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ニューノーマルな世界に、聞き耳を立てること

今日、10月1日は「国際音楽の日」とされていて、ユネスコ傘下の国際音楽評議会(IMC)によって1977年に制定されたそうです。日本でも1995年から実施され、以下のような理念のもとに定められたと文化庁のパンフレットには記載されています。

“世界のすべての人々が自分の敵や反対者をも助け合い、憎しみを兄弟の愛に変えるよう努める日にしよう。
そして、あらゆる国や地域の人々がさまざまな音楽表現を通して、暮らしの中の音楽のすばらしさを認識する機会を与えられるようにしよう。”
(文化庁「国際音楽の日」パンフレットより)

僕らはいわゆるアーティストやバンドが奏でる「音楽」だけでなく、暮らしの中においてあらゆる音や音楽に囲まれています。朝ごはんの仕度をする音、子どもや犬の泣き声、鳥や虫の声やシャッターを開ける音、工事現場の騒音や繰り返す踏切のサイレン、スーパーのBGMにイヤフォンから漏れるビート音。一瞬たりとも無音になることはほとんどなく、ふとしたときに聞こえてくるそれらの音に耳を傾けると、想像より遥かに多くの音が存在していることに気がついて勇気づけられたり、反対に煩わしくなったりもします。

また、詩人の谷川俊太郎さんの詩集『聴くと聞こえる』(創元社、2018年刊)に収録されている「物音」という詩の中に、こういう一節があります。

明け方 どこかで
物音がする
まどろみながら耳が
聞いている

(略)

どこかで なにか
物音がする
いま在る何かがたてている音
かすかな音
ここに世界が在ると証ししている物音が
匂いのように漂う

この詩が描くシーンのように、眠りから覚めかけたときに目を閉じたまま耳に意識を傾けたり、なんとなくぼーっとしたりしていると、「いま在る何かがたてている音」が「匂いのように漂っている」ことに気がつきます。こういう「音楽」をゆったりと感じたり楽しむことは、忙しない日常においてはなかなか難しいことでした。

コロナ禍の世界にあって停滞を余儀なくされた様々な活動の中で、ペースダウンして狭くなった日常を過ごしていると、身の回りの気が付かなかった音と出会うことが増えたような気がします。耳を澄まして新しい音を発見すること。隣りにいる人の小さなつぶやきを聞き漏らさないこと。自分の目の前の音に向き合って意識を集中すること。

やや博愛主義的な「国際音楽の日」の創設理念は、そうした様々な音を通じて社会の有り様や人と人との向き合い方を考えるきっかけになってほしいという願いのようなものなのかなとも思います。派手なトレンドやバズワードには決してならないけれど、「聞き耳を立てる」ことはこれからのニューノーマルな日常における割と大事なアクションになるんじゃないかなと思っています。


そうした思いもあって、昨年noteに書いたプロダクトのWebサイトを今日のこの日にあわせてリリースすることにしました。折り紙のような可変型のアクセサリーで、手軽に耳の聞こえ方をサポートするためのもので、着用したときのルックとそのコンセプトから「KIKIMIMI(キキミミ)」という名前にしました。

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先程の谷川さんの詩はこういう文章で締められています。

どんな音もおろそかにしない
世界の静けさを信じきって

どんなに小さな声やささいな物音でも、世界はちゃんと耳を傾けて聞いてくれる。音を立てるあらゆるものの存在を、世界は肯定する。そういう前向きな希望を感じる一遍です。


「KIKIMIMI(キキミミ)」は、そういう姿勢やアティテュードを尊重したプロダクトです。残念ながら本当に聞こえなくて困っている人を救う、補聴器のようなものではありません。周りの音に耳を澄ましてみよう、そう思うためのスイッチを入れるトリガーのようなものかもしれません。”あなたの「聴く」意識を高め、耳の感覚を研ぎ澄ますアクセサリー”と定義したのはそういう理由です。

興味があれば「KIKIMIMI(キキミミ)」のサイトを見てみてください。なんとかpodsとかノイズキャンセリングのようなハイエンドな機能は一切ありませんが、今まで気が付かなかった世界を発見するための、ささやかなひとつの問いのようなものだと思っています。このプロダクトをさらに発展・拡張してくれるようなアイディアや技術や素材を持ったパートナーも随時募集しています!




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