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哀しき台湾

昨日(1月13日)の台湾総統選

昨日までの話とは関係ないことを書きます。

現与党の頼清徳氏が台湾の新総統に選出されました。対中強硬派、台湾独立派と称されていはいますが、現状維持が台湾の人々の総意ではないかと思います。

台湾の経済力

台湾は、日本の九州よりやや小さい面積に2,300万人の人々が暮らし、稼ぎ出すGDPは7,600億ドルで世界で21位、外貨準備高は世界で第4位です。GDPは北欧のスウェーデンやノルウェーを上回っています。親日国の筆頭ともいっていいでしょう。台湾からの旅行客は年間400万人にものぼります。

化外の地

1874年、維新後わずか8年後に明治新政府は、台湾島に漂着した日本人漁民が虐殺されたことへの抗議を清朝政府に申し入れます。その回答が「化外の地」、つまり清朝の管轄外というものでした。「台湾出兵」はこのように始まりました。明確に調べたわけではありませんが、台湾島が大陸王朝の実効支配下となったことはないと思います。確か16世紀末から17世紀の一時期オランダ東インド会社が日本との貿易拠点を台湾に築きました(その前はスペインの時もあったと記憶してます)。同社の拠点(支社ですね)は長くは続きません。近松門左衛門作の「国性爺合戦(こくせんやがっせん)という人形浄瑠璃のモデル(のちに歌舞伎の演目にもなった)鄭成功(ていせいこう)(父は鄭芝龍、母は日本人で長崎県平戸で生まれた)によって追い出されたからです。彼らは、台湾を拠点として明王朝の再興を目論んでおり、その援助を徳川家光に依頼したりしています。現在でも、鄭成功は孫文や蒋介石と並んで三国神の1人として、尊敬されています(それが日本人とのハーフというところが興味深い)。オランダを追い落としたからです。

台湾独立を助けた日本人

1949年、朝鮮戦争の1年前ですが、毛沢東は人民解放軍を金門島へ上陸させ、国民党軍との間で戦闘が起こりました。この戦闘で国民党軍(台湾)を助けて、人民解放軍を撃退したのが、元陸軍中将だった根本博でした。根本は、毛沢東の台湾侵攻が近いことを聞き、九州から漁船を仕立てて台湾へ密航したのです。中国大陸からの日本軍の撤兵、帰還に際し、蒋介石から多大な便宜を図ってもらったことへの恩返しとして、台湾を助けたかったからです。
また、根本とは別に、のちに台湾の軍隊の教育、指導にあたった「白団(ぱいだん)」と呼ばれる非公式な、軍事顧問団的な一団(かつての日本陸軍軍人)も結成されました。すべて台湾への「密航者」です。

哀しき台湾

日本にとって、地理的、歴史的にも近しい台湾。経済力も決して無視できない大きさであり、新型コロナのパンデミックの初期段階において、感染爆発を防いだ方策は、かなり話題になりました。しかし、台湾は国連には加盟できず、WHOにも加盟できません。台湾と国交を結んでいる国は、世界で13カ国しかありません。なんと悲しい現状なのかとため息をついてしまいます。

終わり


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