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熱が出て思ったこと

熱が38.8度でた。高熱は久しぶりだった。

森博嗣さんが「自由をつくる自在に生きる」の中で、自由とは、こう書いていた。

僕は、「自由とは何ですか?」と問われた時、剣豪の刀の例で挙げた意味を答えている。あっさりと簡潔にいうと、「自在」あるいは「思うがまま」であり、ようするに「自分の思いどおりになること」である。

森博嗣「自由をつくる 自在に生きる」p6

この自由、自在、思い通りに全くならない状態だった。

たかが38度の熱が数日続いただけで大袈裟なのだが、私にとってはあまりないことなので、気づいたことを書き留めておく。



家族について

子どもが小さい場合は家族の助けがないと療養は不可能だった。
旦那さんの助けと保育園の助けで何とか療養できた。
ほんとにありがたい。

旦那さんは仕事が忙しい時期なのに優先して早く帰ってきてくれたり病院に送ってくれたりもした。


身体が元気になってきて、子どもがお風呂に入ってきれいな状態で寝てること、ゴミが捨てられてること、洗濯がされていて、きれいなパジャマに着替えられること、こんなことがほんとうにありがたくて幸せなことだった。

この期間中、旦那さんが夜ご飯を作ることはできなくて、テイクアウトしたり外食したりしていたようだったが、そんなの無問題だし、むしろ私がごはんを作れなくてごめんねと思った。



仕事について

休むに当たって仕事面でもたくさん助けてもらった。

とくに普段はできるだけ仕事をしないようにされてる(できるから許すとどんどん仕事が来るので)ベテランの人が、見かねて仕事を代わりにやってくれると言ってくれた。
(そしてお願いしたら、3割くらいの説明で理解し、早く、正確に、自分一人でこなしてくれていて本当に感謝だった)

ベテランの人がやってもベテランの人のメリットにもならないのに、私を思いやって?くれたことに感謝しかない。
復帰明けにお礼をよく言うことと、もしもの時はこの方にも他の方にも返していこうと思った。

また、多分ベテランの人とほんのちょっとは信頼関係ができて、「こいつ普段から色々いっぱいいっぱいそうだし少しは助けてやってもいい」とベテランの人が思ってくれたんだと思ってる。そういう関係を築けたんだとしたら、今まで仕事をやってきてよかった。



お金について

お金があっても使わないと意味がないと思った。

私には行きたい国があり、それはフィンランドで、大袈裟だけどフィンランドやタリンに行けないまま死にたくないと思った。

また子どもともっと一緒の時間を過ごしたいと思った。広島の大久野島に行きたいという計画だってあるのに。

自分の老後や子どものためにお金を残すことも最終的には大切かもだが、ちびっこの子どもとの時間は今しかなくて、もしかしたら急に思い通りにはできなくなるかもしれない。
自分のためや、家族で過ごす時間のためにもお金を配分していきたいと思った。



以前、小川糸さんの「ライオンのおやつ」という本を読み、人間は誰でも病気になるし、普通に死ぬのだな、と、当たり前の感想を持った。

食べる・生きる・死ぬってまだよくわからない。でも、やり残したことはたくさんある。


今はまだ病気が治りきっていないが、治って、自由で自在で思いのままに過ごせるようになったら。
私は仕事が好きで、仕事は大変ではあるが楽しいのだが、それはそれとして、もう一つの軸として、自分の楽しさについても、疎かにしないようにしてみようと思っている。

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