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グロ好きマゾ

 思春期を迎えると、たいてい人は「中二病」を患う。僕ももしかしたら、そうだったのかもしれない。
 そうしたもの当時の思い出や感覚というのは、後になって恥ずかしくなって、その後の黒歴史と化するのがオチである。
 が、しかし僕は未だその歴史の進行の真っただ中で、何一つ卒業できていない。あるいは、生来的にそういうものであって、決して「病」などには罹っていないのかもしれないと思うことがある。

 小さいときから、ずっとグロとかかわいそう系が好きである。
 マンガやアニメ、映画でもドラマでも小説でも、そこらへんのテーマやシーンがあると、おっ!となる。そこら辺の濡れ場よりラッキースケベである。
 ネットでも時々、検索窓に色々キーワードを頭に浮かべて打ち込むことがある。寝れない夜とかは多い気がする。
 だから”torture”とか”gore”とか、そこら辺の英単語を自然と覚える、ウェンズデーの綴りも自信ないのに。

 自分的には、これが性癖的な意味で好きというよりかは、ある種のリラックスのような感覚である。だからあまり勃起はしない。なんだか嗜好には二種類あって、一つがちんこが反応するもので、もう一つが存在しない子宮がキュンキュンするやつである。グロとかの場合は後者である。
 後者の感覚はやっぱりいつまでも長続きするし、感覚自体も幅広いから飽きない。ただ、毎日続けるとなんだか醒めてくる。だから、たまにやるのがいい。
 こういうのは何と呼ぶべきなのかは分からない。性的なものではないかもしれないし、自己暗示に過ぎないのかもしれない。なんであれ気持ちいいのは確かだが、どういうメカニズムが働いているのかは少し気になる。

 リョナ好きは多く居るだろうが、僕の場合は少しその捉え方が違っていて、被虐の対象を自己投影するのが好きだ。目の前で繰り広げられるスプラッターな状況に、心情やら恐怖やらを擬制的に感じて気持ち良くなる。実際のところはなんてことないないようなシーンでも、キャラクターが騒いだり泣いたりしてくれると、感情移入しやすくなってありがたい。
 自分でもやっぱりマゾだな、と思う。

 かわいそうなやつにも言えることだが、やっぱり支配されている感覚、命の手綱を相手に委ねられている感覚がいい。抵抗すらできずに相手の黒い瞳がこちらに降り注がれるのが堪らない。心臓の激しい鼓動が脳の毛細血管にまで伝わると、自分が本当に恐怖しているのがわかる。その様子を見て、相手がほほ笑む。好き、大好きである。
 だからどうにも全くの無機物にやられるグロは、そんなにいい感じにはならない。
 なので、もし自分がギロチンにかけられる時の最後のお願いは「処刑人が見えるようにして欲しい」だと思う、たぶん。

 ここまでくると、将来自分がヤバいことをしてしまいそうな気になることも無くはない。
 ただ、なるべく道徳を守りながら生きていくことが、何よりの証明であり、快楽へのスパイスになると考えている。

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