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マラソンを30年間続けてこられた「秘訣20か条」

これまでの人生を振り返った時に、私にとって絶対に切り離すことができないのが「マラソン」です。もし「マラソン」に出会えてなければ、今の自分は無かっただろうと断言できるでしょう。

そして、集める目的では無かった「完走メダル」ですが、いつの間にか「コレクション」になっています。以前は、引き出しの奥にしまい込んでいましたが、ある日、壁にぶら下げて見ました。改めて、眺めて見ると、今までの自分の人生を振り返る良い思い出になっています。そして、今では、ZOOMの背景画像にも使用しています。

もともと、運動は大の苦手分野でした。鉄棒、跳び箱、水泳は、一番嫌いな運動です。草野球やサッカー、バスケットなどは好きでしたが、ほんの遊び程度でした。

結婚して、夫婦でテニス教室にも通いましたが、あまりうまくなれず、一時期は、ゴルフに夢中になったりもしましたが、やはり、才能は無いと諦めました。

■マラソンを始めたきっかけ

35歳の時、娘が「拾った犬をどうしても飼いたい、必ず面倒を見る」という約束で飼うことになりました。ところが、よくある話で、結局、世話をすることができず、早朝の散歩が私の日課になりました。
 
散歩を始めた頃は、背広に着替えた後、出勤前に、ちょろっとやればいいかな?と言うつもりでしたが、散歩を待ち構えている犬にすれば、その程度では物足りません。飼い始めた時は、すでに雑種の柴犬で、子犬ではありません。初日から、背広を汚されました。これではだめだと思い、起床後、すぐにジャージに着替えて、朝食前に散歩に行くことにしました。
 
毎日、続けるうちに、始めは仕方なく始めた「犬の散歩」でしたが、気持ちを切り替えることにしました。「自分が犬に付き合うのではなく、自分に犬を付き合わせよう」。そう思うと、毎日の散歩が楽しみになったのです。
 
【運命の日:1994年2月12日(34歳)】
 
「10㎞を走る」ということなど、少なくとも2月12日以前には、到底考えられなかったことでした。犬(キキ)との「早朝ジョギング散歩」を始め、約2年が経過していました。しかしそれは決してハードなものでは無く、まさか自分がマラソンに挑戦することになるとは思いもよらないことでした。

2月12日(土)、その日は、小学校が第二土曜日で休日。ちょうど、妻の両親が名古屋から滞在中で、キキを散歩に連れ出してもらえたおかげで、久々にひとりで走れる条件が整ったのでした。ふと、娘の通う小学校へさしかかった時、何となく校庭のグラウンドを走ってみたくなったのです。1周約200mの校庭を10周走ってみました。すると、とても気持ちが良く、何となく走る楽しさを感じた気がします。
 
そうするうちに、一体今の自分は、どのくらい走れるのだろうかと、自分の力を試してみたい気持ちになってきたのです。しかし、いきなりレースに出る自信はありません。

試しにどのくらいやれるかと思い、いつもの散歩コース(1.8㎞)を思い切って5周(9㎞)走ってみたのが、3月6日だったのです。苦しいながらも、これで何とか10㎞を走る自信が沸いてきて、ついに、3月7日「第12回気仙沼大島つばきマラソン(10㎞/39歳以下の部)」にエントリーしたのでした。せっかくなので、家族旅行を兼ねて行くことにしたのです。自宅から車で気仙沼へ。そこからはフェリーで島に渡りました。日曜日が大会なので、土曜日は、民宿に泊まりました。長女が10歳、次女が8歳でした。
 
それからレースまでの約1か月、会社の同僚や、近所の人にも公言し、自分の気持ちを高めていきました。かつて学生時代にスポーツで活躍した人は、その栄光が大きすぎて、今の現実の自分の姿を見たく無いというのです。今やれば、おそらく挫折感しか味わわないだろう。そして、あの時の苦しい想いはもういやだというのです。その点、自分には、過去の栄光も無ければ、過去に苦しんだ経験が無いからこそ、全て新鮮で、かつ感動的なことであり、22歳の時に、急性肝炎で入院したことを思い起こせば、これだけやれていることだけで、本当に幸せを感じることができるのでした。

【初10キロマラソンレース体験記】
当時、毎月発行していた家族新聞「みつい・ふぁみりー・つうしん」に掲載した記事が下記になります。
 
4月17日(日)天候晴れ、気温19.7度、午前10時15分、さあ、いよいよ初めてのマラソンレースのスタートである。人には「目標は完走です」などと言ったものの、やはり当然のことながら、順位とタイムも気になるところで、内心は、50分を切れればなどと思っていた。
 
そもそもスタート時点では、10㎞レースに何人がエントリーしていたかもわからないまま何となくスタートした(結果的には852名参加しスタート時点では、300位の位置あたりにいたと思う)。
 
