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祖母のこと

私が生まれた時、両親は祖母(父の母)と同居していた。母は、祖母と同居でも「離れ」があるというのが結婚の決め手になったそうだ。
我が家は敷地内に、母家と離れがあり、離れのことは「隠居」と呼んでいた。隠居には部屋が3つあり、洗面台とトイレがあった。
両親と私は隠居で暮らしていた。隠居には台所やお風呂はないので、食事やお風呂は母家で祖母と共にしていた。ご隠居するべき祖母は母家で寝ていた。

私の実家は、敷地内に母家と隠居があり、他にも井戸の跡が2つ、鶏小屋の跡、煙草の乾燥室などがあった。私が高校生の頃、母家を建て替えたので、隠居以外はもうない。

祖父は私が生まれる前に亡くなっていた。山の仕事をしていたらしい。林業ということだと思う。
お酒が大好きで歌が上手かったと聞いている。「酒の飲み過ぎで胃が破れて死んだ」と聞かされているが本当かどうかは分からない。穏やかな人だったとも聞いている。
祖父が亡くなって、祖母は養鶏やタバコやいろいろなことをして生計を立てていたのだろう。祖母は末っ子の父を本当に大切にしていた。明治生まれのしゃんとした、気丈な人だった。私が生まれた頃既に70歳くらいだったと思う。

私が物心がついた頃、鶏小屋はほとんど空っぽで、鶏は5羽くらいしかおらず、鶏小屋には朝顔や植物が巻きついていたような気がする。そのうちに鶏はいなくなった。
母家と隠居の間は空っぽの鶏小屋となんだかよく分からないジャングルのように植物が生い茂った空間があった。

母家には土間があって、土間の先にお風呂があった。薪をくべて湯を沸かしていた。
今考えると、母は大変だったろうと思う。母はフルタイムで働いていたので、帰ってから食事のしたくと風呂の用意。スイッチひとつでお湯が出るわけではない。

お風呂には窓があった。窓の外には野生的な世界が広がっていた。母家と隠居の間に広がるジャングルだ。私はいつもジャングルを見ながら五右衛門風呂に入っていた。
以前にも書いたが、本当に今世の私の記憶か?と思うほど、隔世の感がある。あまり思い出す余裕がなかっただけかもしれないけれど、今の私はマンション暮らし。実家も建て替えて、すっかり変わってしまった。鶏小屋もジャングルも土間も五右衛門風呂もない。両親も高齢なので台所はIHにしており、火を使うこともない。

祖母は私が10歳になった頃亡くなった。半年か一年くらい、調子が悪かった。現在で言う認知症の症状が出ていた。当時はそういうことが知識としてなかったので、行動や発言の変わりように両親も困っていた。夜間心配なので、父と私が交代で祖母と母家で寝ていた。
私は母家で祖母と寝られるのがうれしかった。
祖母が寝言で自分の弟の名前や、昔の知人の名前を呼んだり、夜中にトイレに行くのを手伝っていると「すまんなぁ」と言っていたことを思い出す。
祖母は入院したり、施設に入ることなく、母家で亡くなった。
祖母が亡くなった日は、私は隠居で寝ていた。朝、母が起こしに来て祖母が亡くなったことを知らされた。
よく分からないまま母家に行ったら、亡くなった祖母の周りを伯母たちが取り囲んで祖母の手の組ませ方を、あーでもない、こーでもないと、にぎやかに話していた。

祖母の法要の際、私は小学校を休んだ。
山の中腹にあるお墓に行ったとき、通っている小学校が見えた。運動場で体育の授業をしているみんなが遠くに見えた。
とても不思議な感覚だった。私も本当ならあそこで体育の授業に出ているはずだった。でも、私はお墓にいて、おばあちゃんは骨になっている。
初めて人の死に接し、理解出来ずにいた。

それからしばらくは法事がたくさんあった。
何日かおきに親戚がお経を読みに、夜、来ることがあった。それまで来客の少ない家だったので、私はうれしくてワクワクしていた。仏壇がピカピカしているのもうれしかった。

私は、私が生まれてからの祖母のことしか知らない。あまり自分のことを語らない人だった。祖母がどういう人生を歩んで来たのかも、人となりや暮らしていた家から想像したり、父や伯母から聞くしか術がない。
今でも、私は寝る前に祖母におやすなさいとあいさつをしてから眠りにつく。
ファミリーツリーという言葉がある。
普段はあまり意識しないが、自分のルーツというものは意外と根が深いのだろうな。

私は個人主義的であるし、周りからもそう思われている。ドライな人だと言われることもある。けれど、こうして振り返ってみると、家族や人とのつながりを求めているし、大切にして育ってきているようにも思う。

そしてこのところ、ひどく頑なになっていた私の心が、少しずつほぐれてきているような気がする。

何かを軸にして思い出した断片を拾い集めることによって、浮かび上がってくるものがある。
今回は私の情的な風景がじわじわと見えてきた。
すっかり忘れていたことも多い。
振り返ることで、いまの私の形も見える。
またやってみようと思う。