怒涛の日常。

こんばんは、今日は令和5年6月13日火曜日。
天気は蒸し蒸しとした気持ちの悪い日。
少しずつ夏に近づいて行っているんだなーと感じる日々です。

最近の私は毎日誰かと遊んでいて家のことや教習すら受けれないくらい忙しい日を送っていました。

4月、お付き合いしていた彼の面会へ島根県まで行ってきましたがたった一つのしょうもない手紙で関係が破綻してしまいました。
私としては無理にわかってほしくもないタチなので「わからずもの」とあっさりとしています。
彼と別れたのは5月の下旬近く。
彼から「もうお前のことを支えたいとも思わないし頼りたいとも思えない。」とどの口が言ってんだい?とおもえるお手紙が届き、感謝の気持ちを彼の親御さんにお伝えしたところ「腹割って話がしたい。」とのことだったので今月の頭に話し合いをしに彼の実家までお邪魔した。

私は、彼のことを心底嫌いとかでもないし何なら彼の家族はとても大切だった。
すれ違いでいろいろとわからなかったところは多かったけども、彼の逮捕がきっかけでお互いのいろんなところを知っていける関係性になっていました。
だからこそ、彼からの別れの手紙で一番嫌だったことは彼の家族との関係が切れてしまうのではといったところだった。

仕事終わり、最寄り駅まで車で彼の母にお迎えに来ていただいて実家へ向かった。
到着するとすぐに私の分の晩御飯を用意してくださっていた。
いつもいつもおいしいごはんをごちそうしてくださる。そういうところももちろん愛を感じれて幸せだ。

父から一言目に「太ったか?」と言われて日ごろからかなり気にしていたのでグサッと刺さりながら本題に入った。

「去年、保釈が終わる直前に二人で話したけど○○ちゃんに新しく好きな人ができたらそっちとお付き合いするのももちろんいいことだし別れたいと思ったらわかれればいい。
けど、今回の話を聞いて正直に思ったことは別れないでほしい。と」
やっぱり、彼本人は刑務所の中で過ごしている以上私が私のために自由に生きることが大前提で彼の存在が足かせになってほしくないと思ってくださっているのはいるが本心は別れてほしくない。と言い切ってくださったのがとてもうれしくて涙が止まらなかった。

今までの女の話をするのはよくないかもだけど、今までの子とは違うし正直家族のように思っている。それくらいええ感じやねんと彼の父らしく濁していってきた。

私にとってうれしい言葉ばかりでした。
だけど現実もしっかり意外と自分の中で凝り固まっていて、彼のご両親が言っていることがすんなりと自分の中に入ってきた。

彼はどうやら刑務所内でいじめにあっているらしく前回の面会(母のみ)の時に珍しいすぎるくらいだが、泣きながらこちらが離せなくなるくらい弾丸トークをされたらしい。

刑務所に入る人はやっぱり特殊な人が多く、ましてや社会復帰センターなどは精神の障害を抱えた受刑者が大半で身寄りがなく孤独な受刑者や、精神の障害等で人への攻撃性が高い人、言葉を選ばないならズレた人たちが集う場所で、彼のような心があまり強くなく、要領もよくなく、割と恵まれた環境で生まれ育ち続けた人は攻撃の対象(憎悪のはけ口)にされやすい。

家族もいて、彼女(婚約者)もいて、差し入れや手紙がある。
それに妬んで僻んだ人間にいじめられているらしい。
更生へのプレッシャーも強いらしく、とにかくキャパオーバーしている模様。

母へも「もう差し入れも極力頼まないし、あまり面会にも来なくてよい」と言い切ったそうだ。

私は「腹割って話そう」と親御さんに言われてきたため正直に思っていることを吐いた。

やっぱり、その環境にぶち込まれに行ったのは彼自身だし
普遍的に我慢するところを理性で我慢し、惰性的にでも現実をしっかりと足を地につけ生きている人間がいる以上、許しはできない。
私だって、なんて思うことのほうが多い。受刑者に対しては。

精神の障害を私も抱えていて、ましてや記憶もなくなり理性もくそもない状況になっても誰かにひどく迷惑を極力かけないように戦うし、せめて他害でなく自害にとどめようとそれは善処してきたつもりだ。
それはやはり私のことを大切にしてくれた人たちのために血反吐を吐いても守りたいと思うからだ。

そうやって生きている人がこの世に多々いるなかで彼のしてきたことはたやすく許されることではないし【自業自得だよな】と思う。
母は「私は本当に息子に対して甘いの、私が間違っていた」と自責していたがそんな感傷的になっている場合ではない。
その息子が一度すべてを喰らい切って、地を這って生きることができるようにするためにはと考えることが大前提だと私は考えました。

