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Responsibility(責任)という言葉から考える「社会を変える」ための戦略的思考

こんばんは。

しばらく間があいてしまいました。

(最近はホームページ作成という新しいチャレンジをしていました)

今回は「責任」という言葉を一つの材料にして企業戦略のことや、この先の社会のあるべき像について、最近個人的に考えていたことをつらつら書きたいと思います。

ソーシャルワーカーという「社会を変える」お仕事をしてきて、頭の中で考えていたことと、ビジネスの世界で近年注目されれている考え方は、非常に親和性のあるものなのだなと、あらためて感じています。

そんなことを考えていただけるきっかけになればうれしいですね。



企業の社会的責任とは

あらためて企業CSRという言葉の意味。

CSRとは、Corporate Social Responsibilityの略です。
「企業の社会的責任」と表現されることが多いですね。

2000年ごろからEUを中心に語られるようになってきて、日本でも2003年ごろから注目されるようになり、「CSR元年」と表現されたりしています。

企業だって、お金儲けだけがすべてではなく、この地球(社会)を構成する一部分であり、企業が存在する社会をより良くしていく責任の一端を担うべきである、という考え方ですね。

また株式会社だからといって、株主のためだけに活動するのではなく、その企業を取り巻く利害関係者(ステークホルダー)すべての存在を大切に、でも企業の掲げる理念ビジョンを実現していくために責任をもって社会の中で活動し価値を生み出していく。

そういうさまざまな議論の中で発展してきた考え方なのかなと、最近は思っています。

だから、企業CSRを、Corporate Stakeholder Responsibilityとか言ったり。

「Stockholder(株主)からStakeholder(利害関係者)へ」とかいう言葉を聞いたり。

時代の流れの中で変化してきているのかもしれません。

ちょっと前までは、マーケティングの側面だけをとって、社会の中でいいことしているアピールとしての企業CSR、みたいに思っていて。

最近のSDGsブームとかを見ていると、わりと今もそういう考え方で取り組んでいる企業さんも多いかもしれませんが。


でもそれなりの規模の企業だと、企業としてCSR活動に取り組むことはスタンダードとなり、ビジネスの構成要素の一つとなったわけです。

多くの利害関係者に囲まれつつ、企業で活動されているみなさんも、試行錯誤されているわけです。大変ですよね。

さて、次に責任という言葉について、少し考えていきたいと思います。


責任という言葉

責任という言葉は英語でResponsibilityと書きます。

分解するとResponse(反応する)Ability(能力)ということです。

「誰かからの何かに応答する」、というニュアンスだと捉えています。
双方向のものなのかな~というイメージ。

逆に、漢字で表現する責任だと、任せるという感じと、責める(非難する)という言葉の組み合わせで、個人的に「責任」という言葉には一方通行で重たく苦しいニュアンスを感じ取ってしまっています。

あくまで僕個人の主観ではありますが、英語での表現と日本語での表現だとずいぶん違う感じがするなと思っています。


そんなResponsibilityという言葉を素直に感じ表現していくと、責任を持つ主体が僕であったり、企業であるとすると、それは社会の中で(共同体の中で)の存在としての僕が(企業が)どうあるべきか、ということを考えるプロセスなのだろうと。

一方的にやらされるものでも、強制されるものでも、一人が重く苦しむものでもなく、共同体の中の一つの存在としての役割のようなもののイメージです。

神様の前で平等な存在としての人が、他者との関係性の中でその価値が明確になるのと同じく。
企業だって、社会の中で、その役割として価値を発揮して初めて意味が明確化されるのです。
その企業としての存在だけをとって、たとえばお金儲けだけをしていても、それは全く意味をなさないのですね。

もちろん、そんなことはみんな分かっているのです。

だからこそ、長い目で多くの利害関係者に対しての価値を発揮できない存在は淘汰されているというのが現状であり、経営学の中でもステークホルダーに関しての考察が多くされるようになっているのもそのためなのでしょう。

すべてのものが、相互に影響(≒Responsibility)をしあいながら、価値を発揮しているイメージです。



コトラーのマーケティング4.0

ところで、コトラーさんという経済学者さんがいるわけですが(超有名人)。

僕は大学院の学びの中で最近知ることになりました。
マーケティングにおいても時代は変遷してきていて。

マーケティング1.0の時代は、製品を販売してなんぼの時代でした。

マーケティング2.0の時代は、消費者を満足させることが重要視されていました。

マーケティング3.0の時代は、世界をより良い場所にしていくための活動になりました。

そしてマーケティング4.0の時代。

3.0的な、よりよい社会を実現していくことはもちろん。
その上で消費者の自己実現、精神的な充実を実現していくことが重視されるようになってきました。

あえてスピリチュアリティという言葉も使うことにしますが、そのスピリチュアリティを充足させていくことがこれからの時代に求められているのかもしれません。

ほら、時代が追い付いてきた感じがするでしょう。

広い共同体のなかで、すべての人に対しての責任を持つ姿勢が求められている気がしますし、完璧には慣れないわけですが、企業も個人もそういう意味でのResponsibilityを持とうという生き方をしないと、この4.0のような役割を世界の中で担うことは難しいのかなと考えています。


まとめ

何が言いたいのか、ちょっとまとまりのない文章になってきてしまって、ややあきらめモードですが。

社会の構成要素の大きな存在としての企業(やそれに類する団体)であっても、試行錯誤しつつ社会の中で相互の影響を与え与えられつつ、価値を生み出そうとしています。

その流れの中では、マーケティング1.0的な価値の生み出し方(お金を儲ける)という側面から、マーケティング4.0的な価値の生み出し方(利害関係者の精神的な自己実現に貢献する)ところまであり。

それは、その主体の在り方によって異なっているのだなと思うわけです。

ソーシャルワーカーとしての私自身も、その社会のなかでは主体者であり、社会を変える一つの存在でもあります。

他者への働きかけと自己への働きかけ、そのどちらもあっての価値創造だなと最近とても感じています。

いつもの持論であるSocial Change ≒ Change Myselfです。



今日はこれくらいで、ありがとうございます。


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