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社会の変化に連動して、教育も変化していく必要がありますよね、という話

先日娘の小学校の保護者向け説明会に行ってきました。
30年前の自分が小学校時代から、あまり変化していない雰囲気や教育環境に、いろいろ考えるきっかけとなりました。
そういう考えたことをつらつらとまとめて記載しています。

組織>個人(昔の社会に対する僕の私見)

人は1人では生きられないというフレーズ。
これまですごくたくさんTwitterで使ってきています。
個人的に間違いのない真実だと思っています。

これはたぶん昔から変わらないことなのでしょうね。
それこそ人類(ホモサピエンス)が社会を形成しだしたころから。

なんとなのくイメージですけど。

ホモサピエンスが文化とか宗教とか社会の理念みたいなものを共有したからこそ
この地球を支配できたとも聞きますし。
今の社会みたいなのが発展したのも、その中で組織とか、いわゆる会社とかああいうのが発展したのも。
その最大級の枠組みとして、国家のようなものができたのも必然なのでしょう。

(こういうの研究している社会学者の人とかいるでしょうね、きっと)

なので個人より国を大切にするとか、
組織を強化するために個人が多少犠牲になってもいいとか、
そういう発想が出てくるのも、
集団として生き残ろうという大きな意思が働いていたと思うと
理解できなくもないなと感じました。

戦前の日本なんかこの典型かなと。


通信手段も交通技術も発展してない昔々。
隣の村に住んでる人がどんな人かわからないのとか想像してみて。
言語や文化が違うとそれは恐怖の対象でしかなかったかも。

そういう恐れに対抗するために組織を強化し
争いが起こっても集団で生き残っていく。
やるかやられるか、というと大げさですが。
でも人の生きるか死ぬがかかっているのは事実でしょう。


組織<個人(今の社会に対する僕の私見)

でも時代は変わりました。

通信手段が劇的に発展しました。
インターネットのおかげで、いったことなくても、
隣の国にどんな人たちが住んでいて。
何を考えているかとか、
どういう生活スタイルかとか
知ることができるようになりました。
(たくさんの誤情報や誤解もあるのも確かですが。。。)

また交通手段も劇的に発展しました。
鉄道や飛行機が発展したというだけでなく。
LCCとかの影響もあり、
非常にリーズナブルに気軽に移動できるようになりました。
ホント気楽に、すぐそこまで行けて、
自分でも見て体験できるようになりました。


知ること、体験することにより
地球規模で個人が繋がるコミュニティができてきているのです。

昔みたいに、不必要に恐れの感情を抱く必要はなくなってきているはず。

組織体を個人の犠牲の上に維持しなくても、
別の方法で集団が生き抜くことができるようになってきているのでしょう。

むしろ、個人個人が広く浅く繋がることによって、地球規模での共同体を維持していくこと。

それにより、より平和(というとまた大げさですけど)に、安全な社会を作れるし、また個性ある個人が繋がることで多様性が生み出され、新しい未来を切り開いていける社会になるのではないかなと思うわけです。


教育もアップデートが必要

さて、日本の教育が非常にオワコンであるというのは、ネットで検索したら山のように出てくるわけですが。
これまで書いた社会の変化が反映されていないからこそ、起こっていることなのかなと思いました。

よく、日本の教育は集団生活になじめる、戦後高度経済成長期に組織人として活躍する人材を大量生産するのには向いていたけど、個人の力を発揮して個性を生かす人材育成にはつながっていないとか、そういう話。

そういうのをアップデートをしていく必要があると思っているのですが。僕は個人的に、「恐れの感情」がキーワードかなと思っています。

恐れの気持ちって、先ほどの共同体に包摂されることでうやむやにて来ていたかも、と持っているのですが、個人の存在が大きくなってくると、逆にそういう恐れの気持ちに対しても、個人で向き合う姿勢が重要になってくるのではないでしょうか。

自分が所属する共同体以外の共同体(例えばですけどお隣の国とか、違う文化や人種の人たちのこと)に対しての、知らないことからくる恐れがあったとします。

それを解消するために、自分たちの共同体の存在を強化し、安全を確保して自分の安心感を得ていたのがこれまでの国とか組織の背景と考えると。

そういった背景要素になっていた「恐怖」がテクノロジーによって解消されてきているというのが僕の仮説です。

それに伴い、あらたな枠組みがでてきていて、

共同体VS共同体

という構図だったのが、そういうのが取っ払われることになるので

個人VS個人

という構図に変化してきているのだと思っています。

(別にVS使わなくていいんですけど、とりあえず思いつかなかったのでVS使ってます)

昔みたいに国家を維持して恐れを安心感に変えなくてもよい時代になりました代わりに、個人で向き合う責任が出てきたということです。
そんなわけで、そういう社会の仕組みに適応した教育のアップデートが必要だという考えです。


具体的にどう「恐れ」に向き合うか?

個人で、自分の中で湧き出る「恐れの感情」といかに向き合うか。

それは隣人のことを理解することもとても重要ですが
それとあわせて、自分自身のことを理解し、
その上で自分と他者との違いを受け入れること

そして共同体に自分の人生の主体性をゆだねるのではなく
個人として自分の人生を生きていくこと

そういった姿勢が「恐れの感情」と向き合ううえで重要なのかなと考えるようになりました。


最後はすごくあっさりとした内容になりましたが、最近考えていたことをあれこれ書きました。

今日はこれくらいで、ありがとうございます。



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