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可愛い洋服と薄汚れたジーンズに「お金」を教えて貰った女子大生の話。

①「お金」とは、欲望だった。

フリルのスカート、ピンクのカーディガン、レースのブラウス。
私が幼少期から好きだったのは、"いかにも女の子"な可愛い洋服だった。
そして、可愛い服との出会い、初めて「お金」を意識したことを、今でも鮮明に覚えている。

私が小学3年生の頃に出会った子供服ブランド「mezzo piano」は、当時の私が夢に描いたものを現実にして叶えてくれる洋服であった。
ただ、mezzo pianoの洋服は一着しか持たなかった。いや、持てなかった。
子供服にしては強気な価格のmezzo pianoの洋服は、気軽に買えるようなものではなかったのだ。

自分の夢そのものであったmezzo pianoの洋服。
欲しくて欲しくてたまらなくて、毎日母と喧嘩をした。泣き喚いて訴えた。

その年の誕生日、ついにmezzo pianoのパーカーを買ってもらった。
可愛い小柄のアップリケが散りばめられたパーカーだった。
しかし数ヶ月後の私は、買ったパーカーに似合うTシャツを求めていた。
念願の洋服一着だけでは、欲を満たせなかったのだ。
そして再び、母との喧嘩が始まった。

今振り返ると、私は非常にワガママな子供だったと思う。
しかし、欲しい洋服が簡単に手に入らなかったから「お金」を自覚できた。私にとって「お金」とは、欲望だった。

「高校生になったら、可愛い洋服を買うためにお金を稼ぐんだ。」

私は煮えたぎるように湧き上がる欲をパーカーのポケットにしまい、シミがつくまで着潰した。

②「お金」とは、青春だった。

私は高校に入学するとすぐに、近所のホームセンターでレジ打ちのアルバイトを始めた。
フリルのスカート、ピンクのカーディガン、レースのブラウス。
私が幼少期から好きだった"いかにも女の子"な可愛い洋服への欲望は、高校生になっても冷めなかったからだ。

当時の私にとっての「可愛い」洋服は、ロリータ服だった。青文字系雑誌「KERA」を読んで、小学生時代の欲望を射抜かれたのだ。
ロリータ服を一式揃えるのに7万円〜10万円かかる一方、下校時間の関係で土日しか働けない私の月給は3万円弱だった。

それでも私は欲しかった。可愛い服が着たかった。
私は薄汚れたジーンズを履いて必死にお金を稼ぎ、貯め続けた。
「お金」という欲望は、乾ききっていた。

高校1年生の10月。稼いだ給料で初めてのロリータ服を買った。
私はPUTUMAYOとAngelic Prettyの大きなショッパーを抱え、意気揚々とラフォーレ原宿のスイングドアを出て行った。
「そんなフリフリを買ってどうするんだ」と呆れ顔の両親を余所に、私は買ったばかりのロリータ服に袖を通した。

鏡の中にいるロリータ服の私と出会った時、
パーカーのポケットにしまった欲望は潤い、青春に形を変えていた。

念願だった可愛い洋服を、思うがままに着られて幸せだった。
その後も私は、ロリータ服のためにジーンズを履き、貯蓄し、原宿に通い続けた。

フリルのスカート、ピンクのカーディガン、レースのブラウス。
私が幼少期から好きだった"いかにも女の子"な可愛い洋服への欲望は、高校生活で満たされた。
そして大学進学を機に、ロリータ服を買うのをやめた。

③可愛い洋服と薄汚れたジーンズが「お金」を教えてくれた。

流石にmezzo pianoのパーカーは捨ててしまったが、女子大生になった今でも、ロリータ服は自分の部屋に飾っている。

今の私はラフな洋服が好きなので、今後ロリータ服を着ることはきっと無いと思うし、ロリータ服を見つめる度に「こんなフリフリ、よく着ていたもんだ。」なんて思う。
それでもロリータ服を捨てられないのは、"薄汚れたジーンズ"で買った"可愛い洋服"が、「お金」の意味を教えてくれたからなんだと思う。

小学3年生の私が、mezzo pianoの洋服を手に入れたくて苦しんでくれてよかった。可愛い服への欲望に溺れ、苦しんだからこそ、お金を稼いで欲しいものを手に入れる覚悟を知ったのだ。
高校生の私が薄汚れたジーンズを履いてくれてよかった。欲しいもののために真摯に働いてくれたから、稼いだお金で欲しいものを買う喜びを知ったのだ。

フリルのスカート、ピンクのカーディガン、レースのブラウス。
私が幼少期から好きだった"いかにも女の子"な可愛い洋服を、お金で買えて、よかった。



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