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前年・2022年に読んだ書物の感想(1)

 時機を逸するのが完全にデフォルトになっております。正月にアップするつもりだった、前年に読んだ真面目な本に関する感想を今年も書いてみます。
(2/21追記『1★9★3★7』における阿川弘之の言葉を誤記していたため、修正 「みっともない」→「恥ずかしい」)

辺見庸 『完全版1★9★3★7 イクミナ』

 

 日中戦争が始まり南京大虐殺が発生した1937年を起点として、旧日本軍による侵略行為をさまざまな文学的作品・当時の世相を交え、また辺見さんご自身の体験・人生史も挿入しつつ論じた作品です。
この作品の根底に横たわっているのは、辺見さんが自身の父に対し「中国人を殺したことがあるのか?」と問えなかったことと「もし自分があの時代・場所にいたとしたら、殺さずにいたのか?」という問題です。
 戦争の悲惨さを語るドキュメントは数多くありますが、B29による本土爆撃、沖縄の集団自決、広島・長崎の原爆など「被害」の面に重点があり、「加害」を扱うものは相対的に少ないように感じます。「被害」を語り継いでいくことはもちろん重要ですが、敢えて戦争の「加害」という問題を考えるにあたって、この作品は得るところ大だと感じます。

 ただ、正直に申しますと、私自身もまだこの作品については「消化不良」の状態です。
何と言うか、日本人であること、日本の文化・精神の底流にある恐ろしさ・薄気味の悪さというものをこれでもかと見せつけられる作品で、読んでいてたまらない気持ちになるのです。
南京大虐殺のほぼリアルタイムのレポートであり、日本軍の名誉を敢えて傷つける目的で刊行、発禁処分を受けた石川達三の『生きてゐる兵隊』すら、辺見さんに言わせれば反戦文学とは呼べないものだと評されてしまいます。
 私が大学生だった2000年代半ばごろ、地元の講演会に来られていた辺見さんが仰っていた次の言葉を想起せざるを得ませんでした。

「ああ、日本人は所詮この程度の民族か・・・」

これは、チマチョゴリを着て下校中の朝鮮学校の女学生に、石を投げつける人を目撃して辺見さんが感じたことです。
 しかし、このようなことを想起しながらも、それでも読み進めていくと手を止められず、仕事の合間を縫いながら、文庫版にして上下巻合計500ページあまりを2週間で夢中で読み切ってしまい、重要だと感じたところ・気に入った箇所をチェックしていくと、電子書籍版がマーカーだらけになってしまいました。
 「戦争は悲惨だ」「戦争は人間を人間でなくする」とついつい私も言ってしまいますが、この言葉には、さもそれで理解したような気になり、それ以上の追及をやめる傾向がみてとれます。
辺見さんの作品はそれを決して許さず、「お前はそれで良いのか・・・」という内なる声が呼び覚まされ、読む者が各人の意思・選択に真剣に向き合わざるを得ない魔力のようなものを秘めています。
このような表現が正しいのか心許ないのですが、辺見さんの作品は「実存主義文学」という感じがします。

 堀田善衛の「時間」、武田泰淳の「汝の母を!」、桃太郎の唄、および芥川龍之介の短編「桃太郎」、火野葦平、小津安二郎、丸山眞男、黄金バット、知らずにすませられなかったもの・・・・・・・・・・・・・・・・、戦場で四肢を失った親族が強い磁気を発しながら訪ねる話、紀行文学大賞の授賞式にて『もの食う人びと』の終盤・元従軍慰安婦のオモニに「生きてください」と伝えた辺見さんに対して「恥ずかしい」と憎々しげに言い放った阿川弘之の話、東京大空襲の跡の視察・オリンピック開会式でのスピーチ・戦争責任について海外記者から質問された際の返答などの昭和天皇の姿を辺見さんがどう受け止めてきたか、そして戦争によって変わってしまった父とのやり取り、父の罪悪をときに厳しく追及しつつも、どこか温かさを感じさせる記述など読みどころは多々あります。
 辺見さんがいたるところで解説してる中国語の「リーハイ」も意識せずにいられません。「リーハイ」という言葉は翻訳が難しい語で、辺見さんによれば、恐ろしいもの、悪いものといった毒気を含んだ語を鍋に一緒くたにし、一晩ぐつぐつ煮込んだようなもので、とてもじゃないが手に負えないもの、であると同時に善悪を超えてしまうものです。この書の中で挙げられている具体例で分かりやすいのは、毛沢東です。

 最後にこの『1★9★3★7』の中で、私が最も気に入った次の文章を引用します。
辺見さんが好きな作家として武田泰淳を挙げ、その理由として述べている短い言葉に過ぎないのですが、辺見さんの単なる好みにとどまらず、『1★9★3★7』という作品の特徴を言い表し、のみならず、現代の時代・日本社会への批評にもなっているように感じてしまうからです。
普段、陽気な漫画やアニメの話題ばかり追いかけている私自身への自戒の念も込めて。

