法の下に生きる人間〈第89日〉

昨日の記事で紹介したLGBT理解増進法の第1条には、次のようなことが書かれている。

全文を抜粋しよう。

【第一条】
この法律は、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策の推進に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の役割等を明らかにするとともに、基本計画の策定その他の必要な事項を定めることにより、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性を受け入れる精神を涵養し、もって性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会の実現に資することを目的とする。

以上である。

条文の最後にも書かれているが、この法律が土台となって、何年か経ったときに、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会が実現して、さまざまな法改正が可能となるのだろう。

何年待てばいいんだという当事者からの声が聞こえてきそうだが、過去の事例として、耳が不自由な方がどんなに差別的な扱いを受けてきたかを考えてみるとよいだろう。

最近になってやっと、NHKのニュースや政府の会見の場などで手話通訳者が登場するのが当たり前になったことに気づいた人もいるだろう。

ほとんどの番組に字幕が付くことなど、90年代では考えられなかったことである。

コロナ禍では、手話通訳者が透明なフェイスガードを着用して、通訳しているのが話題になった。耳が不自由な方は、話し手の唇の動きや口形、そして手話から読み取れる情報をもとに、話の大まかな内容を理解している。

耳が不自由な方は言葉がしゃべれない、言葉の意味が理解できないという思い込みを昔は多くの人が持っていて、わけの分からない手話を使っているとバカにされていたものである。

それが、90年代後半のテレビの影響で、のりピー(酒井法子)が手話を使って歌を歌ったり、『愛していると言ってくれ』のドラマで常盤貴子や豊川悦司が手話を使うと、不思議なことに手話ブームが到来した。

21世紀に入ってからは、SMAPが『世界に一つだけの花』を歌ったときの振り付けが手話みたいだと話題になって、多くの人が手話歌に興味を持つようになった。

こうした世間の手のひら返しを目のあたりにしながら若い時を生きてきた私が思ったのは、「人間って、なんて愚かで単純なんだろう。」ということである。

だからこそ、LGBTの人たちが社会に受け入れられるのも、もう少し時間がかかると思うし、多くの人が受容できるようになって初めて同性婚も当たり前の時代になってくるのだろう。

そうでないと、これから生まれてくる子どもが守れないし、かわいそうである。

「どうしてお父さん(お母さん)がいないの?」とか「どうやって生まれたの?」という子どもの問いかけに対する答えをしっかりと持てる人は、まだまだ少ないだろう。




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