見出し画像

「ゆりあ先生の赤い糸(第5話)」田中哲司に関わったために人生見直す人々に未来はあるの?

今回のメインバトルは、鈴鹿央士VS菅野美穂。おばさんといっても、このバトル演技ができる菅野は元気だ。しかし、おばさん相手にこんなバトルをする鈴鹿も大人気ない。いや、彼は男が好きなわけで心はおばさんであり、これはキャットファイトに近いのかもしれない。まあ、どう考えてもこのバトルの意味はよくわからないが・・。

それよりも今回は、菅野が自分がやってることが不倫だということを認めて開き直ったというのが大きいのだろう。ということで、この一家、祖母の三田佳子以外は皆が男女関係に訳ありの集まりになったわけである。そんな中で田中哲司が意識が目覚めないまでも、身体が起き上がれるようになったのはありがたいのか、そうではないのか?まるでゾンビだものね。まあ、ある意味、男女関係のアバウトさまでが菅野にうつった感じなのを見ると、これはゾンビドラマなのかもしれない。

そんなゾンビたちを見る中で、松岡茉優が一番冷静に見えてくるのもおかしなもので、彼女が最後のキーみたいなものを握っているような気もしてきた。だいたい、この一家、田中がまともな状態になった場合のことを想像できていないですよね。修羅場というよりも、裁判所にこの案件持っていったて、誰が悪いのかよくわからない。みんな、それなりに法的に間違いとされることを少しづつやってるのだが、それは大犯罪ではない。同性愛だって、嫌がられても捕まることはない。そう考えると、本当にこのドラマ面倒臭いが絡み合って糸がほどけなくなってる感じがわかる。そういう意味では、それを解こうとする心が鈴鹿と菅野のバトルなのだろうか?

そんな中で、松岡の娘の白山乃愛が、バレエを習いたいと自分の口から言った。ここで、彼女が周囲に遠慮をすることから解放させることの意味は何なのだろうか?その辺りが読めないところがまたドラマの面白さではある。

菅野の恋愛だけが、その恋するきっかけみたいなものが見えるだけに生々しく見えるのは不思議だ。田中は鈴鹿も含めて肉体関係みたいなものがあったのだろう、そう考えるとそっちの方が生臭いのだが、人間とは存在がなくなったみたいになるとそういう生臭さも消えてしまい、ただ下の始末の臭いだけが残るもののようだ。ある意味、哀れ。

ということで、菅野の恋愛をどう描いていくかという部分も後半戦としては重要なところだろう。どちらにしても、まだ何がどう解決していくかは見えてこないし、解決したところでこの家にいる人たちの未来はもっと見えてこない。ある意味、先が見えない部分が今風の家庭ドラマと言えるのだろう。


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?