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適切なタイミングで、適切に一度死ぬこと。そして転生する

生産としてのビジネス、作品としての本、趣味としてのポーカー

ツイッターで呟いたら、幻冬舎の箕輪さん、NewsPicksパブリッシングの井上さん、GOの三浦さんらが反応してくれた。

やはり編集力を活字に全集中すると普通に気が狂うし暮らしていけないから、生産としてビジネスやり、作品として本やるくらいがいいよ

と、箕輪さんが投げかけてくれた言葉は、僕がケニアで暮らしの実験を始めてから、もやもやとしていた所在を見事に言語化してくれたように思う。

僕がケニアで晴耕雨読の生活を送っている間に、日本の出版、ひいてはメディア環境全般が様変わりした。箕輪さんがNewsPicks Bookでビジネス書のベストセラーを連発していた時代は昨日のように覚えているのに、今の出版業界はその影もない(NewsPicks Bookでは一冊だけ『THE TEAM 5つの法則』で箕輪さんとご一緒させていただいた)。

学生時代から数えて足掛け、もう10年以上もライターとしての活動を続けている。もはや「読書」は趣味の周縁へと追いやられた感すらある。これだけ動画コンテンツが溢れかえっているのに、なぜわざわざ活字を読むのか。書く作業にしても、ChatGPTに任せればいいじゃないか。

それでも僕はきっと死ぬまで本を読み続けるだろうし、読書という営為だけがもたらしてくれる知的な豊穣さも知っている。とはいえど、職業としての書き手との向き合い方については真剣に考えなくてはならない。

書くことを食い扶持に直結させて、すがろうとすれば、それほど明るい未来は待っていないだろう。仕事というよりは趣味やアート、そう活動を位置づける必要が出てきている。

仕事のためだけに生きる人生は貧しい?

「仕事のためだけに生きる人生は貧しい」ーーそう直観的に思うけれども、そもそも“仕事”とは何だろうか。生まれてから、人間は幾多の活動を展開していく。“仕事”は本来、広い意味での活動の一部に内包されるはずの概念である。けれども、多くの人にとって“仕事”が決定的に人生のクオリティ・オブ・ライフを規定しているように思えてならない。

家族と囲む団欒の時間や、降り注ぐ太陽の恵みを全身に受けること、子供の成長、ワケもなく帰宅を祝福してくれる飼い犬…原初的に感じる喜びは本来、金銭的な価値と連動する必要すらないように思う。

けれども、幸か不幸か資本主義社会のど真ん中に生まれ落ちた僕らは、ほとんど否応なく価値観の根っこに資本の論理をぶっ刺される。体育の優劣や稼ぐ金額の多寡が、直接的に権力へ結びついたり、異性へのアピールとさえなる。いつしか資本=貨幣はデータとなり、世界を覆い尽くしながら、社会規範をも牛耳るようになった。その仕組みや起源について、易しい語り口で教えてくれるのが下記の本だ。

生命を授かり、息が絶えるまで、酸素を体内に取り入れ、二酸化炭素を吐き出す。歩けるようになり、喋れるようになり、考えられるようになる。そして、なにかを生産する。あるいは、生産したつもりになる。それがギリギリのやりがいを支える。

人間には、他の生物には見られない生命原理以外の無数の“社会活動”が付帯している。そして、その活動の総体が人間を人間として形成していく。学校へ通ったり、会社に入ったり、はたまた会社を作ったり。その旅路の過程で、他者と友情を育んだり、異性と恋愛をお互いに試行錯誤しながら、一度きりの人生の過程を味わう。

身体を伴う労働の原初的な価値

多くの活動が人生を彩る。けれども、どうだろう。学校を出て、社会に放り込まれると、いきなり資本主義社会のど真ん中に放り出されたような感覚を覚える。自分は新卒で入った会社を一年弱で退社して、独立した経緯がある。そのため、自分の会社を興し、回す過程のなかで、より直接的にそのダイナミズムを経験したように思う。

自分に仲間を加えた二人以上の集団は自ずと組織化を志向する。独力ではこなせない仕事もチームであれば取り組むことができる。組織化は生産性が乗数的に伸び縮みすることを教えてくれる。オペレーショナル・エクセレンスの妙によって、潜在していた自分たちの力に気づいたりもする。

いつの時代も社会を見渡し、層としてその構造を捉えれば、下層には労働集約型の仕事に従事している人々の姿がある。編集・ライティングを生業にしていた僕らだってまさにその典型である。労働集約型の組織はいかにスケールできるだろうか。端的に言ってしまえば、人を採用し、教育し、ナレッジをシェアすること。マネジメントレイヤーを構築しながら、チームとして連携し、効率よく大中規模のプロジェクトに挑むこと。もしかしたら、その繰り返しと試行錯誤くらいしかないのかもしれない。

これらの行間に含まれるオペレーションを効率化したり仕組み化することは当然重要であろうが、結局のところ、基底にあるビジネスが労働集約であることに変わりはない。つまり、どこまでいってもオリジナルのアルゴリズムやプロダクトには敵わないのである。

