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「恋のいばら」松本穂香、玉城ティナの不思議な組み合わせが、とても心地よく重めのドラマを繋いでいた。

松本穂香の主演映画、久しぶりのような気がする。今回は眼鏡っ子で少し自分の主張が上手くない役。彼女のメガネといえば「ひよっこ」が思い出されるが、あの時は東北の田舎者で彼女だとさえわかりにくい役だった。今回はメガネをすることで、奥手の女の子の空気感が出せていた。もう一人の主役である玉城ティナとのコントラストをしっかり出すための道具でもあったのだろう。

話はシンプルで複雑。一人の男、カメラマンの渡邊圭祐をめぐって、今の彼女である玉城のところに、元カノだと言って松本が近づいてくる。彼に撮られた写真のデータを消したいというのだ。それに流されるように付き合う玉城。そして、そんな中、渡邉の女癖の悪さが見えてきて、そのPCの中のデータも見つかるが、松本の本当の目的はそれではなかったというオチがある話。

監督、城定秀夫は、ピンク映画を多く撮っていた方だが、ピンク映画には、こういうような、女の嫉妬と憧れみたいなものが絡んだ話はよくある。それは、あくまでも女が主人公だからだ。そういう意味で、こういう題材は撮り慣れているという感じもする。脚本は「愛がなんだ」の澤井香織。こういう恋愛の複雑系を描くのは得意のようで、その二人が組んだことにより、低予算ながら、不思議な煌めきを感じる作品に仕上がっていた。

渡邊圭祐は、結構私が期待する俳優なのだが、ここではダメ男をうまく演じていると言えばそうなのだが、あまり見どころみたいなシーンがなかったのは残念。でも、彼特有の色気みたいなものが、このダメ男にまつわる女たちを有機化しているとも言える。

まあ、舞台は狭いし、女優二人の感情のせめぎ合いみたいなものをいかに描けるかというところなのだろうが、玉城の存在感でそれは結構うまく行っている感じがした。最終的に、松本が追っていたのは玉城だったという話なのだが、そういうわかりにくい同性への憧れみたいなものが空気感としてうまく紡がれていた。昨今はLGBTというと、すぐに性的なものに繋げたがるが、こういう、プラトニックな同性愛は昔からあり、それを正面切ってしっかり描くことも大切だと思う。昨今、世の中はなんでも簡単に「こういうもの」と定義づけるが、恋愛というものは、永遠にそういうふうには定義できないものだと私は思うし、だからこそ、恋愛映画はつくられ続けるべきだと考えてもいる。

そして、渡邉の祖母役の白川和子。ロマンポルノのルーツの女優がそこから半世紀以上経っても、なかなか存在感ある役を請け負っているのがとても嬉しかった。彼女と、玉城と松本との3ショットは、映画的にはかなりの重厚感を持つ場面と言っていいだろう。

映画的にまとまりはいいが、リベンジポルノ的な話も、もっと入れても良かったのではないか。そう、渡邉を徹底的なクズにしていないところにリアル感があると言えば、そうなのだが・・・。

ある意味、ロマンポルノの一作を見たような鑑賞後の感覚だったが、こういう映画が日本映画としてもっと作られてもいいと、私は思っています。こういう映画こそ、見終わった後で話をしたかったりする。シネコンで無理やり公開されているような感じで、観客が少なかったのが残念でしたけどね・・。

「恋のいばら」公式ホームページ
https://koinoibara.com/



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