我が、その地に自ら乗り込みに行き「つらいつらい」と嘆くのは相当緩やかな生暖かい人生を過ごしてきたんだなとつくづく軽蔑してしまいそうになる。
「まあ、がんばれな」としか思えない。
娑婆に出ればほとんど他人の環境に飛び込まなければならないし、我慢することも多い。そしてそこには個人個人各々の責任が生じる。
与えられた、ではなく自ら選んだその地で嘆いている場合ではない。

益々彼への不安感と不信感であふれる。
刑務所や娑婆や関係なく他者はそんなに優しくなく、容易く傷をつけてくる。
毎日めくるめく日々の中で喜びや悲しみがあるが十中八九マイナスなことが多い。
誰もわかってくれない、誰も助けてはくれない。
それだけじゃないのも事実だけどそれくらい思っていないとうまく生きることができない世の中。

うまく人とつながれないなら、まだ少しばかりお互いに刺激し合わない立ち振る舞いを脳で考えて行動してみるしかない。
まあ、こんなこと考えれていたら刑務所になんていないんだけど。

然るべきタイミングで逮捕されたんだなとつくづく思いました。

彼母にも父にも言いたいことをたくさんいえて、愛をたくさんいただいて一日終了。
彼の実家のカレンダーの9月14日には私の名前を載せてくれている。
そして、泣きすぎと寝不足でかえっていただいた晩御飯はすべて口からトイレに流れてしまった。悲しい。

最近はとにかくいろんな人からの愛にもまれて過ごしている。
私の店舗から卒業した部下からは2日に1度は「暇電」とやらがかかってきてかまってくるし、同じグループのメンバーとは毎日夜遅くまで遊んでいる。

いつも共にしているレディース3人組で、三重旅行に行ってきた。
職場の近くで恒例のギャルプリクラを撮り、天満の食べ放題の焼肉屋さんに行き夜に出発。
食べ放題の焼肉屋さんは店長になってから行くことなくなったが、SNSでとても有名で行きたいと3人で行っていたところなのでとても期待していた。

タンが売りの焼肉屋さんでしたが、タンももちろん美味しく肉寿司がとにかくおいしかった。
あと、かなり店員さんのノリがよかった。大好き店舗の1に追加された。

心身共に満足のままそのまま三重へ向かった。
23時半ごろ出発だったかな。だんだん旅行行くんだと実感がわいてきてワクワクしている。
2時ホテルチェックインだったが急いで行っても2時半ごろになった。
私が運転だったが2人ともすやすやと寝ていて濃霧に1人でおびえて運転していた。

ホテルに着いたらみんなスイッチ入って各々お風呂に入り、私は元エステティシャンの子にマッサージをしてもらった。やはりプロはすごい。
そんなこんなで朝の6時就寝。
9時半にしっかりふたりのクソデケェアラームで起こされて、しっかり誰よりも早く準備を終わらせた。

11時にホテルを出て、伊勢神宮・おかげ横丁へ向かった。
参拝はかなり暑かったし緊張したけどやはり神々しくて感動していた。
おかげ横丁もたくさんおいしいものを貪れて幸せだった。
たくさん写真も動画も撮って浸りながら大阪方面へ帰った。

その日は20時に会社のレディースメンバーで新しく始まったバンド練習の初日練習会だったので深夜まで家には帰れなかった。

そのように、ここ2か月はずっと直帰してなかった。
いろんなメンバーと毎日毎日遊んでいる。
そして遅刻寝坊欠席なしで毎日過ごしているのが我ながら元気すぎて引いている。若い。本当に若い。
たくさんの人とたくさん遊んでたくさんつながって、愛をたくさんもらって毎日とても幸せです。
その幸せを感じるまでいろんなことがあったし、これは頑張ったなーなんておもうことももちろんある。
みんながみんな共通認識をもって頑張ってきているから仲間愛も深くて、なんてこんなメンバーに恵まれているんだと毎日痛感しているし、毎日そのような話を大好きなメンバーと話し合えている。
これからも仕事も遊びも何もかも必死になりたいと初めて思った。
本当に生きていて、よかった。
そして、つい最近までお付き合いしていたその彼のおかげで今の大好きなメンバーと出会えた。
命の恩人だからこそ今の彼は許せないんだけど。

話は変わり、今日久しぶりに直帰した。
約2か月ぶりの直帰。幸せだ。
昨日の休みで真剣に家中掃除と洗濯を頑張ったため早くおうちに帰りたいと思って一日過ごしていた。
久しぶりにしっかり湯船につかりこうやって、日記すら書いている。
充実感がすごい。

ただ、毎日寝不足なのでそろそろ寝なきゃと急いている。
大好きな冨岡義勇を愛でて眠りにつこうかと思っています。

明日も楽しい一日過ごせそう。
雨は降らないでほしいな。
また気分が乗ったら、日記書こうと思っています。
明日も頑張れ、自分。

では、おやすみなさい。


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