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本を読むことへの憧れ

久しぶりに本を読み始めた。

世の中便利になったもので、Kindleがあれば気軽に検索してダウンロードして読み始めることができる。世界のどこにいても本を読めるのはありがたいことだけど、やっぱり本屋で本を選ぶあの時間と、紙で作られた本が好きだ。

それにしても、いつから本を読む頻度がこんなに減ったのだろう。

いつからか、本を読む時間を意識的に確保しなければ本を読むことが難しくなってしまった。

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本を自分で選んで読むことを始めたのは小学生の頃。

学校の図書館には、一人一人に図書カードという借りる本の名前と返却日を書く欄が印刷された紙があった。図書カード一枚には数十冊分の枠があって、それが埋まっていくのが嬉しくて、本を借りてすぐに読んでは返却し、次の本を借りる、ということを繰り返した。

夏休みや冬休みは市営の図書館に行って本を借りた。学校にないような漫画本を借りられるのも、楽しみの一つだった。

中学に上がって、図書館に行く機会は減り、本を読む数も減った。それでも週に数回、授業が始まる前に読書の時間が設けられていて、友達と本を貸し借りした。その頃はまっていたのは、宗田理の「ぼくらシリーズ」。

高校では部活や勉強に忙しく、図書館に行くことはほぼなく、自分で買った本も残念ながら思い出せない。夏休みの読書感想文を書いた記憶があるから、それ用には読んでいたはずだ。

大学では本を読む時間がたっぷりあったはずだけれど、残念ながら貪るようは読まなかった。自分の専攻関連の本に小説。読んでいたことは読んでいたけど、他のことに使った時間の方が圧倒的に多かった。卒業間際、卒論も提出して時間がたっぷりできた後、最後の最後に大学図書館で本を借りまくった。

社会人になってから、平日に本を読むことに割ける時間といったら通勤電車の中ぐらいで、その頃にはスマホも生活の一部になっていたから、本を読むことへのハードルがさらに上がった。

それでも定期的に通勤時間に本を読みたい波がやってきて、現実逃避をするにはすごくいい時間だった。

そして今、なぜだか本を読むことへのハードルが一番高い。ある程度の時間が確保できる通勤時間もなく、どの頃よりも、本以外のコンテンツが充実していて、そちらに時間を費やしてしまう。

そういうコンテンツが本を読むよりも、気軽で消費しやすい、というのもある。動画だったり、画像だったり、文字を追うよりも簡単で、その上エンドレスに流れてくる。

それでもやっぱり、本を読むことへの憧れが捨てられない。本を読みたい、と思っている自分が常にどこかにいる。

その欲求を満たすための読書、というとどこか不純だけれど、本を読んでいる時の、他のことを考える隙がない時間というのは、他の何に比べてもかけがえがない。

だからこそ、そんな時間とのバランスをうまくとれる生活を送りたいものだ。


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