現代版・徒然草【55】(第215段・宵の酒の肴)

夕方が明るくて涼しい今は、一番過ごしやすい時期かもしれない。

こういったときは、夜のお酒がなんとなく美味しく感じられるし、心地よい外気に触れると、話も自然と盛り上がるものである。

酔いに任せて、誰かと気の済むまで語り合いたくなるものなのだろう。

では、原文を読んでみよう。今回は、長い一文であるが、6つに区切ってみたので、分かりやすいと思う。

①平宣時朝臣(たいらののぶときあそん)、老いの後、昔語りに、
②「最明寺入道(さいみょうじのにゅうどう)、或る宵の間に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、
③また、使来たりて、『直垂などの候(そうら)はぬにや。夜なれば、異様(ことよう)なりとも、疾く』とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのまゝにて罷りたりしに、
④銚子に土器(かわらけ)取り添へて持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、
⑤紙燭(しそく)さして、隈々を求めし程に、台所の棚に、小土器に味噌の少し附きたるを見出でて、『これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献に及びて、興に入られ侍りき。
⑥その世には、かくこそ侍りしか」と申されき。

以上である。

平宣時は、鎌倉幕府の5代執権であった北条時頼(出家したので、最明寺入道と呼ばれている)に仕えていた。

当時としては、かなり長生きして1323年に86才で亡くなった。だから、①の文のとおり、老後に昔のことを兼好法師に語ったのである。

ある日の宵に、使いの者に呼ばれて、北条時頼のもとへ直垂もヨレヨレの状態で参上したら、酒の相手をしてくれとのことだった。

だが、酒の肴がなくて、もう給仕の者たちも寝静まっているので、どこかにないか探してくれと頼まれたのである。

暗闇の中で紙燭を灯して、台所を探すと、棚のところに味噌が少しばかり残っていたのでそれを持って行ったところ、「それで十分だ」と気分を良くして酒を飲まれたという。

最後の⑥の文で、平宣時が兼好法師に伝えたかったのは、出家した時頼様が、私の身なりなど構わず、質素な肴でも満足されていたということだろう。

「昔は貧しかったけど、良い時代だった」とはこういうことなのだ。

パワハラ上司は問題だが、こんな上司なら酒づきあいも苦にならないか。





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