古典100選(31)養生訓

徳川家光の時代に生まれ、84才まで長生きして、徳川吉宗が将軍に就任する2年前に亡くなった儒学者がいた。

江戸には住まず、今の福岡市中央区にある荒戸に住み、当時の福岡藩に仕えていた貝原益軒(かいばら・えきけん)である。

彼の著書である『養生訓』は、現代においても参考になる部分が多く、健康に長生きする秘訣が書かれている。

そのカギは、やはり食にあると言えるだろう。

では、原文を読んでみよう。

食は身を養う物なり。
身を養ふ物を以、かへつて身をそこなふべからず。
故に凡(およそ)食物は性よくして、身をやしなふに益ある物をつねにゑらんで食ふべし。
益なくして損ある物、味よしとしてもくらふべからず。
温補にて気をふさがざる物は益あり。
生冷にて瀉下(はきくだし)、気をふさぎ、腹はる物、辛くして熱ある物、皆損あり。 
食する時、五思あり。
一には、此食の来る所を思ひやるべし。
幼(いとけな)くしては父の養(やしない)をうけ、年長じては君恩によれり。是を思て忘るべからず。或(あるいは)君父ならずして、兄弟親族他人の養をうくる事あり。是又此食の来る所を思ひて、其めぐみ忘るべからず。農工商のわがちからにはむ者も、此国恩を思ふべし。
二には、此食も農夫の勤労して作り出せし苦みを思ひやるべし。わするべからず。みづから耕さず、安楽にて居ながら、其養をうく。其楽を楽しむべし。
三には、われ才徳公義なく、君を助け、民を治むる功なくして、此美味の養をうくること幸(さいわい)甚し。
四には、世にわれより貧しき人多し。糟糠(そうこう)の食にもあく事なし。或(あるいは)うゑて死する者あり。われは嘉穀をあくまでくらひ、飢餓の憂なし。是大なる幸いにあらずや。
五には、上古の時を思ふべし。上古には五穀なくして、草木の実と根葉を食して飢えをまぬがる。其後、五穀出来ても、いまだ火食をしらず。釜甑(かまこしき)なくして煮食せず、生にてかみ食はば、味なく腸胃をそこなふべし。今白飯をやはらかに煮て、ほしいままに食し、又あつものあり、菜ありて、朝夕食にあけり。且(かつ)、酒醴(しゅれい)ありて心を楽しましめ、血気を助く。
されば朝夕食するごとに、此五思の内、一二なりともかはるがはる思ひめぐらして忘るべからず。

然らば日々に楽(たのしみ)も亦その中に有べし。
是愚が臆説なり。
妄(みだり)にここに記す。
僧家には食時の五観あり。
是に同じからず。 
脾虚(ひきょ)の人は、生魚をあぶりて食するに宜し。煮たるよりつかへず。小魚は煮て食するに宜し。大なる魚はあぶりて食ひ、或(あるいは)煎酒(いりざけ)を熱くして、生薑(しょうが)わさびなど加へ、浸し食すれば害なし。 
四時、幼老ともにあたたかなる物をくらふべし。殊に夏月は伏陰(ふくいん)内にあり。
わかく盛なる人も、あたたかなる物をくらふべし。
生冷を食すべからず。【以下略】

以上である。

人によっては、現代語訳が難しい部分もあると思うが、詳しく知りたい人は、現代語訳だけでまとめられている中公文庫の『養生訓』(松田道雄訳)を読むと分かりやすいだろう。

キャンディーズが人気絶頂期にある1977年に初版が刊行されたのだが、訳者である松田道雄の解説を読むと、ハッと気づかされることも多い。

1970年代は、マクドナルドもコンビニも、現代のようにたくさんあったわけではない。

一度は私たちも益軒に学び、原点に立ち返ってみると良いだろう。


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