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「あちらにいる鬼」寺島しのぶ、豊川悦司、広末涼子、役者で見せる昭和の男女の混沌

荒井晴彦脚本、廣木隆一監督で、井上荒野原作の井上光晴と瀬戸内寂聴の不倫関係を描いた小説を映画化する。なかなかゾクゾクするものがあるのと、すぐにシネコンのスクリーン減らされそうな予感から急いで見にいく。なかなか大人の映画に仕上がっていたが、荒井晴彦の粘着質みたいなものはあまり感じないわかりやすい映画であり、役者たちの芝居で映画の品格みたいなものができている良き映画であった。

しかし、これを作った廣木隆一監督、今年、この後に「母性」と「月の満ち欠け」という二作品が公開される。パンデミックの影響もあり、公開が渋滞しているんだろうが、とても気になる3作品であり、興行成績と観客の意見は凄く気になりますね。

映画は、1966年、井上光晴と瀬戸内寂聴(当時晴美)との不倫が始まるところから、1992年、井上光晴が66歳で死ぬまでの26年間、約四半世紀を描く。とはいえ、瀬戸内が1973年に出家するまでの話が中心。だから、昭和のニュース映像も盛り込みながら、2人の昭和では普通ではない男女関係を描いていく。

タイトルにも書いたが、寺島しのぶ、豊川悦司、広末涼子の芝居がとても良い。寺島が一番、色々な顔を見せるわけだが、その変化の仕方を見ているだけで飽きない。剃髪をするシーンで、顔がアップになるとその目元など、お母さんにそっくりなのだなと思ったりもした。彼女で「緋牡丹博徒」リメイクしたら面白いなと思うが、相手の男優も、撮れる監督もいないのかな?と思ったりする。だいたい、この映画の時代が「緋牡丹博徒」が上映された時代にシンクロしてるんですよね。新宿駅騒乱の日に、酒場でヘルメットの学生たちを声援するシーンがあるが、この辺り、荒井晴彦はそういうこと考えていたのだろうか?少し気になる。

いろんな顔で、寺島を2時間19分見続けることになったわけだけど、ラストで豊川が亡くなって、乗るタクシーで涙を流すシーンの彼女がたまらなく良かったですね。映画で積み重ねたものが最後に結実する、こういう感じはとても好きです。

しかし、豊川悦司はこういう、だらしないというか、世捨て人的な男役が似合いますね。そして、いろんな種類の女を抱く感じもわかりやすい。寺島のいるホテルを訪ねて、「抱きにきた」といって画になる男はすごいですよ。この時の2人の抱き合う姿は圧巻。すごくいやらしい感じが良かった。三島由紀夫の死に対して原稿に向かうシーンがあるが、こういうところで心理描写的なものが欲しい気がしたが、この映画はあくまでも恋愛映画なのですよね。と、考えればこんな程度で流していいのでしょう。そう、時代時代のニュース映像の入れ方は口説くなくうまかったですね。

そして、意外に良かったのが、私があまり得意でない広末涼子。夫の不倫関係を知りながらも、家庭を守る女。そして、夫の愛人と同志関係みたいになる感じは、ある意味、一番、不思議なキャラクターなのかもしれない。その不思議な役をなかなか見事に演じていた。

瀬戸内さんの生涯は、出家してから後もまた、映画にできるものがあるように感じる。大人の映画として成立するものでしょうから、企画があれば作って欲しいですね。瀬戸内さんとショーケンの交友録見たいのも映画にできるのでは?

ということで、廣木隆一監督、年末の一本めはなかなか手堅い演出でしっかりした映画でした。次が楽しみです。


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