けれど、それはそれだ。誰かが田を耕し、誰かが沖へ出て魚を釣る。誰かが髪の毛を切り、誰かが整体をし、誰かが本を書く。労働は身体を必要とする。資本の単位ではちっぽけな活動だとしても、身体を伴う活動はどこまでいっても原初的で、だからこその価値を内蔵しているように思う。

“モメンタムの雪だるま”はいかに生起するか

20代後半は「ゆっくり錆びるより、一気に燃え尽きたい」をスローガンに全力疾走してきた。家を借りることもなく、仲間とホテルに集い、毎日が合宿の様相を呈していた。息つく暇なぞなく、気絶するように翌日を迎えるのが常態化していた。想像の範疇を超えた未来など考えることすらなく、今日に全力で挑んだ。ある意味で、「自分たちは無敵だ」とすら錯覚していたのかもしれない。

モメンタム(勢い)の雪だるまはいかにして生起するか。結局のところ、仕事を呼び込むのは、仕事そのものに他ならない。目の前の仕事を一つ一つ完遂させて、雪だるまを転がしていくこと。結局、仕事の成果とクオリティだけが、次なる大きなプロジェクトを呼び込む。その連続的運動がモメンタムのうねりを生み出すのだ。

ただし、その渦の中心に身を置くことはリスクを伴うことを今なら理解できる。成果の連続性と外部の評価は、一定の自己承認欲求を満たす。けれども、その因果は麻薬性を帯び始め、果てには身体に不調をきたす。なにごとにも限界はあるのである。

そしてある日、僕は倒れる。と、いうかベッドから起き上がることができなくなった。ハイパー絶好調からの、揺り戻しで、地に堕ちる。その当時、一人でブックライティングの書籍を10冊近く抱えていた。今振り返ると、完全なる無理ゲーの沼にハマり込んでいた。酒で潰れたことがない大学生よろしく、自分には限界がないと思い込んでいた。ひとたび潰れると、これほどまでに復活するのに時間を要することも知らずに。泥にはまり込んでいった詳しい経緯については下記noteの冒頭に。

長らくベッドから起き上がれぬ日々が続く。秋田の温泉に逗留して、規則正しい生活に努めたり、プーケットのビーチで陽を浴び続ける生活に切り替えたり。環境を変えることで事態の回復に努めたが、話はそう簡単ではなかった。そしてケニアにやってきたのがおよそ三年前。気づけば、長い時間が流れたものである。そして今、一度途中リタイアしてしまったものの、また雪だるま作りを手のひらサイズから始めていこうと思う。

“転生”という死のポジティブな捉え方

今では、飲めるアルコールにしても、請け負える仕事にしても、他者に配れる優しさの総量にしても、自分というちっぽけな存在にはそれぞれの項目にそれぞれの限界値があることを痛いほど承知している。

それらをひっくるめて、とりわけ、歳をとるにつれて実感するのは「自分は自分のことをいかに知らないのか」についてである。僕らは往々にして、自分のことを過大評価したり、過小評価したり、適切に把握することができない。ある意味で適当な他者からの評価に振り回される。

絶望的に自律神経に悩まされたことで、悟ったのは、身体と精神は分かちがたくつながっているということだ。身体の不調は精神の不調を引き起こすし、逆もまた然りだ。太陽を浴びれば、精神にも栄養が行き渡る。規則正しい生活、十分な睡眠、適度な運動は、精神にも活力をもたらす。全身の複雑な歯車は、身体と精神を無数に駆け巡っている。自ら身体と精神の操縦桿を握り、あらゆるパラメーターに気を配らなくてはならない。適当に過ごせば、適当に壊れていく。

上記のnoteの最終部に、こんなことを書いた。

ぼくは長らく鬱に苦しんでいた。すべての意欲が失せ、生きる気もなくした。比喩的にいえば、あのときぼくは「死んだ」。

けれど、「死んだ」からこそ、マズローがいう欲求5段階説を全部飛び越え、いま自分の周りにいる人の幸福へ目が向くようになった。無我になり、新しい世界の見方ができるようになった。

人生の適切なタイミングで、一度適切に死ぬことを、GOの三浦さんは「転生」と言い換えてくれた。死ぬこと以上に、深い内省の機会はない。死は自分をリセットしてくれる。人生の転生を祝福する。

この前、読んでいたよしもとばななさんの短編集『デッドエンドの思い出』のなかに、こんな一説があった。

今ならわかる。最低の設定の中で、その時私は最高の幸せの中にいたんだということが。あの日の、あの時間を箱につめて、一生の宝物にできるくらいに。その時の設定や状況とは全く関係なく、無慈悲なくらいに無関係に、幸せというものは急に訪れる。どんな状況にあろうと、誰といようと。ただ、予測することだけが、できないのだ。自分で思うままに作り出すことだけができない。次の瞬間には来るかもしれないし、ずっと待ってもだめかもしれない。まるで波やお天気のかげんのように、誰にもそれはわからない。奇跡は誰にでも平等に、いつでも待っている。私はそのことだけを、知らなかったのだ。


ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。