古典100選(24)筆のすさび

今日は、あまり知られていない江戸時代の儒学者である菅茶山(かん・ちゃざん)の作品を紹介しよう。

菅茶山を知らない人は、広島県福山市のホームページでも紹介されているので、調べてみるとよいだろう。

紹介する作品は『筆のすさび』という説話であるが、「筆のすさび」というのは、たわむれに気のおもむくままに書きとめるような所作といったところだろうか。

では原文を読んでみよう。

A①ある家に、盗人、宵より忍び入りてうかがひ居けるに、夜ふけて家内の人、皆寝て後、一女子ひとり起き居て、髪結ひ化粧などするあり。
A②「丑三つ今は頼まれず」と、待ちわぶる者もあらんと思ふうち、さはなくて、硯を出だしてこまごまと一通の書をしたため、さて、梁に縄をかけて自ら縊(くびくく)りて、前へ跳ばんとするに臨みて、盗人おぼえず声をあげて、「やよ、人々おき給へ」といひつつ、抱きとどめたり。
A③家内の人、その声に驚きて、そのゆゑよしを問ひければ、「え避(さ)らぬことありてかくはものせしなり」とて、ただ泣きに泣きぬるを、さまざまと説きなだめ、二人の人に守らせ、「さて、その留めたるはいかなる人ぞ」と問へば、盗人なり。
A④これもあからさまにそのよしを述べければ、銭そこばく取らせて帰したりとなり。 
B①また、人の妻を盗み通ひし人あり。
B②ある時、その妻のもとに忍び居たるに、その妻、青赤竜子(とかげ)を膾(なます)に調じて、酒をあたためて本夫に勧む。
B③本夫は夢にも知らで、やがて食はんとせしを、密夫(まおとこ)おぼえず走り出でて、「その膳には毒あり。かまへてな食ひ給ひそ」と押しとどめければ、本夫はおどろきて、その人の忍び居たることなど問ひけるに、これもあからさまにしかじかのよしを答へしかば、その妻を追ひ出だし、密夫は命の親なりと悦びて、兄弟の約をなして睦びしとかや。 
B④人の本性、ものに触れておぼえず発見(はつげん)すること、かかること世に多かるべし。

以上である。

AとBの2つの事例を分かりやすく挙げており、最後に「人間の本性」について触れている。

訳さずともお分かりのことと思うが、Aの話は、人の家に盗みに入った盗人が、女性が遺書を書いて首をつって死のうとしている場面に遭遇し、思わず助けてしまった。そして、盗人だと白状したものの、女性の命を助けたお礼にお金をもらったのである。

もう一つのBの話は、不倫男が女性の家にお忍びで通っていたが、女性が旦那に毒入りトカゲの膾を作って食卓に出したのを目撃して、思わずその旦那に食べるなと制止し、命を救った。この不倫男も自分の正体を白状したものの、女性は旦那に追い出されて、旦那と不倫男は兄弟の契りを交わした。

現代においても、思わぬ「命の恩人」になった人が、相手と結婚したり、年取っても末永く友人でいたりするケースがある。

そんなサクセスストーリーを夢見る人も少なからずこの世にはいるのだろうが、要は、人の本性が知れて「いい人だ」と分かったら、外見とか職業とか、人の境遇というのはどうでもいいという心境になるのだろう。

AとBのいずれの事例も、本当にその人を思う気持ちがなければ、助けはしないのだから。


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