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自分で考えて決められない上司について

上司が良い人ではあるんだけど、仕事としてチームリーダーなのにリーダーの仕事をしてくれず(できず)、ここ半年ほどかなり困った状況だった。


半年間観察して、上司の根本的かつ結構大きい困った特徴の一つとして、「自分で決断できない」ということが挙げられると思う。

具体的な状況としては、例えば。

部下から「仕事について、Aの方法にするかBの方法にするかどっちがいいでしょうか?」と相談された時に、「わからない」と言って終わってしまう。(それでどうしようもないから、結局部下がなんとか決めてどうにかする。)

なにか決断しないといけない状況になった時には、上司のさらに上の人に判断を仰ぐ。そして上の人が出した答えに従う。

こんなかんじで決めてくれない・進めない、責任もあまり取ってくれないで困ったものだ、な状況だった。


とくにびっくりしたのは、チームでパートさんを新しく雇うことになり、採用面接をした時だ。

私とチームリーダーの上司で応募者の方の面接をした時に、一番良いなと思った人が、人柄的には良いが、採用条件と微妙に合わず、採用するかどうか迷ったことがあった。

その時私は「この人で採用・不採用、私はどちらでもokですので、あとは決めてもらったら従います」と言ったところ、上司がびっくりした顔で「決めるのは私なんですねえ」と言ったのだ。(他に誰が決めるというのだろう…)



こんなかんじで自分で決断できない人だった。でも改めて考えてみれば、この上司に限らずこういう人は結構いるような気がする。

では何故自分で考えて決めれないのか。

先日読んだ森博嗣さんの「科学的とはどういう意味か」という本に、こう書いてあった。

「多くの人は、そこにある対象を見て、どう感じれば良いのか、どう考えれば良いのか、どう対処すれば良いのかということを考えたくないのだ。考えるのが面倒なのである。悲しいと自分で感じるよりも、悲しいですよ、ということまで教えてもらいたがっている、といっても良い。」

森博嗣「科学的とはどういう意味か」p56


上司はまさにこんな感じで、周囲の顔色を伺って周囲に同調するようなスタイルの方に見えた。

おそらく普段から、考えないように、周りの答えに合わせるようにしてきて、その結果、考えて自分が答えを決めなければならない立場になっても、考えるクセが身についていなかったのではないかと思われた。
あるいは考えるのが面倒で、やりたくないのかもしれない。
(違ってて別の要因があるのかも知れない、違ったらごめんなさい)


では、どうすればよいか。

森博嗣さんの「科学的とはどういう意味か」という本は、科学的とはどういうことで、人が科学的であるためにはどうすれば良いか、ということについて書かれた本だった。

その本の中の、科学的なあり方を身につけるための方法について述べてる箇所が、科学的である前にそもそも自分で考える訓練として、役立つと思ったので引用する。

「言葉だけで理解している気にならず、思い込みを極力避ける。そのためには、いつも疑いつづけること。情報を広く求め、吟味したうえでも、きっぱりと割り切るような結論を出さない。そして常に疑問を持つこと。」

森博嗣「科学的とはどういう意味か」p144


またこうも書かれていた。

「実に些細なこと、そして手間のかかることの積み重ねでも、正しいものを着実に積み重ねていけば、途中で崩れる心配はない、というのが、科学の慎重さの理由である。」

森博嗣「科学的とはどういう意味か」p145


人の決めた答えに簡単に飛びつかず、疑い続け、考え続けること。そしてその結果として得た正しいことを積み重ねていくことが、そもそも自分で考え、決める力をつけることにつながるだろう。

ずっと周りの誰かが決めてくれる立場でいられるなら、考えずに生きていっても大きな問題はないのかもしれない。
でも仕事において・子育てにおいて・夫婦間・介護など様々なシーンで、いつか自分の力で決める立場になる可能性は大いにある。
少なくとも早いうちから考えるクセをつけるに越したことはない。


私は大学の学部で言うとまさに文系なのだが、考え方として、森博嗣さんの「科学的とはどういう意味か」の本で示す科学的な在り方に近づけるようにすることにした。


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