すべり出しは心持ちハイペースの気がした。とにかく遅れまい、しかし飛ばしすぎもまずいと自分に言い聞かせながら走り続けた。ふと足下に「4㎞」のチョークの印がみえた。時計を見ると約16分経過。1㎞4分とすれば、かなり速いペースである。
 
しかし、次第に後続のランナーに、どんどん追い抜かれていく・・・ふと不安になった。一体今、自分はどの位の位置にいるのだろう?・・・さらに自分よりも年配の人や、女性がどんどん自分を追い抜いていく・・・いや、今回は初レースだし、とにかく完走でいいんだ、と自分を納得させ、走り続ける。でも、たまにはこちらから抜いてみようかなどと、2~3人を抜いてみたりもした。でも何となく焼け石に水といった感じ・・・
 
そうするうちに、5㎞を折り返したランナーの集団が前方からぞくぞくとやってきては、自分の横を駆け抜けて行く。そうだ、折り返しはもうすぐだ!と思ったものの、行けども、行けども、折り返し地点がまだ来ない・・・果たして何十人、いや何百人が自分の前を走っているのだろうか・・・
 
そう思う内に、ふと自分の後ろに何人いるのか、無性に不安になってきた。まさか自分が最後なのでは?・・・一抹の不安があったのも事実である。
 
そして、ようやく5㎞の折り返し地点に差しかかった。時計を見ると、25分20秒。何といつものペースではないか。と言うことは、さっきの16分の地点は3㎞から4㎞にさしかかる地点だったということで納得できた。
 
そして、安堵の気持ちで一杯であった。自分の後ろに、かなりのランナーが走っているではないか・・・だが、後半になっても依然として、後続のランナーが自分を追い抜いて行く・・・というよりも、自分のペースがどんどん落ちているのがはっきりわかるのである。抜かれるたびに、よしこのランナーについていこうと思うのだが、なかなかついて行くのは難しい。
沿道では、大島の住民の方々が声援を送ってくれる。果たして今まで味わったことの無い、気分の良い経験である。テレビで見るマラソンと同じように、給水所も途中に何か所も設置してあり、本格的なレースに参加した気分でとても気持ちが良かった。

普段の練習で一度も給水などしないのだからと、ずっと、給水をしなかったが、残り1.5㎞の地点で、これも経験とばかり、初めてコップを取ってみた。おそらくただの水だとは思うが、何となくしょっぱい気がした。しかも走りながらではあまりうまく飲むことができなかった。そして最後の上り坂。とにかくきつかった。そのうち、20㎞参加のトップの選手が、すごいスピードで横を駆け抜けていった。とにかく速かった。最後のゴール間際で、麻実、奈南、麻耶の声援がわかった。ラスト100m。最後の力を振り絞り、すぐ前のランナーを追い抜きゴールインした。結果は515位。タイムは52分45秒であった。

初めての10キロレース

以後、全国転勤のおかげで、各地のマラソン大会に参加。マラソン仲間も増え、仙台では「仙台明走会」を、福岡では「TEAM大濠555」という「走る異業種交流会」を仲間と立ち上げ、それぞれのチームは現在も、活発な活動を続けています。

私は、サラリーマン時代38年間のうち、15年間単身赴任の生活を体験しました。お酒を飲むのも大好きで、ほとんで毎日飲んできました。それでも、身体をこわすことなく、今まで健康でこれたのは、マラソンのおかげだと思います。

また、ひとりで走る際は、いろいろなことを考えることが出来、今の自宅を購入した決断もジョギング中でした。

■これまでの実績とこれからの目標(2023.11現在)

   ・321大会参加/フルマラソン91回(100キロウルトラ含む)
          ハーフ124回 完走
      → フルマラソン目標 100回
   ・全都道府県大会制覇(47都道府県中、41都道府県制覇)
      → 残り6県(滋賀・福井・島根・愛媛・香川・徳島)
   ・東京マラソン8回完走
   ・仙台明走会設立(2006年) 現在会員 約150名
   ・秋保夢舞マラニック主催(2009年スタート)
   ・TEAM大濠555設立(2013年) 現在会員 約200名
   ・フルマラソン自己ベスト3時間44分・49歳)
   ・100キロウルトラマラソン自己ベスト11時間46分・48歳)
   ・生涯走行距離(46,924.5キロ) 参考:地球1周 40,075キロ

初の100キロマラソン完走

■マラソンの魅力 

「なぜ、そんな苦しいことを続けられるのですか?」「なぜ、お金を払ってまで、マラソン大会に出るの?」と、良く聞かれます。

その答えは・・・

中学、高校、大学時代、スポーツの経験がほとんどゼロでした。従って、過去の栄光も無ければ、苦しい経験も無い。そして、35歳から始めたおかげで、やればやるほど、走る距離は伸び、そしてタイムも、面白いように速くなっていったのです。しかも、娘たちからも「パパ、凄い!」と言われ、調子に乗って、どんどん走り続けて来ました。

そして、何と言っても、大会のスタートラインに立った時の緊張と、沿道の声援、そしてゴールした時の、あの何とも言えない達成感。そして終わった後の、ビールでの打ち上げ。それを、味わうために、続けてこれた気がします。

