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「月の満ち欠け」前世の記憶が残るということが必要なのか?と色々考える・・・。

年末、廣木隆一監督映画祭3本目。結果的には、3本とも飛び抜けた作品には出会えなかった感じだが、どれが一番好きか?と問われればこの映画ですかね?でも、魂の輪廻の失敗みたいな出来事であった、ファンタジーというよりは、オカルト的な雰囲気が強い感じではある。そして、こういう映画は受け入れられない人は、全くダメだろう。制作者が何を求めてこの佐藤正午の原作を映画化しようとしたのか、もう一つ掴み切らなかった感じはある。

初頭で大泉洋の家族の話が語られ、彼の妻の柴咲コウと娘が亡くなったという過去が語られる。故郷でひっそり暮らす大泉のところに、目黒蓮がやってくる。そして、そこからは目黒と、年上の女である、有村架純の恋愛劇が始まる。

この辺りの展開で、映画の流れが良いとは言えない。とは言え、こういう流れで脚本を書かざるを得なかったのはわかる気がする。そして、このシークエンスでの有村架純が、とても美しく撮られている。そして、ここだけ青春映画テイストだからか、廣木監督の初期の雰囲気の映画のテイストになっている感じがした。それがとても心地よかった。有村は、目黒とベッドシーンこそしないが、その前後のシーンでも、かなり色っぽい雰囲気を醸し出している。後に出てくる夫の田中圭に対する表情と明らかに違う感じを出せていることで、彼女が女優として大きくなっていることがよくわかる。今年見た彼女の映画で「前科者」も良かったが、ここから大人の女優になっていく彼女は期待できると思う。

そして、冒頭に出てくる伊藤沙莉の話に繋がり、有村の魂が大泉の娘に移り、そして今は伊藤の娘にその魂があるという展開になるのだけれども、それを真正面から「すごい」とか「良かったね」とか観客が感じられるかと言えば、そんなことはない。アニメで描かれるならともかく、こういう形でお芝居として伝えられても無理がある。ある意味、新海誠のアニメのような世界でそれが展開するなら、受け入れやすいかもしれない。

そう、そんな大泉洋の話などどうでもよくて、目黒蓮と有村架純の恋愛劇の部分だけ切り取ればいいのではないか?と最終的に思ったりする。最後に、柴咲コウの魂まで出てくるのは、そうなるのだろうなとは思ったが確実に蛇足である。柴咲コウが素敵な奥様を演じているだけにそう思う。

この映画の主題が、前世の記憶が残る話だとしたら、目黒と有村の恋話のシークエンスで出てくる、高田馬場、早稲田松竹、レコード屋、アンナ・カレーニナみたいな道具はそんなに必要ない気がした。だが、このあたりしか映画の印象が残っていかないので、邪魔なのは主題である前世の記憶なのである・・。

早稲田松竹は、映画館の外観さえ80年代後半とあまり変わらないが、客席はここに出てくるようなものではなかったはず。廣木監督ならそれは知ってるはずなのであるが、まあ、それを撮影できる劇場ももうないということだろう。しかし、何故にそこでかかる映画が「東京暮色」なのか、全く意味不明だ。制作の松竹の在庫から趣味で選んだ?というか、早稲田松竹に邦画は似合わないだろう。本当なら、「アンナ・カレーニナ」を映したいところが、版権でできなかったということか?なら、そんな映画館の中のシーンは必要ない。

とは言え、目黒と有村が8mmを撮ったり、写したりするシーンは80年代の邦画にもよく出てきたシーンで、こういうシーンを撮る時の廣木監督の演出は冴えていると思った。ジョン・レノンの曲もそこに被って効果的に私の脳裏には残った。ただの同時代感かもしれないが・・・。大森一樹監督や崔洋一監督が亡くなった時にこういう映画を見ると、その当時に自分自身も心が戻っていく感じがした。

ということで、映画全体のバランスはすこぶる悪く、私にとっては、子供が高田馬場の駅に走り、最後に目黒と有村の抱擁に繋げるシーンはかなり無理があったと思うのだ。そう、美しく感じない繋ぎであった。

廣木監督、それなりに映画をまとめられるので、重宝されているのだとは思うが、同じピンク出身の瀬々敬久監督の仕事に比べるとアラが気になる。もっと、センシブルな彼の作品に映画館で会いたいと思う次第です。

しかし、田中圭はどうなったのですかね?


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