救いのない小説にわたしは救われる。救いのない世の中なのに、救いのある文章を読まされると、とても不安になる。

(同書上巻 p72(フォントサイズ・11の場合)第4章・かき消えた「なぜ?」 1さいしょの中国人 冒頭より)

武田泰淳 「汝の母を!」 

 第一次戦後派作家の武田泰淳による短編小説で、日本軍のとある部隊が中国現地の農民:母とその息子を殺害するに至るまでの場面を描き、その母子の心中を推し量り、心の声を代弁した作品です。
 上述の『1★9★3★7』の中で辺見さんがもっとも重要視している作品だと感じたため、挑戦しました。
「文学の″解説″の対象として扱うには三度も十度もためらいたくなる。」と開高健に言わしめた作品です。(武田泰淳全集5巻・巻末解説 p.463-464より)
辺見さんの推測によれば、これは武田泰淳が実際に見聞したこと、実際に配属されていた部隊で泰淳がその場に居合わせた出来事を元にしていると考えられます。
 日中戦争とはそもそもー悪しき意味でー「戦争」と呼べるものですらなかったのではないかと、この作品に触れて思えてきました。
 感想文としては手抜きのようになり恐縮なのですが、私の力量ではこの作品のあらすじや核心部分に触れずにその価値を表現することができず、かといってそれを書いてしまうと読む人がこの作品から受ける衝撃が減じてしまうため、この程度に留めることしかできません。
なるべく予備知識無しでこの作品を味わうことを強く勧めます。その後に『1★9★3★7』上巻第5章の12~20を読むのが良いです。
(私自身、辺見氏の詳細な解説・考察を先に読んだ際に、大きな衝撃を受けてしまったため、その直後に原作品を読むと(誠に申し訳ないのですが)思ったほどの衝撃を受けられませんでした。逆に同巻に収められている『ひかりごけ』の方に凄さを感じてしまいました。)
武田泰淳全集 第5巻に収められていて、上下2段組ではありますが、9ページの短編ですので、集中して一気に読み通すことができます。全集は残念ながら絶版になっておりますので、最寄りの図書館からお借りするのがおすすめです。


平家物語

 

厳島神社

 昨年の1月から3月に放送されていた フジテレビ系列のTVアニメ「平家物語」に感銘を受けたため、原典にチャレンジしました。読書用に選んだのは、リンク先の小学館・新編日本古典文学全集版です。
 元々私は古文が苦手で、登場人物は多いわ、平安時代の階級制度がよく分からないわ、「保元・平治の乱」に関する話題も度々出てくるわで、教養不足の中読み進めるのに苦労しました。なんとか這々の体で読み切ったというのが実態です。
 ただ、これを読むことで私の中での平家に対するイメージが変わりました。
「武士の目にも涙」という諺がありますが、親子の情愛にまみれてその場にいる人々皆が涙するという描写が多々あり、少し意外に感じました。親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちに、昔も今も、庶民も武勇を誇る人にも違いは無いのでしょう。
 アニメ版では、平重盛とその息子たちに焦点を当てたストーリーとなっておりますが、原典はやはり平家全体の話が多いです。平清経については、例の最期のシーンに相当する場面ぐらいしか原典ではこれといった出番がありません。
 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と比較しながら読んでいくと、「平家はそれほどまでに悪だったのだろうか」と思えてなりません。
私自身の読み込みの甘さ、歴史知識の浅さも影響しているかもしれませんが、源頼朝や北条義時らのように「謀反の疑いをでっち上げて味方を粛清する」という行為を、少なくとも平家物語の中では平清盛は殆ど行っていないように思えます。
また、平重盛のように命がけで諫める人物が頼朝や義時の側に居たならば、歴史はだいぶ変わっていたのではないかと思います。(青年期の義時や泰時がこれに近いですが)

 平家の行った悪行は大別すると「王法」と「仏法」を蔑ろにしたこととなります。
簡単にいえば「王法」とは天皇・摂関家を中心とした政治体制のことであり、「仏法」は寺社仏閣やそれに仕える僧侶らのことになります。
自分に反抗する有力者を流罪にし、後白河法皇を幽閉し、僧兵らを殺害し、園城寺・東大寺を焼き払い、大仏も焼け落としたのが平家の悪行の主たるものです。
 ただ、曲がりなりにも身分制が崩壊した現代社会に生きる私としては、平安貴族らに対してあまり良い印象が無いので、辺境の地で非業の死を遂げられた方々は実に気の毒だと思うのですが、「王法への挑戦」を悪行と捉えることについては少々理解しかねるというのが実感です。
アニメの第6話で「息苦しい世界に風穴を開けたのだ」と、清盛が一門の功績について述べていましたが、貴族社会から武家社会への橋渡しとして身分制社会に風穴を開けたという歴史的評価に私も肯くために、余計にそう感じます。 