さらに、走る仲間と大会に参加すると、折り返し地点で、仲間と声を掛け合たり、それぞれのペースで大会を楽しむことができます。

「仙台国際ハーフマラソン」は、現在では、制限時間が2時間30分に緩和され、参加しやすくなりました。ところが、かつては、男子の出場条件が、何と1時間40分を切らないといけないという、とても厳しい時代がありました。その頃、どうしても、参加したくて「仙台明走会」の仲間と練習を繰り返し、出場権を得るために「一関国際ハーフマラソン」で、仲間の加藤秀行くんペースランナーとして伴走をかって出てくれました。そして、苦しいレースながら「1時間39分42秒」で権利を獲得できたのでした。この時の喜びと、加藤くんへの感謝の気持ちは、今でも忘れません。

そして、もうひとつの喜びは、初めて大会に出る仲間の伴走役(ペースランナー)を自分がやることでした。初めてフルマラソンに挑戦する仲間にとっては、初レースは忘れることができないレースです。そこで、自分が少しでも役に立てたことは、今でも、とても嬉しく、懐かしい思い出になっています。

■マラソンに興味がある方

マラソンに興味がある方、是非「スロージョギング」から始めてみることをおすすめします。残念ながら70歳でお亡くなりになった、福岡大学の田中宏暁元教授が提唱されました。NHKの「ためしてガッテン」でも、2回も紹介され、前天皇陛下、皇后陛下も、実践されたとのことです。田中先生とは、福岡に単身赴任時代、何度も、一緒に走らせて頂いたり、一緒にお酒を何度も飲みました。正直、もっと長生きして頂きたかったです。

■秘訣20か条

第1条 体育の授業のような強制ではなく、自分で好き勝手にやれる
第2条 走った後の、風呂とビールが楽しみ
第3条 体重と体脂肪の変化が楽しい(飲みすぎ、食べ過ぎでも、コントロー
   ルが容易)
第4条 ランニングを通じ、様々な仲間ができる(会社の役員でも、ランニン
   グ友達になれる)
第5条 知らない町を走ると、様々な発見があり楽しい(いつでも、どこで
   も、ひとりでやれる)
第6条 走ることによって、自分の体調がわかる(健康のバロメータ)
第7条 目標月間走行距離のおかげで、練習時間を習慣化でき、不摂生を減ら
   せる(走行距離を毎日記録するおかげで、励みになる)
第8条 レース中に苦しい時、走れることに感謝しながら走る(幸せ!幸
   せ!)
第9条 「五体満足」で走れることに感謝(盲人はひとりでは走れない)
第10条 全都道府県開催大会参加を目指す(生涯の目標)
    * 47都道府県のうち41都道府県制覇(2023.11現在)
    * 未踏破 福井 徳島 香川 愛媛 滋賀 島根
第11条 単身赴任生活でも、寂しくない(15年間)
第12条 他のスポーツに比較して、手軽に達成感を味わうことができる
第13条 一流選手と同じレースに出たり、一緒にランすることが可能。
    他では、不可能!折り返しのコースでは、身近にすれ違える(高橋 
    尚子・野口みずき 他)
第14条 仲間と一緒にレースに参加した場合、全員がそれぞれの達成感を味わ
    うことが可能
第15条 全国で1年間に、数えきれないくらいのレースが開催されており、
    気軽にエントリーができる(普段行かない場所に行ける)
第16条 レースに出るだけで、家族や職場で自慢ができる(増える完走賞 メ
    ダル)
第17条 家族皆で楽しめる(子供が小さいうちは、親子ペアマラソン)
第18条 自宅近くで走れるコースをいくつか決める(距離を測って、記録する
    ことが大切)
第19条 マラニック(マラソン+ピクニック)の楽しみ
    (皇居5キロ・みなとみらい・東京マラソンコース・山手線1周42キ
     ロ 他)
   * 仲間と一緒に走ることが大切(にこにこペース → 田中教授が提
     唱)
第20条 走力がつくにつれ、次第に世界が広がる
   (参加可能な大会が増える・5キロマラソンからウルトラマラソン  
    へ)

■最後に

コロナの影響で、ほとんどの大会が中止になりました。やはり目標が無いと、ついつい練習もさぼり気味になります。ランナー仲間の中には、在宅勤務で通勤時間が減ったために練習時間が増えたという方もいるので、言い訳になりますが・・・

ここ数年、長年走ってきたせいか、あるいは、日常の足のケアを怠っていたせいか、膝、ふくらはなどの故障に悩まされきましたが、ようやくフルマラソンが走れるくらいには復活してきて、ほっとしています。

私の影響で、妻もマラソンが共通の趣味になっています。妻は私よりも1歳年上ですが、フルマラソン完走15回くらいになりました。

これから先、いつまで走れるかわかりませんが、体力と気力の続く限り、頑張って走り続けたいと思っています。


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