ラララ世界_180605_0020

プロローグ9. 人間関係には時の薬(by も)

こんにちは。人が社会というものの中で生きている以上、人との関わり合いの中での悩みは実は尽きないものかなあと思います。
人間関係のことは、これからも少しづつ語って行こうと思いますが、
今日は「ずっと仲が良かったのに今は疎遠になってしまった友達」について。

この友達は、あなたがもう「疎遠になって実は逆にせいせいしている」とか、あなたにとってこの状況が実はいい結果となっている相手ではなくて、
本当に何か胸の奥が痛むような、このようなことになって残念に思っている、友人のことです。まずそれを心の奥に聞いてみましょう。
その人は、今もなお、あなたにとって大切な存在か。

今もなお大切な存在であって、けれど今は関わりたくない、とか、
今は何をしてもちぐはぐになっちゃう、とか、今は向こうにノーサンキューされている、とか、同時に刺し違えている、とか、いろんな状況があると思うのですが、大切なのは「今」の瞬間で結論付けないこと。
今、をピリオドの位置に置かないことです。
ラララ世界では毎日、「今」「わたし」にフォーカスして世界を紡いでいくように綴っていますが、都合がよいように思うかもしれないけれどそれはディディールです。「今」ワクワクすることをする、とか、「今」感じたように生きるとか、心の方位磁針が触れたことに対して鈍くならないための「今」と「わたし」を鍛えるのであって、先日「手をパンパンと打ったくらいでは変わらないものもある」とお伝えしたように、その奥には、時間をかけて紡がれていく「普遍的」で「絶対的」なものがあります。
友情もそういったものだと思います。
「今」「わたし」互いの瞬間的な波長と都合が、互いにとって良かったからこれまではうまく行っていたのか、そうでないところでも育まれた時間と愛情があるのか。
人と人の関わりあいのこと。これだけは「世界の声」ではなく、
「わたしの声」としてお伝えしています。

わたしは、何度も言うように、誰かに何かを教えられるほどの人じゃないし、欠点もいっぱいあります。例えばこと恋愛になると、このタイトルに書いた「時の薬」や「必要な距離」を扱うのがとても苦手で、
「流れの悪いトイレで、トイレの水が溜まるのを待てない人」になってしまいます。
けれども友情に関しては、わりと絶対的なものを信じて泰然としていられる人だと思います。その中で大切な友人たちとは、それぞれ疎遠になったり、傷つけあったり、破壊的な絶縁をしたりしながらも、結果的には長く長く、関係を紡いでくることが、現状今はできています。現状今、少し離れている友人もいます。離れているけど気にかけています。離れているけど大好きで、でも大好きだからといって今距離を詰めることはしません。それは「壊れる」ことに近づくからです。そういう時に効くのは「時の薬」しかありません。
「絶対的なものを信じていられる状態」というのは、実は繋がりがあるときではなく「離れている時」に発動すべきスペックなのです。

なんていうか、相手がわたしを嫌いでも、わたしは好きだよ、これからもずっと、的な構えが必要です。
なお、委ねる、は投げ出すことではありません。「人事を尽くして天命を待つ」ということで、その時できることは悔いがないようにやって、それでも回復しないところに関しては、思い切って天に(時に)委ねるということです。じっと待たなくてはなりませんので、根気がいるし、気が遠くほど長く感じる時もあります。このまま切れちゃうかな、と思う時もあるし、
数年に及ぶこともあります。(そこまでしてはいいかな、って思う人、だったらその相手はそこまでの友達じゃありません、だったらもう悩まないで心の中で終〜わり、ってしてしまいましょう。その方が絶対、明日から気が楽です)

日本の女の子って特に、連絡を取り合っている、とか、すぐ返事がきた、とか、関わり合いの頻度とか対応で、関係の深さを測ってしまいがちだなぁって、わたしは昔から思っているのですが、本当の絆はそんなことで壊れないし、2、3年疎遠になっていたって、また時がくれば、自然と元に戻ります。疎遠になったり、衝突している時ってとても苦しいし、何かを失ったような気になってしまっているけれど、実は、失ってはいません。

自分と同じように相手も必ず「同じだけ」傷ついています。
その表現の仕方が人によって違うので「もう関わりたくないみたい」とか、思うかもしれないけれど、そうじゃない。「今」をエンドに置かないで、長い関わりあいのなかの「離れている時期」として、一つの通過点だと考えて、その相手に対してアプローチするのではなく、あなたはあなたの毎日を生きましょう。

友達同士もずっと二人三脚ってわけにはいきません。
あなたはどんどん歩いているけど、向こうは一歩も歩けない時もあります。またその逆も。関わる人間や仕事、つきあう相手によっても、相手のモードが変化したりして、今の自分のモードと、噛み合わないな、っていう時があります。

そんな時は離れましょう。

距離をとる、ってどうしてこう日本だとネガティヴなイメージになるのでしょう。離れる、というのは「そっと見守る」と同じ意味です。
互いにとって自由の効く場所で、今おのおのが大切に思っていることをうんとやったらいいのです。
そのうちいつか、二人ともがそのステージを抜けて、
また違うモードと歩調で、関わりあえるようになります。
大丈夫大丈夫、必ずその日はきます。
だから急がないで。
誰かに相談を受けたわけでもないのに、なぜか限定的なシチュエーションについて書くこととなりました、不思議。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
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