見出し画像

「WANDAワンダ」人は何故に生きているのか?と言う根源的な考察?

1970年制作のアメリカ映画である。冒頭に、16mmのフィルムからの修復された云々の説明がある。修復に協力したのがGUCCIだと言うのも興味深い。1970年、1970年ヴェネツィア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞という肩書きだけが今も輝く隠れた作品ということだろう。

映画を見て、ティファニーブルーを基調とした、映画全体の色使いがまずはなかなか濃厚に観客に迫る。低予算の中でも、こういう基本的な映像へのスタンスが映画をとても作品として重厚にしているのは確かだ。だが、主人公の女WANDAは、何をするわけでも、何をできるわけでもない。彼女は夫と子供から逃げ、いや、追われ、一人生活をするために街を漂う。そして、過去の仕事の給与を求めに行っても、税金を引いたから、それ以上は渡せないと言われる。そして、仕事が遅いから働かせることはできないとも…。全世界でも、こういう人は10%くらいは存在するだろう。そして、ある意味愚鈍な女が世の中で弾かれていく、いや、弾かれても、なんとか生きて行ってるような情景をドキュメントタッチで追う一編。

最初に書いたなかなかおしゃれな映像と、その頼りないWANDAの自画像のリアルさ以外は、それほど共感はできなかった。中心になる男との行動の中で銀行強盗が行われるは、これは「俺たちに明日はない」の格好悪いコピー的なものを描こうとしたのか?主人公の女も格好悪いが、そこに寄ってくる男たちも格好悪い。WANDAは、いちいち、お金を盗まれたり、カバンを無くしたりする愚鈍な状況も、映画を見ているとなかなか辛い。そう、映画的シンクロはしにくいと言っていい。

だが、テーマを振り返れば、こういう女は今もいる。いくら、女がビジネスの主導権を取ろうとしても、男に依存する女は入るし、結果的には、女以外の武器を持たぬ女というものは、永遠になくならないだろう。売春をいくら禁止したところで、金が授受される中でのSEXは無くなることもないだろう。そう、ここでは、無力な女が暮らすという永遠のテーマがあったりもする。

そして、監督、脚本、主演を務める、バーバラ・ローデン。監督でありながら、その不安定な女性の表情を芝居としてうまく表現している。最後、銀行強盗が失敗する中で、不穏な顔をする彼女がこの映画の全てなのだろう。そう、世の中に相容れない自己への恐怖と不安。私は、ここで映画はエンドマークで良いと思ったが、リアルなエンドマークの、酒場でタバコを燻らす彼女の力強さみたいなものの方を監督は描きたかったのだろうか?

52年前に作られた、監督のプライベートフィルム的な作品。その色へのこだわりが、他の原色にも意味を持たせたりしている。WANDAの心模様は、ずーっとこんなブルーだと考えれば、刹那さとか虚しさなどを感じぜずにはいられない。そう、年代を超えて、さまざまな私たちの心に傷をつけてくる感じは秀逸だ。そして、今2022年にこれが、何かしっくりきてしまうことに、悲しくも思ったりする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?