20世紀の歴史と文学(1916年)

1916年は、夏目漱石が亡くなった年である。

12月の寒い冬、未完となった『明暗』を執筆中に49才で亡くなった。

胃潰瘍や糖尿病で晩年は苦しんでいたようだが、1905年に『吾輩は猫である』でデビューしてから10年ほどでの逝去は、あまりにも早すぎた。

『明暗』は、当時、朝日新聞で連載中だったため、毎回続きを楽しみにしていた読者はショックだっただろう。

しかし、10年間で漱石が書いた作品は、どれも名作と言ってよいだろう。

私が子どもの頃は、漱石全集が家の本棚に置かれてあり、千円札の顔は夏目漱石だった。(平成生まれの人は、野口英世だと思う。)

さて、漱石が亡くなる前のことだが、この年は、年明け早々、森鷗外が『高瀬舟』という小説を発表している。

この『高瀬舟』を子ども時代に読んだときも深く考えさせられたのだが、この短編小説は、現代でもしばしば話題になる「安楽死」をテーマに書かれている。

両親を亡くした喜助という男が、病気の弟と生活していたのだが、重い病に苦しむ弟から「自分を殺してくれ」と懇願されて、カミソリの刃で殺すのだが、それを近所の婆さんに目撃されて、殺人罪で捕まってしまう。

喜助は「遠島送り」の刑となり、高瀬川を下る舟に乗せられ、護送役の庄兵衛と対面するわけだが、そのときの喜助が晴れやかな顔をしていたのが印象的だったわけである。

『高瀬舟』を書いた森鷗外は、1916年当時は54才だった。漱石よりは長生きしているが、森鷗外もこの6年後に60才で亡くなる。

明治天皇も59才で亡くなられたのだが、実は、当時は60才でも十分に長生きできたと言ってよい年齢だった。

今では信じられないかもしれないが、明治時代や大正時代の人々の平均寿命は、40代前半だったのである。

日本人の平均寿命は、第二次世界大戦が終わって1950年代に入ってから、男女ともに60才を超えるようになったのである。

第一次世界大戦は、日本は直接自国に影響がなかったので戦死によって命を落とした人々は少なかった。

だが、1916年は、全国的にコレラが流行したのである。

7月に横浜港に入港した「ハワイ丸」という船に乗っていた乗客から、あっという間にコレラが拡大し、死者が7000人を超えたのである。

この状況は、2020年2月3日に、横浜港にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が入港したときとよく似ている。

同じ横浜港で、100年後にまた感染症で人が亡くなるのは、なんという偶然であろうか。

当時は、700人超が感染して13人が亡くなったのだが、その後、感染者が増加して日本全国で緊急事態宣言が出されたのは記憶に新しい。

私たちが、学校で歴史を学ぶ意義はこういったところにあるわけで、1世紀前の反省の上に立って、より安心して生活できる世の中になるように努力していく責務があるのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?