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小さな命 大きな絆ー520gの誕生ー

ご覧いただきありがとうございます。
記念すべき第1回目のテーマは、
「小さな命 大きな絆 -520gの誕生-」です!!
 
おしゃべりもまだできない赤ちゃん。
ましてや、お腹の中にいる赤ちゃんたちは、
どのくらい外の世界-ママ-を理解しているのでしょうか。

私たちが思う以上に、赤ちゃんは外界を理解し、
母子は特別な絆で結ばれていると思うようになりました。
どんなに小さな命・体でも、魂は一人前なのだと。
そう教えてくれた、第2子との出逢い。

4年前の今日、2019年11月5日は、私の第2子の誕生日。
24週2日 520g
――そう、わが子はまだ7カ月に入ったばかりの超低出生体重児。

両手でそっと包み込める身体。
その小さなぬくもりにつまった、愛と命の神秘。

その日々を、学術的な側面-発達心理学-を交えながら見つめ直します。


1早産が教えてくれたこと

 当時、小学校で教員をしていました。
 「両立」「ワーママ(ワーキングマザー)」というと、
 聞こえもよく、カッコイイ。
 でも実際は、無理に無理を重ねての生活でした。
 
 よい授業、よい学級経営、
 子どもにも保護者にも満足してもらうため、
 同僚や管理職から咎められないように、
 子育てを理由に仕事を疎かにできないプレッシャーが常にありました。
 それは、結果的に、家庭崩壊、夫婦不仲に繋がるのですが、
 仕事に家庭にとこなしていくには、
 自分を犠牲にしていくしかなかったのです。

 それは、妊娠してからも一緒でした。
 ただでさえ、育児中で迷惑をかけているのに、
 これ以上、迷惑はかけまいと。
 「産休に入るまでは、待っていて。」が口癖で
 お腹の赤ちゃんのことを顧みない生活でした。
 
 そんな姿を、すぐそばで見ている夫や同僚、産科医が、
 「無理しないで」と忠告しても、
 「私は(赤ちゃんに対して)できる限りのことをしている。」
 と思っていました。

 これ以上、何を削ればいいの?
 誰が代わりに私の仕事、家事育児をしてくれるの?
 そんな虚しさと怒りで、
 私は、幸せに満ち溢れた妊婦の表情とはかけ離れた、
 いつもイライラと疲れ顔になっていたと思います。

 そして、その日を迎えました。

 立ち上がることもできない疲労感と悪寒、
 鈍いお腹の痛み。

 これまで感じたことのない体の不調を抱えたまま、
 夜を越すのは怖かったので急遽受診。
 すると、まだ妊娠23週(6カ月)というのに、
 「陣痛が始まっている」と
 慌ただしく先生や助産師さんが対応してくださいました。
 
 かかりつけの個人病院から、
 NICU完備の大きな病院へと救急車で運ばれていく。

 仕事も家庭も、何の引継ぎもしないままの緊急入院。

 重度の切迫早産の治療って、ただベットに寝ているだけではないんです。
 私は、もう陣痛が始まっていましたから、それはもう大変な治療です。

 聞いたところによると他国では推奨されていない、筋肉を緩めさせる点滴
 (マグセント、リトドリン)を使います。
 赤ちゃんを生み出すほどの、大きなエネルギー、子宮の収縮運動を
 抑え込むためですから、
 当然、その薬の作用は、子宮のみならず全身に及びます。

 全身の筋肉に力が入らず、
 箸を持つことも、トイレに立つことも、一人ではできません。
 当然スマホを持つことができません。
 視界がぼやけ、
 目の前でお世話をしてくれる看護師さんの顔もぼやけています。
 呼吸することも精一杯。 
 とても怖い薬だと思います。
 時に、心臓をも止めてしまうこともあるとか?
 でも、そうならないように厳重に管理され、
 その人に合った容量(濃度)で、24時間点滴を入れ続けます。
 
 このまま生まれてしまったら赤ちゃんの命が危ないけれど、
 その前に自分の命が危ないと、
 そう覚悟していました。

 間違いなく、過労が原因の重度切迫早産だ。
 この苦しさは、私へのは罰だと思い、引き受けていました。
 赤ちゃんを顧みず、苦しめた罰。

 「ママのせいじゃない。」と言う人はたくさんいる。
 流産、死産、早産をし、自分を責めるママへの慰めの言葉でしょう。
 確かに、そうかもしれない。
 なんせ、
 わざと流産させるために冷たい川に入ったけれど、
 無事に生まれたなんてエピソードが昔はよくあったと
 80代の祖母からは聞いたことがあるからだ。

 でも、今回のケースは、紛れもなく私のせいだと思っています。
 (裏を返せば、妊婦に過重労働をさせる教育現場の現状でもあり、
  共働きが当たり前になってしまった日本経済も影響もあると大いに思っ  
  ています。)

 朦朧とした意識の中で、
 必死に赤ちゃんに許しを乞い、必死に説得をしていました。
 このつらい治療を乗り越えたら、赤ちゃんは許してくれると信じて。
 心を入れ替え、何よりも「あなた」の命を第一優先にすると。

 私は、陣痛や緊急入院という「強制終了」をもってして、
 ようやく、「何が一番大事なのか」を気づかされたのです。
 それは仕事ではない、わが子が何より大切だと。

 
 近いうちの早産は免れないこと、
 またそうなった場合の赤ちゃんの生存率・予後、
 一通り説明を受けました。
 赤ちゃんが、私たちが、背負うことになるであろう未来。

 秋の優しい日差しが差し込む病室で夫は言いました。
『この子はきっと、すごい贈り物を俺たちに届けてくれる。
 愛される子に育てよう。たくさん愛してあげよう。』
その言葉に、私は覚悟を決めることができました。

2お腹の赤ちゃんとの会話

 入院して数日、夜なのか朝なのかも分からぬ重症個室。
 室内にはただ点滴音だけが静かに流れる。

 これを読む皆さんは、信じるか分かりませんが、
 その頃、私は赤ちゃんと会話ができるようになりました。
 会話といっても、目の前の人と音声言語を交わすことではない。
 脳の中に、メッセージが流れ込み、
 それを脳が私に分かるように日本語に翻訳している感じ。

 
 まるで超能力?チャネリング?よくわからない初めての経験。
 
 突然、初めて聞こえた赤ちゃんの言葉は、
 『もう私が諦めるしかないって、手を離したんだ。』
 
 脳裏に浮かんだ光景は、
 私たち家族を俯瞰しているような、
 赤ちゃんの目線(上からの目線)での映像。

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