壇ノ浦(山口県下関市)合戦場跡の「みもすそ川公園」
火の山公園から望む壇ノ浦
九州側から撮影した海面 素人目にも潮の流れが速いことがよくわかります。

 「孝」と「忠」の板挟みにあいながら自身の身命を賭して父・清盛に諫言した平重盛、子宝に恵まれない中でも妻を思い、東大寺を焼き払った己の罪を自覚し、来世での宿業の後いつの日か菩提を得たいと望む平重衡、自分の息子を思い起こし平敦盛の命を取ることに大きな精神的葛藤を憶えた熊谷直実、壇ノ浦の決戦を見届け「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」と己の屍を敵にさらさぬよう錨を身にまとい海中に沈んだ平知盛、長兄・重盛と比較すると少々みっともない言動が目立ち、指導者としての資質に欠けるように見えながらも、今際の際で息子の身を案じる平宗盛など、ひとりひとりが実に愛おしい人物に思えてきます。
 そしてなんといっても印象に残るのが、平清盛です。身体を冷ますために打ち付けた水が、炎と煙となるほどの激しい地獄からの責め苦(文学的な誇張表現ですが)に悶えながらも、自らのために堂塔を立てる供養を拒否し、「頼朝の首をはねて我が墓の前に掛けよ」と言い残した彼の壮絶な死に際を見ると、罪深いには違いがありませんが、「稀代の英傑」という考えを抱かずにはいられません。

赤間神宮にある平家一門之墓
京都・六波羅蜜寺にある平清盛之塚

 平幹二朗氏の朗読CDが市の図書館にあったため、試しに借りて聴いてみると、理解度に雲泥の差が生じます。平家物語は声に出して詠み、耳で聴いてこそその真価を発揮すると強く感じました。
 最後にまた私の気に入った一節を引用します。
「滅びの文学」としてのこの作品に対する作者の言い知れぬ感慨が込められているように感じます。ぜひ皆様も一度この箇所を声に出して読んでみて、平家物語の世界を味わってみてください。

海人あまのたく夕煙ゆふけぶり尾上をのへの鹿の暁の声、渚々なぎさ〱に寄するなみの音、そでに宿かる月の影、千草ちくさにすだく蟋蟀しつそつのきりぎりす、すべて目に見え耳にふるる事、一つとして哀れをもよほし、心をいたましめずといふ事なし。昨日きのふ東関とうくわんふもとにくつばみをならべて十万余騎、今日けふ西海さいかいの浪にともづなをといて七千余人、雲海沈々うんかいちん〱として、青天せいでん既に暮れなんとす。孤島こたう夕霧せきぶ隔てて、月海上つきかいしやうにうかべり。極浦きよくほの浪をわけ、塩にひかれて行く舟は、半天はんでんの雲にさかのぼる。日かずふれば、都は既に山川さんせん程を隔てて、雲居くもゐのよそにぞなりにける。はる〲きぬと思ふにも、ただつきせぬ物は涙なり。なみの上に白き鳥のむれゐるを見給ひては、「かれならん、在原ありはらのなにがしの、隅田川すみだがはにてこと問ひけん、名もむつましき都鳥みやこどりにや」と哀れなり。
 寿永二年七月廿五日に、平家都を落ちはてぬ。

日本古典文学全集[46]平家物語p.93-94(巻七 福原落)


松本修『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路―』

 「アホ」「バカ」という言葉が日本全国の中でどのように分布しているかを考察した本です。
探偵ナイトスクープで放送された番組企画が元ネタとなっています。テーマはバカバカしいのですが、データサイエンスの要素も見られる本格的な調査方法を取り、方言学や日本語の音韻変化を交えた考察を進め、やってることは真面目です。
 私はこの本を読むまでは、東日本では「バカ」が用いられ、西日本では「アホ」、そして名古屋近辺で「たわけ」が使われているものだと漠然と思っていましたが、実際はそんな単純なものではありませんでした。かの柳田國男が『蝸牛考』にて仮説として提唱した「方言周圏論」をこの本は実証する形になっております。
 まだ インターネットが普及する前の時代なので、全国の教育委員会に手紙や FAX で質問項目を送り、その回答を複数人で集計するという手作業の調査を行っています。
番組視聴者から、自分の地方の罵倒語の例を挙げる反響のお手紙も数多く寄せられ、そこには単に人を貶す言葉にとどまらない、その奥に秘められた「郷土への愛」がひしひしと感じられるものでした。
 先ほど私は「たわけ」とひらがな表記しました。「タワケ」でも「戯け」でも良いのですが(「田分け」は誤りらしい)、東海地方出身の身としては、ひらがなで「たわけ」と書く方がしっくり来るように感じます。
(カタカナで「タワケ!」と書くた方が性に合う東海3県人もいるでしょうけど)
個人的な話が続きますが、私は「バカ」と言われてもある程度許容できるのですが、「アホ」と言われるとどうしても反射的にムカッと来てしまいます。出生地は名古屋なのですが、物心つく幼少期を神奈川県で過ごしていたため、関東人の気質が根っこにあるのが原因だと思います。どこかの本で読んだうろ覚えの知識ですが、「アホ」の「ホ」の部分に、息を吹きかけるような、埃を払うように人を軽く扱っている感じを受けるため、関東の人間は反感を持ってしまうのだと思われます。

