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紅茶詩篇『壊れた愛と翅根と骨根』

 無心された慈しみという、動かないままの私がいた。

 背中から羽と血が出ていた。家に帰りたいやさしい子の背中をした私の頬に、涙の線が渇いていた。 

 天使の羽を食べて醜い奇形に姿を変えた懸想男たちの死が、累々としていた。牙から逃れたばかりの私に、灼けつく悋気(りんき)を煙らせながら。私の骨と肌(かお)を食べた者たちは酷い有様。その地獄を天使の所為にする所業に、うんざりしていた。天使を不治の病の薬にした罰だというのに、自責のない悪い子は、自らの悪辣を決して顧みようとはしない。やさしい子が自分のやさしさに気づかないうちに、酷いことをする。私を食べて死んでなお、呻きながら天使を呪うんだ。

 持って行かないで、私の羽なのに。

 嘲笑う声に床を打った手のひらも空しくて。血を失いながら。

 流れた血潮があった肺根(むね)のうちで、喘息が淀んだ音が怖かったよ。自分が天使だと自称する悪者の群れに一人、天使だった自分に気づけなかった私の死だけがそこにあった。死の前に綻びを繕ってもらうように、保全される私のかなしみと慈しみ。恨みの汗を落とさないようにしたいのですと、注文を死化粧につけている。顧みられるために、泣くことをしなくてもいいように。だけれどもう、強い子だけの私で生きていなくてもいいのだと、涙をにじませていた。強くなくても、もう守ってもらえる子になったのだと、目を伏せたまま。

 身体をねじって起きた私の背中に、黒い蝶が翅を休めている。泣いていた私の元に、私がむしられた羽を咥えてやってくる小鳥たちがいる。かなしみのきらきらした水の光を拾ってくれている。飛べない理由に飢えた私を慰めるようにして。

 うつくしいのよ、私は。ああ黒い蝶たち。

 蛾の残骸に変わり果てた悪食者(すきもの)たちは骨喰いは、膠(にかわ)で直れない針の前に砕けていた。私が思い出に防腐処理を施す一方で、無花果(いちじく)のジャムをラム酒でのばす悪臭がする。私が傷を負った翅と骨とを、薔薇を煮込んだ蜜で綻びを直した真似なんてするからなんだ。

 美しくいなさい。私は私の身体と心の芯に強制する。身体の芯の紙に訴える。

 別れの手形という、形合わぬ者同士のさよならである愛。その愛に名をつけようとして、いつだって傷だらけで貧血の私のためだけに呟いた。愛が何度失われようと、その色彩がうつくしい私に、私自身が帰れるように。

 決して甦らない愛。骨の青色を奪われて絶望しながら。私は身体を投げ出したまま半身を起こして、枕にしていた古い詩集を開いた。

 やさしい言葉を捧げる相手がはじめからあなたならばよかったのにと、こう在りたい大切なひとを想って泣いていた。薔薇という言葉を詩の中に探しながら、私の血の海から揺らめいて現れた黒蝶の群れの中に佇むことで痛みを忘れていた。

 片付けのためにすごす一人の時間さえ、踏み荒らされてしまったんだ。

 壊れた羽根をやさしいひとたちに繕ってもらいながら、身体も骨根もかなしくて溶け出して水素になっていく。

 私の涙だけが炎の火葬。蝶たちの昏(くら)い花舞いの景々(かげかげ)。

 慈しみをください。私ばかりがあのときに要求されたものを。

 やさしさをください。分け与えられることを私が優先されなかったものを。

 やさしい子の人生が、どうかやさしくありますように。

 風が巡り、本のページが繰られていく。

 憐れんでくださった方々の手の中で、迎えに来てくれた仲間と、私の恋人になってくれたやさしい青い鳥と出会いながら。私がこの慈しみを以て敵を滅ぼすと誓った日の凶相がほろほろとほどけてゆく。死すべき者にとっての聖なる気位を匂い立たせながら。

 鳥たちや花々は雨の意味を数えている。足切り金だけを持ってきた私を嘆いてくれている。

 この愛がどうか、私の眠り薬になりますように。痛み止めがまだ効くうちに。

 物語と人生の強奪に倒れた身体を休めながら、真の美質は私の破損、その大きさを見積もっている。

 黒い蝶が舞う黄昏に響いている、憂い色が翳る睫毛の影、もう語れない傷を鎖しながら。

 誰も寄り添えない痛みと共に、私は私だけが眠るように迎えられた家で伏している。微笑むことしかできない、安らぎの家で息をついている。

 渡す言葉が最初から、渡したい相手があなただったらよかったのに。そう思えるやさしいひとたちの傍らで、生前の記憶と私は眠ったきり。

 ひとの気も知らない天使たちの仕事を私は見つめているけれども、骨を薬にされた私の涙を知る天使たちの祈りの中で、私は安らいでいる。

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