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言の葉の庭から連想したサードスペースについて

 引っ越してきて1年間満足なネット環境を整えずにいましたが、やっとこさWiFi環境を整えAmazonプライム会員に入会したるり子です。

 雨が降る午前だけ庭園でスケッチを描く男子高校生と、謎の女性の交流を描いた新開誠アニメ「言の葉の庭」を観て、連想したことをつらつら書きます。(書いているうちに言の葉の庭については一瞬で終わってしまいました)

※最初だけ微妙にネタバレも含まれた内容です。ご注意ください。

目次
サードスペースは救いの場
タカオと過ごした雨の日の庭園
バンドマン先輩と不登校の女子高生
好きな自分でいられる関係を大事にする
ネットも居場所のひとつ
私もネットの民
まとめ

サードスペースは救いの場

 言の葉の庭を観てサードスペースは人を救うんだなと思いました。サードスペースとは家族でもなく学校や職場でもない息抜きや交流の場を指します。

タカオと過ごした雨の日の庭園

「あの場所で私、貴方に救われてたの!」

 職場で追い詰められ、仕事に行くことができなくなっていたユキノ。そんなユキノにとってタカオとの雨の日の庭園でのひとときは心安らぐかけがえのない時間だったのでしょう。

バンドマン先輩と不登校の女子高生

 この場面を観て私は当時友達づてに聞いた話を思い出しました。何かというと、昔好きだったバンドマン先輩が当時図書館で不登校の女子高生と交流していたという話です。図書館での自習は本を横に積んでおくと怒られないよと声をかけたところから始まり、定期的に図書館で会って、修学旅行のお土産をもらったりしてたみたいです。

 周りの人は「不健全な香りがする」「あいつやばい」って反応でした(ちなみに私は盲目中だったので全く気にしてなかったです)。しかし、不登校の女子高生ちゃんからしたら、バンドマン先輩と一緒に居られる図書館は、家や学校での自分ではない自分でいることができる救われる場所だったのかなと思います。

好きな自分でいられる関係を大事にする

 作家の平野啓一郎が提唱する「分人主義」では、本当の自分というたった1つの自分は存在しなくて、自分は人間関係の数だけ存在するとされます。また、好きな自分でいられる人間関係の自分の割合を大きくしていけば生きやすくなるとされます。これはサードスペースを作る理由とも言えるのかなとか思いました。

 ちなみに私は先程出てきたバンドマン先輩のことは好きだと思ってたんですけど、先輩と一緒にいる自分は吐きそうなくらい嫌いでした。なんて生きにくかったんだろうと白目を剥きそうです。

ネットも居場所のひとつ

 人間関係といえば、ネットやSNSで繋がる人間関係も含まれます。一般的には、ネット依存はやばいからとにかく切り離すというイメージだと思うんですが、ネット依存専門医執筆の本を読んだ時に書いてあったのは、実生活に支障がない前向きなネットの使い方なら必ずしもネットから断ち切る必要はないとありました。例えば、病気療養中読んだ本の感想をネットを通じてやりとりしているなどが挙げられていたと思います。これも、サードスペースを守るという意味があるのかなと思いました。

私もネットの民

 かという私も、オンラインゲームで繋がったコミュニティに助けられている1人です。今の場所に引っ越し、友達とも離れ離れになって1年が経ちます。サードスペースは現実世界にはない状態です。1人で楽しいことを探して遊ぶのでめちゃくちゃ満喫はしているのですが、彼ら彼女らとの電子世界の繋がりがながったら今の私はないと確信しています。いつもありがとうございます。

まとめ

 サードスペースは大事ですね。

 言の葉の庭を観た感想を書いてみようと思ったら盛大に横道に逸れていきました。正直めちゃくちゃ気持ち悪いけど投下します。見切り発車はよくないですね。次はスマートノートで書き出してから書き始めることにします。

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