 調査の結果、とある地方で語られてる罵倒語が全く遠く離れた地域でも同じような言葉として使われている事実に突き当ります。たとえば、石川と富山で話されている「ダラ」が鳥取や島根でも使われていることが分かってきます。(「タラ」「ダラズ」など若干の異同はあります。)それらの地点を結んでいくと、大まかに言って京都を中心にほぼ同心円状に広がっていることが明らかとなってきます。
これらのことから、かつて奈良や京都で話されていた言葉が時代を経るに従って地方に波及し、その間に京都でまた新たな罵倒語が生まれ、先に波及した語の後を追うようにまた時間をかけて地方に広がっていったものだと推測されています。この波及の経緯を見ると、ドーナツ形の同心円として罵倒語が日本列島に広がっていったということです。
その中で「アホ」は比較的新しい表現であることが判明してきます。(あくまでも「比較的」で、鎌倉・室町時代にはすでに作られていたそうです。)
 この著書のなかなか画期的なところが、それまでの地方の方言辞典で書かれてた項目・方言学の定説に真正面から異議を申し立てた箇所がある点です。
例えば、沖縄地方では「フリムン」「プリムヌ」という罵倒語があるのですが、「気が触れる」人(≒狂人)を意味する「ふれもの」が語源であるというのが以前の定説でした。
全国のアホ・バカ分布を考察していく中で、古来の日本人はひとを罵倒する言葉として、異性に惚れ頭の中がふわふわした状態や間抜けな動物にたとえるなどして、「愚」や「痴」などのストレートな表現は決して取らなかったことが分かるにつれ、日本の中でも最も古来の言葉を残している沖縄の人々が「気が触れる」という表現をするハズがないと著者は考えます。
沖縄地方と本土との音韻の変化の規則と調査の中で分かったことから総合して、「ほれもの(惚れ者)」が変化して「フリムン」になったと著者はていねいに解き明かしていきます。
これによって定説を覆すだけでなく、沖縄の人々の誇りを守ることにも繋がり、読んでいて胸が熱くなりました。
 ほかにも、東北で主に使われている「ホンジナシ」(ホジナシ、ホデナスなど)は、「本地垂迹説」の「本地が無い」ことを語源とする非常に奥ゆかしい表現であることが紹介されています。意識のしっかりしない人やお酒で酩酊した人を指す言葉として「本地なし」が古の時代に新鮮な表現として好まれ、それが東北とは離れた鹿児島の「ホガネー」にも残っていると指摘し、「『本地なし』のはるかな旅路」という題で一つの節が記されています。
 また、専門家の見地から助言する徳川宗賢・大阪大学教授も非常に印象深い方でした。柳田國男の直弟子に当たり、吉宗公を先祖に持つ方です。
たとえ相手が素人であっても、真剣に学ぼうとする人には惜しみなく教えを授ける姿に、学問を行う者・知識人の清廉さを感じ、とてもすがすがしく頭が下がる思いでした。 
 本書の後半では、「バカ」の語源が分からず迷宮入りになるかと思わせ、白楽天をきっかけにしてその謎が解き明かされていくミステリー小説のような展開も繰り広げられます。
『史記』の鹿を馬として王に献上した話をもとにして「馬鹿(バカ)」という言葉が作られたというのは、実は俗説だったことを私はこの書で初めて知りました。漢字表記が「馬鹿」なら本来「バロク」や「マロク」と発音しなければなりません。


 なお、本書の内容・趣旨とは大きく離れてしまいますが、韓国・朝鮮、中国の方々、特にこれらのご年配の方々に対しては「バカ」と言うのは極力やめた方がいいと思います。これも書物で得た知識ですが、日本の植民地時代・侵略期にこの言葉を投げかけられ、知性が劣る愚か者の意味、非常な侮蔑と受け取っておられるからです。辺見庸や武田泰淳の書物の感想も本稿では載せているので、念のために付言する次第です。

 本日はひとまずこんなところです。
(2)に続けられるかどうかは未定。

#辺見庸 #1★9★3★7  #武田泰淳 #平家物語 #アホ・バカ分布考

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