」って、無理やりでも区切りをつけた方が前に進めるからです。
でも今日はそうじゃない方の人へ。
誰かに励ましで「ね、切り替えて、次次!」と言って貰えば言って貰うほど朝が苦しくなって、生きて行かれないと思う人へ。

世の中には形式上、ふんぎりをつけないといけないことが結構あります。
好きな人が結婚してしまった、とか、実はあまり大切にされていなかったことに気づいた、とか、入りたかった会社に入れなかった、なりたい職業に就けなかった。でもだからってそんな簡単に方向転換できるほど、生半可な気持ちでやってきたのではないこと。

わたしの個人的な考えですが、わたしはそういった気持ちってずっと持続的モチベーションとして置いておいていいと思っています。
なぜ、諦めなくてはならないのか、わからないからです。

でもいちいち口に出すとややこしいので、それは他人に言わなくていいと思います。生きているということは地続きの日々です。その中でどうして皆、そんな簡単に、とりあえず”ピリオド”を打つというか打たせるのでしょうか。それはきっと、本来そうした方が人が前を向きやすいからだと思うのですね。でもその「ピリオド」が向かない人もいると思うんです。
だったら心にピリオド、打つ必要はないと思います。

わたしはずっと役者を目指していて、でも20代の後半に、このままだと役者にはなれないぞ、と感じてきました。役者の才能が足りないと気づいてきたのです。そこでわたしが考えたのは「マジでどうやったら才能なくても役者になれるか」でした。そして安易なのですがまず有名人になることにしようと思いました。でもどうやって? その時に真剣に考えたんですね、何一つ人並みにできないわたしが唯一これならちょっとイケるのではと思えることは何か。そしたらそれが「書くこと」でした。そしてわたしは賞を獲りデビューをするわけですが、これは大変めでたく、大変嬉しいことだったのですが、同時に「小説家って生半可じゃやっていけないぞ」ということもわかってきて、役者になるために作家になってる場合じゃないというか、とにかくまず目の前のお仕事を頑張らなくてはということで、本来の「役者になる」という目的は一旦置いておくことになりました。

でも、わたしの中にはいつも演劇があります。それは書くことをおそろかにしていることとは全く違います。

同時に「夢は叶います」か「夢をもとう!」みたいな言葉はあまり好きではないというかピンとこなくなったし「夢を諦めない」みたいな言葉、とりあえずドリイム関係の言葉に萌えたつ感情はなくなってしまいました。
それはきっと幼い頃から役者になると思って生きてきたけど、職業としては小説家になった、ということを、過不足なく「ちょうど」に受け止めているからだと思います。だからと言って「夢なんか叶わないよ」っていうスタンスになったのではなくって、わたしがもはや感じているのは、夢とか好きなこととか諦められないこととか愛しているものって、
叶う叶わないの世界じゃなくて、
どんな場所でどんなことをしていても、
その光のある方向に傾いて生きていく、
ということじゃないかなと思うのです。

そういうことを人は「きぼう」と呼ぶのであって、
「きぼう」があるのに、わざわざそれを自分から取り上げて「ぜつぼう」する必要が、本当に見当たらないって、わたしは考えています。

いろんな形があります。わたしの妹は出版社に就職する予定でしたが、震災の年で内定が取り消しになりました。失意の中、若い子向けのファッション雑誌の雑用係のバイトから始めた妹は、しだいにカルチャーページやインタビュー記事を任されるライターとなり、そこで趣味で詩を書いていることを知ってもらって、今では雑誌の数ページにも及ぶポエムキャッチの仕事依頼がくるようになりました。全然違う入り口からのスタートでしたが、当初やりたかったこと、以上の仕事が今できているかもしれません。

あと、あまりいろんな人に開いていないマガジンなので正直に書きますが、
例えば自分が愛した人には、一緒に住んでいる女性がいたり、します。
これがまた結婚しているわけではないので余計諦め方がわからない、そしておそらく、もし結婚されたりしても、諦め方がわからないだろうと思います。でも、ここからは覚悟の問題になると思うのですが、
あなたがそれでもその人を愛していく、と決めていたら、
その覚悟に対して安易に口を挟める資格のある人間ているのかな、と思います。だってそれを貫くのは自分自身であって、それは結構大変なことだからです。

だからまず、もしも今、失意の中にいて、それが仕事か、恋愛か、失った友人か、もしくは亡くした人のことかはわからないけれど、
今切り替えたり、別のベクトルに向かっては生きていけないな、と思っている人は、あなたにとって生きていく意味のある光のある方へ、
魂も心も傾きながら、でも目の前にあることを一生懸命やっていくと良いと思います。いつもお伝えしているように「今」を生きなくてはなりません。

過去と寄り添ってもいいです。でも過去とも「今」寄り添わないといけません。つまり亡くなった人のことも「なんであの時死んじゃったの」ということを考えるのではなく「いるものとして扱いながら」今を生きるということです。「今日晴れているよ」ねえ!? みたいな感じで寄り添っているのならそれでいいです。故人の場合はそういうやりとりの中から、もうあんまり僕のこと考えていてもダメだよっていうメッセージが、くる時に来て、わかると思います。

あなたは何も諦める必要がありません。でも「時」に置いて行かれてはいけません。なので、その光をそっと、目の届くところに大切に置いて(仕舞う必要すらないと思うのだ!)今をとにかく精一杯生きてください。
こんなことがそれに繋がるのかな、って思うようなことが、ある時急に繋がっていく、それが人生だと思います。
あなたの大切にしたい「光」を忘れずに、なくさないで。

ラララ世界の中心はあなたであって、いつどんな瞬間からも、その一瞬先の未来の時系列を変えることができます。

それでは、らるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
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それをテーマに次の記事を書くなど、一緒にこのマガジンを作っていきたいと思っています♪ la la la♪

嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