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運命に愛された女院【建春門院の話・5】

鎌倉時代初期に、元女房の健御前によって書かれた古典作品『たまきはる』より、御所の火事の話を漫画化しました。

*原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波書店 刊 新日本古典文学大系 50『とはずがたり・たまきはる』 )
*後半に登場した鳥羽天皇皇女・八条院の話はこちら↓

『たまきはる』建春門院篇1はこちら↓

後白河院の御所・法住寺殿(ほうじゅうじどの)は京の外れ、鴨川を渡った先にあり、広大な面積を占めていました。現在の三十三間堂の敷地も、この中に含まれます。
後白河院の后・建春門院がふだん過ごしていた七条殿は、法住寺殿の敷地内の北側にあり、その南東にあったのが、「萱御所(かやのごしょ)」という御殿です。
正確な位置や七条殿からの距離、建物の大きさなどは不明ですが、その名称をみるに、屋根を萱でふいた御所だったようです。

承安3(1173)年4月、この萱御所が火事になりました。
建物はすべて木造だったこの時代、一度火事が起きると一気に周囲まで火が燃え広がり、大惨事になってしまうことも。
ましてこのとき、後白河院は法住寺殿の東側にある今日吉(いまひえ)社にこもっていて、留守でした。夜中の火事に気付いた御所の人々はパニックに。
『たまきはる』の著者、健御前はこのとき満年齢で16歳くらい。
まだ若いだけあり、周囲が火事に気付いて騒ぐのにも気づかずスヤスヤ寝入っていましたが、目が覚めて火事に気付いた後は、とるものもとりあえず、一目散に建春門院のもとに向かいました。

このときの建春門院の様子や、健御前自身の慌てぶり、同僚たちの様子などが綴られた部分を、今回は漫画化しました。
避難するときの様子はもちろん、建春門院や帝にからかわれた後日談や、話の流れで後に仕えた八条院の思い出まで話が及ぶなど、短いですがギュッと内容が詰まった部分です。
犬が八条院の間近をうろついていたという話も衝撃的ですが、火事のとき建春門院のもとに駆け付けたのと同様、脇目もふらず八条院を守ろうとした健御前の行動が印象に残ります。

健御前は忠誠心に溢れ、正義感が強く、はっきりした意志をもった女性だったようで、それゆえに周囲の人に愛されたり、逆にトラブルを招くこともありました。
今回取り上げた部分からは、そんな彼女の性質もよく伝わってきます。

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