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#7 支援ってなんぞや

どうも、おもさんです。

先日は2名の方の採用面接でした。土曜日も1名面談兼ねた現場見学。
始めて間もなく事業に仲間入りしたい方が出てきてくださるのはありがたいことですよね。急ピッチで事業構築と展開を進めていきますので、気になる方はぜひ一度弊社にお越しください。狭い空間の中、おしくらまんじゅう状態で行う通称圧迫面接でお迎えいたします。

さて、本題。

支援ってなんぞや

土曜日に現場見学に来てくれた若い男性は、仕事上で面識があり、私に興味を持ってくれたみたいで、先日ラボに見学に来てくれました。その中で、ハウスクリーニングでの独立希望とのこと。うん、うちはハウスクリーニング業者というわけではないから、就職先としてはマッチングせんかなと。就労支援事業の一環としてハウスクリーニングの業務があるというだけなので、僕らの社会的意義は綺麗にすることではありません。
その事をしっかりと受け取ってくれた彼は、うちで働いてみたい気持ちはあるけど、「自分に支援が出来るだろうか」と思い悩んでいました。

うんうん、いいですね。そういうピュアな悩みは大好きです。
人柄が出ますよね。
何でも出来ます!と無駄に自信過剰な人ほど周りに支援されていることに気づかない。過度に謙遜すると機会損失を起こしやすいですが、謙虚に地に足をついていくのが堅実ですよね。
私はけっこう好き勝手やっているように見られがちですが、内心だいぶビビりです。適当な部分と変にこだわる部分がありますが、それはだいたいの人が同じですよね。ただこだわる部分以外はたいていのことがどうでもいいんです。自分にとって「どうでもいい」部分にこだわりを持つ人がいれば、それはどうぞこだわってやってください!と思うので、そういう人ほど仲間になってもらいたいなとは思います。
ちなみに「どうでもいい」というのは、基本的には「どうとでもする」と思っているから使う言葉で、どうでもよくないことは、「そうしないと気持ちが悪いこと」です。
また自身で責任が取れないことは「どうでもいい」にはなりにくい。
自身がどういう状況に対して言葉を用いるかを整理するといいですよね。

さて、今現在は就労支援をするという立場で事業を行っております。実際には、就労以前の生活面、対人関係に対する考え方や対処方法、いわゆる「支援」というものが必要な場面は多岐にわたります。でも、少し立ちどまって考えてみれば、自分自身を客観的に眺めれば、支援が必要なことっていっぱいでてきますよね。例えば僕なら物をよくなくします。駐車券がどっかにいくなんて朝飯前で、財布も何度かさよならしています。しまっておく場所を決めろと言われ、実行するも今度はしまった場所が分からなくなる。
けっこう困ってます。やることいっぱいあるのに。
そこに対する困り具合が当人は「気にならない」となると、手立てのしようがありませんよね。

となると、あらかた予想できる困りごとが自分事になっていない場合、まず支援の手は届きません。医療現場でもそうでしたが、こちらは知識と経験がある。なので、例えばこの疾患はどのような経過をたどることが多く、生活上、あるいは身体環境上こうしたトラブルが予想される。その場合、こうした方がよいというのは、勉強で得た知識や事例を通して経験値としてストックされます。なので、当事者よりも先を見越すことができる。

実はですね、ここが厄介なポイントだなと思っているんですよ。
非常に端的に要約すると、当人がピンときていないものを問題視しがち。
問題を回避できることに越したことはないのかもしれないですが、そもそも問題だというように認識していないものに取り組んでもらうのはなかなかに苦痛ですよね。

そういう難しさが支援にはつきもの。単純な力不足もある。でも、この認識のずれがそもそも手が届かない一因になる。
このハラハラドキドキを抱えながら、少しでも自分の経験や知識が役に立てばありがたやくらいな感覚って大切なんやないかと思っています。

次回に続きます。今日はこの辺で途中下車いたします。

それでは、また。ごきげんよう。

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